2014年2月26日水曜日

御霊神社(鎌倉市)



鎌倉極楽寺からの道行で御霊神社の看板を見て、おんりょうじんじゃと読むのかと道々思っていたのであるが、おんりょうでは陰陽師を呼ばなくては行けないので、ううむ、これはちがうなと気がついたのである。

人間は記憶による思い込みで個々の世界が構築されているので、まあ、言ってみれば人生すべてが勘違いみたいなもんであるのである。

つーことで、御霊神社(ごりょうじんじゃ)は神奈川県鎌倉市にある神社で旧社格は村社であるのである。

村社とは旧制度の社格の中で、郷社(ごうしゃ)の下、無格社の上てな社格であるのである。

多くは村の鎮守の社などが列格され、社掌(しゃしょう)が置かれていたつーよーなことである。

社掌は同様に旧制度においての神職の職名で、府県社・郷社で社司の下に属し、村社・無格社では祭祀(さいし)をつかさどり、庶務を管理したのである。

まあ、てなことで、旧制度においては、下から2番めてな格の神社であるわけであるが、鎌倉という一大観光地ということもあってか、正月元旦の初詣は大賑わいであるのである。

鎌倉市にはこの名前をもつ神社が2か所あるつーよーなことであるが、この御霊神社は鎌倉市坂ノ下にある、鎌倉権五郎神社(かまくらごんごろうじんじゃ)として知られている神社であるのである。

主祭神は鎌倉権五郎景政であるのである。

鎌倉景政(かまくらかげまさ/平 景政・たいらのかげまさ)は、平安時代後期の武将で、父は桓武平氏の流れをくむ平景成とするつーことであるが、平景通の子とする説もあり、通称は権五郎で、名は景正とも書くのであるのである。

ごんごろうであってげんごろうではないので、あたしのよーに何事も勘違いする向きはお気をつけ遊ばさなくてはならないのであるが、もちろん蛇足であるのである。

そうは言っても、「けづめ」てなことで足が残っている種類(ニシキヘビやボアの仲間)の蛇もいるので、この表現は必ずしも正しい訳ではないんのであるが、どーでもいいのはゆーまでもないことであるのである。

もうゆめろ?

ハイハイ。

御霊神社の正確な創建は不明であるが、この神社は鎌倉幕府開府よりも90年以上も前に鎌倉にあった平氏五家の祖を祀る神社とし五霊神社と呼ばれていた神社であったのが、いつしか、五家のうちの一家である鎌倉権五郎景政公だけを祀るようになり御霊神社となったつーことである。


拝殿右横にある収蔵庫では、入り口の前の料金徴収箱に100円の拝観料を奉納して、面掛行列のお面を見ることができるのであるので、もちろんあたしも大枚100円を奉納奉天してご覧になったのである。

景政公の命日とされる9月18日の例大祭にはそのお面をかぶった氏子さん達による「面掛行列」が行われ、県の無形文化財に指定されているのである。

総勢10人で前の8人が爺、鬼、異形、鼻長、烏天狗、翁、火吹男、福禄寿の面をつけ、その後に黒紋付の裾模様におかめの面をつけた産婆が続くつーことであるが、この日は正月元旦であったので、そんなことはまったくやってないのはゆーまでもないことであるのである。

また同日行われる鎌倉神楽は市指定文化財でもあるのであるつーよーな、実に歴史的有所も含めて、なかなか、香ばしい神社であるのである。

それで、まあ、この動画は正月元旦の初詣のときのロケであるので、雰囲気も目出度く、今後の黎明を感じさせるさわやかな波動が押し寄せてくるわけであるが、それを受けることができたものは幸いであるのである。

祓い給へ清め給へ守り給へ幸はへ給へ。

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2014年2月23日日曜日

虚空蔵堂(鎌倉市)



虚空蔵堂は本来の名を「明鏡山円満院星井寺」といい、極楽寺切通(極楽寺坂)の入口にあるのである。

虚空蔵堂は奈良時代の高僧である行基が彫った虚空蔵菩薩が祀られている御堂といわれ、その霊跡であるつーことであるのである。

聖武天皇の時代、行基が全国行脚の途中で、頭脳聡明、記憶力アップに絶大なる効果があるてな虚空蔵求聞持法を修して、虚空蔵菩薩真言を「のーぼーあきゃしゃぎゃらばやおんありきゃまりぼりそわかあああああああっ」と百萬遍お唱えしてたら、井戸の中に三つの明星が光り輝き、夜も付近を照らしたと騒ぎたて、この現象が七夜も続いたと言い張って、村人の力を借りて、井戸水を汲み出してみると黒く輝く石があったそーであるが、行基は「虚空蔵菩薩が石になって降りてこられた」との考えが浮かんだと主張したのである。

