2013年4月15日月曜日

伊勢神宮(外宮)多賀宮



多賀宮(たかのみや)は三重県伊勢市豊川町にある外宮(豊受大神宮)の境内別宮である。

多賀宮は豊受大神宮宮域内正宮南方の小丘である檜尾山(ひのきおやま)に鎮座し、主祭神として豊受大御神荒魂(とようけのおおみかみのあらみたま)を祀る豊受大神宮の第一別宮であるのである。

伊勢神宮の別宮(べつぐう)とは「わけみや」の意味で、正宮に次ぎ尊いとされるのである。

山頂にあるので高宮(たかのみや)であったのであるが、縁起のよい字を当て多賀宮(たかのみや)になったと考えられているのであるが、考えられているのであって、それがビンゴであるかとーかはあたしからはなんとも言えないのはゆーまでもないことであるのである。

神さまに対してビンゴがジャストミートかどうかはさらになんとも言えないのはさらにゆーまでもないことであるのであるが、多賀宮の権威に対して揶揄しているとゆーことではさらさらないのはさらさらにゆーまでもないことであるので、巫者としてのあたしのお役目を損なうものではないということをここに宣言してしまうのである。

ううむ、巫者ってなんだ?

さすがに神のお告げだけに知らん言葉がどんどん出てくるな。

巫者(ふしゃ)とは神がかりの状態で神託を告げる者つーよーなことであるのね。

ほほう、なるほど、つまりあたしみたいなおつむが大変お壊れになったぱーとゆーことか、あはははは、やかましいっ。

ひどい蛇足文であるのである。

蛇足文とゆー言葉さえあるのかどーかわからんのであるが、例によって指が勝手に動いてキーボードを叩いちゃったのでしょーがないのである。

つーことで、外宮の別宮は多賀宮のほか境内に土宮(つちのみや)と風宮(かぜのみや)、境外に月夜見宮(つきよみのみや)があるが、多賀宮がもっとも古く、外宮の4別宮のうち、「止由気宮儀式帳(804年)」と「延喜式神名帳」に記載されているのは多賀宮のみであるのであることからいっても、伊勢神宮でもっとも由緒格式の高い別宮であるとゆーことができるかもしれないとゆーことであるのである。

正宮前の池の横の亀石を過ぎ、土宮と風宮の間にある石段を98段登った丘の上に多賀宮があるのであるが、亀石は高倉山の天岩戸の入り口の岩を運んだと伝えられているのであるので、亀というとなんとなく間抜けであるがパワーストーンの噂も高いあっぱれな石であるので、あだやおろそかにしてるとあなたもあたしもあらうふんになるのである。

うちの神さまはオチが見えなくなるとあらうふんまたはあらいやんでごまかすのである。

なにしろあたしが書いてるわけではないので、あたしに文句を言われても困るのであるが、ううう、さらにオチが見えなくなってしまったのである。

戯れ言はさておき、ご親切なことに、足腰が悪く丘の上に登れない参拝者のために、麓の池のほとりに多賀宮遥拝所が設けられているのであるが、あたしはもちろん足腰がものすごく強いので、カメラ片手に颯爽と急峻な98段の階段をスタスタと上がり、後ろ姿が艶姿のおねーさん方をどんどん追い抜いて、あっというまに拝殿前にたどり着いたのである。

なにしろスタスタであるのである。

ノタノタでもノタクタでもペタペタでもなくスタスタであるのである。

これはいるのかとゆーご指摘もごもっともであるが、いらないかもしれないとだけお答えしておくのである。

ううううううう。

まあ、とにかく、祭神が外宮の祭神の豊受大御神の荒魂である豊受大御神荒魂(とようけのおおみかみのあらみたま)であることから、四つの別宮の中で最高位とされるわけである。

荒魂(あらたま、あらみたま)・和魂(にきたま、にぎたま、にきみたま、にぎみたま)とは、神道における概念コンセプションで、神の霊魂が持つ二つの側面のことであるが、荒魂は神の荒々しい側面、荒ぶる魂であるのである。

神はときに天変地異を引き起こし、疫病を流行らせ、人の心を荒廃退廃させて争乱へ駆り立てるわけであるが、この神の祟りは荒魂の表れであるとゆーことができるわけである。

てなことであるから、多賀宮で不遜な参拝をするなんてことはもっての他であるので、作法に気をつけて、慎重にことを運ばなくてはならいのはゆーまでもないことである。

あたしはお告げに従い作法通りにまず鳥居の前で一礼し、さらに拝殿の前で深々と一礼し、それから二礼二拍手の後、全身全霊を持って謝礼御礼気祈念を果たし、一礼し、一歩下がって深々と一礼し、鳥居を抜けてさらに一礼してとっとと退去したのである。

なにしろ古すぎて、壮健の詳細なデータがあるわけもないのであるが、雄略天皇22年(478年)の外宮創祀と同時に創建されたと伝えられており、明治から「大神宮式」を基準とし高宮の表記が廃止され、多賀宮とのみ呼ばれるようになったつーことでご勘弁いただきたいのである。

何をご勘弁いただきたいのかは、後日、折を見て縷縷解説する予定もさっぱりないのであるが、いったいどーすんだこれ。

また、多賀宮専用の忌火屋殿があったが、明治に廃止されたつーことである。

忌火(いみび)とは、宮中、伊勢神宮などの重要な祭にあたって、新しく鑽(き)り出される火のことで、他の神社においても鑽火神事(きりびのしんじ)として行われるのである。

ううう、ディテールをいちいち詳細に解説して行くといったいいつになったら終わるのかわからんようになって途方にくれるのであるが、責任者出てこいっ。

ああ、責任者はあたしだ。

ううむ、ほんまにくだらん。

情けなさで涙が止まらんまま、多賀宮では豊受大神宮(外宮)正宮に準じた祭事が行なわれ、祈年祭、月次祭、神嘗祭、新嘗祭の諸祭には皇室からの幣帛(へいはく)があり、皇室の勅使は正宮に続き、外宮の別宮のうち多賀宮のみに参行するつーことであるから、外宮でも別格の別宮であると言えるわけである。

誰かはたしてこんなどーでもいいことを読んでる人が一人でもいるんだろうかと、そんな愚痴までネタにして、さらに、多賀宮の社殿は外宮に準じ外削ぎ(そとそぎ・神道用語で千木の先端が垂直に切られた形状)の千木(ちぎ)と、五本で奇数の鰹木(かつおぎ)を持つ萱葺(かやぶき)の神明造(しんめいづくり)で南面しており、遷宮のための古殿地(新御敷地)は東西に隣接しているつーことであるが、物見遊山のあたしにはもう限りなくどーでもいいのでなんことやらさっぱりであるのである。

千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)は、神社建築などに見られる建造物の屋根に設けられた部材であるのである。

千木は屋根の両端で交叉させた部材であり、鰹木は屋根の上に棟に直角になるように何本か平行して並べた部材である。

写真を見れば一目瞭然のことを文章にすると興味のないものにはこのようにまったく意味不明になるのである。

ううむ、いかん、どーもちょーしに乗って書きすぎるな。

とっくに尺は足りてるのであるから、いいかげんにやめるのである。

文字が多いと読む気にならんから意味ないがね。

つーことで、荒ぶる神の社をこよなく睥睨して、神にも睥睨されて、あたしの荒ぶる魂はその波動に揺さぶられて、その力は無限に漲ることとなり帰りは一気に階段を駆け下りてすってんころりんしてイテテテであるのである。

すいません、わたくし無理に面白くしよーと思って嘘をついてしまいました。

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