2014年11月11日火曜日

カオタキアップ寺(タイ・ホアヒン)



タイのホアヒンにあるカオタキアップ寺である。

とんでもない急な石段である。

神社仏閣のご利益はなんといっても石段昇降であるが、いくらなんでも急すぎるのである。

お年寄りや心臓の悪い方には無理難題な角度と段数であるが、まあ、休み休み登れば体力のない人でも登れないことはないのである。

それでも、はるか上にある本堂を階段の下から見上げてギブアップするのか、下の門前町の商店街にある礼拝所で参拝をお済ませになるタイ人の皆さんも多々おられるのである。



しかし、この程度の石段で根を上げていては、神社仏閣参拝をなりわいとする不肖象師匠の名折れになってあそこも中折れでがっかりされるのである。

いきなりしもねたかよとゆー平仮名だけの声をさらりと横に受け流して、石段を上がって途中で下の景色を見渡すと、「ああ、登ってよかった、山登りの醍醐味はやっぱりこれだ、エベレスト征服もかくありなん」と支離滅裂な感想を抱きつつ、頂上の寺院本堂にたどり着くと、本堂内では体力自慢の皆さんが元気に参拝なされているのである。

境内には飲食店もあって、欧米人の観光客がなにやら焼き物をご見学になっているのであるが、べつにあたしは腹がへってないのでご見学にはならなかったのである。

タイの寺院は仏教本来の人間としてのお釈迦さんの教えに帰依するわけであるので、あたしもお釈迦さんの教えにこれでもかと帰依して、ああ、ありがたいありがたいと心にもないことを言霊に乗せてなむなむしたのである。

寺院であるから、なむなむで間違いはないのである。

南無(ナム)とは、サンスクリット語のナマス(namas)およびナモー(namo)の音写で、敬意 、尊敬、崇敬をあらわす感嘆詞で、一般に帰依の同義語として使われるつーことであるのである。

たまにはいいことも言うのであるが、あたしは神社でもじーざすさんの教会でもなむなむするので、しまいにはバチが当たって無間地獄に堕ちるのである。

でも、お釈迦さんは無間地獄なんてとんちきなことはおっしゃってないのである。

あたしは先祖の行きがかりから某宗護寺会役員を務める敬虔なる仏教徒であるので、どこでもなむなむで済ませるわけである。

そんなに面白くならないので、このへんでお開きであるのである。

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