まあ、なにしろ、時の高僧がそんなことを言って騒いでいるので、科学も何もない時代のことであるので、近隣を騒然とさせ、そのことは、都の聖武天皇の耳にも入り、行基に虚空蔵菩薩の像を彫って祀るように命じたつーことであるのである。

まあ、考えが浮かんだのであるので、いってみれば思い込みであるので、脳の錯覚と言ってしまえばそれまでであるが、この時代に脳科学もへったくれもないのであるから、いたしかたのないことで、なにしろ当時の知識人でもあるえらいぼーさんであるから、そら、思いつきでも錯覚でも妄想でも幻覚でもホラでも影響力は大きくて、現在までこの虚空蔵堂は貴重な歴史的資料ということも含めて、世話人護持会他あまたの熱心な地域の信仰者により存続保存されているわけである。

しゅーきょーに関わる奇跡てなものはだいたいが、脳の錯覚、あるいは幻覚、あるいは妄想、あるいはホラ、あるいはプラシーボ効果てなもであるのであるが、まあ、そーいっちゃ身も蓋もないので、これをロマンと捉えて、この世浮世を楽しむのが人生のコツ極意お楽しみであるのであるのである。

ううむ、大霊能者による神のお告げとお告げと称して信仰を集めるべくネット教団象気功を展開する象師匠としては、実に矛盾偏屈変竹林珍竹林な解説であるが、そこはそれ、お笑い教団としての御役目もあるので、なんでも笑ろとけ笑ろとけであるのである。

まあ、とにもかくにも、虚空蔵求聞持法をこれでもかと修し、虚空蔵菩薩真言を百万遍二百万編唱えて、記憶力アップにつとめて、とーだいきょーだい、さらには、はーばーどいえーるけんぶりっじを目指していただきたいが、そんな暇があったらお勉強したほうが、その方面にご使用になる脳神経細胞が活性化するのであるのはゆーまでもないことであるのである。

つーよーな由緒正しい由来を持つ虚空蔵堂であるので、もちろんあたしは心の中で疾風怒濤の素早さで虚空蔵菩薩真言を百万遍お唱えしたのである。

効果があるかないかは、このみごとな魅惑の文体で展開する文章を読めば歴然であるが、ぜんぜん効果がないじゃんと言われれば、返す言葉がないのである。

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2014年2月21日金曜日

常栄寺 ~ぼたもち寺~(鎌倉市)



常栄寺(じょうえいじ)は神奈川県鎌倉市にある日蓮宗の寺院であるのである。

山号は慧雲山(えうんざん)で、「ぼたもち寺」てな通称で知られるつーことであるのである。

常栄寺は妙本寺の右手を数分歩いた路地沿いにあるのであって、これが実に楚々としている小さなお寺であるのであるが、入り口の山門を見ると思いっきり「ぼたもち寺」と書いてあるので、「なんなのかねこれは?」つーことで、カメラを回したのである。

日蓮さんは法華経を唯一の経典とし、まあ、当時は今で言う新興宗教であるので、それを広めるため、1271年頃、辻説法と称して他の宗派の批判批評てなことを言いまくってたら、当たり前であるがあちこちから反感を買ってあれこれ迫害を受けていたわけである。

そんなこんなで、しまいには敵対宗派の讒言箴言により役人にとっつかまって神奈川県藤沢市片瀬南東部にある腰越の龍ノ口の刑場に連れて行かれるつー龍の口の法難てな事件の際、常栄寺のある場所に当時住んでいた桟敷(さじき)の尼と呼ばれる媼(おうな・老女)が、胡麻の餅を捧げたことから「ぼたもち寺」いう呼び名で親しまれているつーことであるのである。

それで、その法難の際に日蓮さんの首を跳ねようとしたらば、嵐が起こり、閃光とともに刀が折れたてな嘘だかホントだかわからん種々の奇跡により日蓮が処刑を免れたつーよーな言い伝えから、その奇跡はぼたもちのせいだねきっとつーことで「御首継ぎに胡麻の餅」といわれる由来となったてなことであるが、まあ、この種の話は尾ひれに尾ひれがつくので、何が真実かはともかくとして、まあ、そーゆーことであるのである。

この桟敷の尼と呼ばれる老女は、将軍宗尊親王の近臣、印東次郎左衛門尉祐信の妻で、夫婦とも日蓮さんに帰依入道していたそーであるが、桟敷の尼は88歳の長寿を全うし、法名を妙常日栄といい、常栄寺の名の由来となったつーことである。

夫婦の墓はいまでも境内にあり桟敷大明神として勧請され、桟敷の尼がぼたもちをささげた際に使用されたといわれる木鉢がいまも常栄寺に保管されているつーよーな大変由緒のあるお寺さんであるのである。

寺の創建は1606年で、開基は日祐法尼、開山は日詔上人で、本尊は三宝祖師であるのである。

三宝とは仏( 釈迦如来)、法(法華経)、僧(日蓮上人)であり、それをひとつの本尊としたものが三宝祖師つーのであるつーことであるが、ふーん、なるほどね、なんて不遜なことを言ってると仏罰が当たることは必定であるので、ありがたいありがたいと三顧の礼を持って帰依するのが正しい対処のしかたであるのはゆーまでもないことであるのである。

ううう、三顧の礼ではお釈迦さんも日蓮さんもあたしより格下になってしまう。

これではどこかのホラ吹き教祖と同じではありませんか。

まあ、どこの教祖かは事細かに申し上げられませんが、おの付く大法螺吹きであるのはゆーまでもないことであるのであるよあーたこれがはははだめだなこれは。

ううむ、文章がどんどんいいかげんになって、能無しの書いた文章のようになってるのである。

しまった、あたしも能無しだった。

オチが着いたところで、現在でもその法難のあったとされる9月12日に御法難会(ごほうなんえ)が行われ、常栄寺より片瀬龍口寺の祖師像に胡麻の餅が供えられ、常栄寺では当日、参拝者には緑茶と厄除けのぼたもちが振る舞われるつーことであるのである。

はてさて、この日は正月元旦であったので、緑茶もぼたもちも振る舞われなかったのであるが、まあ、本堂の前あたりで、霊がけけけと笑ったことは気にしないで、かの大法力の持ち主とほまれも高い日蓮さんを助けるぐらいの霊力をい持つぼたもちの霊験の波動をあなたの霊能アンテナでこよなく受けて、あなたの法難災難厄難を除けて頂きたい。

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2014年2月19日水曜日

成就院(鎌倉市)



成就院(じょうじゅいん)は、神奈川県鎌倉市にある真言宗大覚寺派の寺院で、山号は普明山、寺号は法立寺であるのである。

本尊は不動明王であり、アジサイの寺としても知られるのであるのである。

まあ、鎌倉にはアジサイ寺と異名をとる明月院てなお寺もあるのであるが、その他に長谷観音の長谷寺もアジサイで有名であるのである。

しかし、このロケは正月元旦であるので、アジサイはまったく咲いてなくて、まあ、言ってみればなんのこっちゃであるかもしれないのであるが、あたしはアジサイマニアではないので、べつに文句はないのである。

鎌倉七口の一つである極楽寺坂切通しの途中に位置し、弘法大師・空海和尚が諸国巡礼の折、百日間にわたり、密教マニア膵炎いや水煙いやこれでもない垂涎おおこれだこれだ、とにかくそいつらいや失礼その皆さんがよだれをだーらだーら垂らして喜ぶあこがれの虚空蔵求聞持法(虚空蔵菩薩の真言を百万回唱える修行)を行ったところと伝えられるのである。

まあ、とにかく、正月元旦の初詣のついでの鎌倉神社仏閣巡り物見遊山とはいえ、いやはや、すんごいところを見つけたもんである。

さすがは天下の十三仏真言におけるチャクラ覚醒効果解説者象師匠であるのである。

空海和尚があたしをここにいざない導いてくれたとしか思えないのであるが、空海和尚に聞いて見るわけにもいかないので、定かではないのである。

まあ、とりあえず、虚空蔵菩薩真言、のーぼーあきゃしゃぎゃらばやおんありきゃまりぼりそわかああああああああっ、と心のなかで絶叫したのであるが、この寺のご本尊はもう一方の雄である不動明王であるのでその真言、のーまくさんまんだーばーざらだんせんだーまーかろしゃーだーそわたやうんたらーたーかんまんんんんんんんんんっ、と心の中で絶叫したのはゆーまでもないことである。

なんで心の中かとゆーと、動画の冒頭でも、山門の石段から降りてきた年端の行かないお子様にも「あ、ビデオ撮ってる」と看破されてるのであるから、これが、スマホを構えたおっさんがわけのわからんことを大声で喚きながら歩いていたら通報されておまーりさんに連れて行かれないとも限らないからであるのである。

大霊能者象師匠といえども、世間様の風向きを見ながら処世を施さなければならないのは、お釈迦さんの「あたしの死後は周りに迎合しててきとーに生きなさいね」との遺言にも合致していることであるのである。

まあ、真言の効果については象気功本文をお読み頂くほかはないわけであるが、お釈迦さんが呪を禁じているのは仏教通の方はご存知の通りであるのである。

呪とは呪術、呪法、平たくゆーと「まじない」てなことであり、えーごのMagicつーことであるのである。

真言はもちろん呪であるのである。

ちゃんちゃん。

いや、そーではなくて、成就院の霊気波動を受ければ、これがね、なんだね、元気になるのである。

「嘘つけ、ぜんぜん元気にならんぞ」なんて人は、もちろん修行信心が足りないのである。

命がけで朝から晩まで夜も寝ずに昼寝して不動明王真言を百万回唱えてみてごらんなさい。

しまいにはあたしみたいに身体のどこかが爆発して、おつむが壊れて入院するから。

ちゃんちゃん。

このブログはいったい何が目的なんだ。

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2014年2月16日日曜日

八雲神社(鎌倉市)



八雲神社(やくもじんじゃ)は、牛頭天王(ごずてんのう)・スサノオ(スサノヲ、スサノオノミコト)を祭神とする祇園信仰の神社であるのである。

牛頭天王(ごずてんのう)は、日本の神仏習合における神で、京都東山祇園や播磨国広峰山に鎮座する神であるのである。

また、牛頭天王は蘇民将来説話に登場する神である武塔神(むとうしん、むとうのかみ)と同一視され、インドの釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされる祇園神という祇園信仰の神であるのである。

他に祇園信仰に基づく神社名称としては、八坂神社、祇園神社、広峯神社、天王神社、須賀神社、素盞嗚神社があるのである。

八雲神社の社名は日本神話においてスサノオが詠んだ歌「八雲立つ出雲八重垣妻籠に八重垣作るその八重垣を」の八雲に因むものであり、八雲神社の総本社は京都の八坂神社である。

他のスサノオを祀る神社と同様に、江戸時代までは「牛頭天王社」などと称していたが、明治の神仏分離により「牛頭天王」という社号が禁止されたため、祭神を牛頭天王と習合していたスサノオに変え、社名もスサノオに因んだ八雲神社に変更したものであるのであるが、まあ、時代の趨勢で神様も右往左往させられているわけである。

この時は正月元旦であったので、実におめでたい雰囲気も相まって、その神気霊気もおだやかでこころが和む波動であるが、本来は祭神がスサノオであるので、力の源が奮い起こされる波動を受けるのが本来であるのである。

その膨大な波動の波を受け止めるも受け止めないも、あなたの身体の開き方しだいであるが、別に手を広げて身体を開けと言ってるのではないのは当たり前のことであるのである。

開くのは意識であり、波動を受け止め、体内にその振動を共鳴させるべく意識レベルを上げることであるのである。

あなたの神はあなたの体内にあり、神の波動をいつても受け止める用意はできているのである。

左脳思考を義務付けられた浮世の習いで、あなたの脳がそれを阻んでいるだけのことであるのである。

開くのは実に簡単である、拝殿に向かい、二礼二拍一礼して「ありがたいありがたい」と思えばいいのである。

「ありがたいありがたい」と思った瞬間に、あなたの神は目の前の神と合神し、その波動はあなたの体内の波動となるのである。

「ありがたいありがたい」と思うことは目の前の事象に対して全面的に帰伏することであるのである。

つまり、目の前の神に全面的に帰伏(きふく)することが、開くということであるのである。

帰伏するとは、ギブアップするということであるのである。

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