2019年9月19日木曜日

大山阿夫利神社下社の108段の石段を登って神泉大山名水の神氣を受ける



神奈川県伊勢原市にある大山阿夫利神社下社の参道には最後に108段の石段があるのである。

まあ、門前町に当るこま参道の石段が326段であるので、下社拝殿に詣でるにはざっくりと434段の石段を登らなければならないわけである。

まあ、日頃の体力のあるなしに関わらず、ある意味修行であるが、こんな程度で修業なんて言われた日には本職のあたしらからすればちゃんちゃらおかしくてへそが茶を沸かすのである。

だれが本職だ。


まあ、いつものごとく誰も聞きたくない能書きをあれこれたれていてもいたしかたないので、大山ケーブルカーの駅を降りて境内までの参道をすたすたと歩くわけである。


すると階段があるので、これもとんとんと登ると境内に到着の運びとなるのであるが、これを軽やかに楽しむには日頃のスクワットが重要である。


スクワットが十分な人は鼻歌交じりに石段を登り終えるとめでたく鳥居をくぐって拝殿前へと進めるのである。


スクワットが不十分な人はひーこら言いながら何度か休憩を挟めば、めでたく鳥居をくぐって拝殿へと進めるのである。

このくだりはいらんだろ。


鳥居の横には日本遺産と銘がある像がお立ちになっているのであるが、どうも江戸時代の大山詣りのお姿らしいのである。

巨大な木太刀をかついで大山詣りてなことが書いてあるので、江戸庶民はこんなかっこうで大山に登ったわけであるが、まあ、当時はケーブルカーもないし、参道は文字通りの山道で整備されていないし、熊や猪なども出没するであろうから、それらの猛獣と闘いながら登るにはこのような巨大な木太刀が必要だったわけである。

ほんとかよ。

しらんがな。


さて拝殿前ではふざけたりすると神罰てきめんで帰りに石段の足を踏み外して真っ逆さまてなことにもなりかねないので、神妙に100円払って、いや失礼、寄進して、はらいたまえきよめたまいまもりたまえさきわえたまいなむなむと唱えれば、ううう、頭が痛い。

ほらみろ。

だって神仏習合は日本の伝統文化じゃんか。

じゃんかって、あーた。


いったいどこが霊氣と神氣なのかわからんという声も聞こえる昨今であるが、あたしにだってわからんのである。

もちろん神のお告げお指図でこのブログをしたためているのであるから、あたしの書くことは神の御言葉であるのは言うまでもないことである。

ほんとかよ。

だから、しらんがな。


書くというよりは、書かされているという方がより正確な表現であるのはあたしが保証するのである。

なんなんこの文章は、ばかなの?

やんのかこら。

怒ったらあきまへん、神は陽気にならんと降りてきまへん。

笑う門には神来たるである。


まあ、ある程度人生経験を積んで感づいてる人もおられると思うが、不運な人は仏頂面で、幸運な人は恵比須顔である。

人生を少しでも好転させたければ、笑っとけ笑っとけである。



まあ、人を笑わせるのはあたしら手練れのネット芸人といえどもひじょーに難しいわけであるが、自分が笑うのは簡単である。

なんでもいいから朝からニヤニヤ、昼にはわははは、夜にもどわははは、寝たらうへへへ、である。


つまり、神霊も心霊も動物霊も、悪霊は仏頂面に寄り集まり、善霊は笑顔に寄り集まるつーことである。


あなたが、自分はどうも運が無いと思ったら、鏡を見れば一目瞭然である。

眉間に縦じわ、眼は三白眼で、口はへの字のみごとな仏頂面の見本である。

精神状態はいやがおうでも顔に出るのは人体のシステムのいかんともしがたいところであるが、逆に言えば、自分の顔を鏡に映せば精神状態が早わかりであるので、便利っちゃ便利である。


つまりは波動の問題である。

まあ、とにかく不機嫌な人にはなんとなく近寄るのが嫌である。

その「なんとなく」が、その不機嫌な人の発する氣である波動のなせる業である。

波動のみの存在の神や霊がさらに敏感にその波動に影響されるのは、そうとうなあほでもない限り理解できる話である。


深刻になればなるほど良い運は逃げてゆき、楽観的になればなるほど良い運は寄ってくるのである。

陰気になるほど運は下り、陽気になるほど運は上昇するのである。


これはもちろん自堕落だの野放図だの怠惰だの出鱈目だのと違うのは言うまでもないことである。


たとえば、笑うものは古今未曽有の危機にあってもどーゆうわけか生き残り、不機嫌なものはそのまま帰らぬ人となるのである。

ところが常日ごろ不機嫌で仏頂面のものが笑顔になるぐらい難しいことはないのである。

親も先祖も不機嫌遺伝子満載の不運脳であるので、ほぼほぼの人はそのまま親と同じ不機嫌遺伝子を受け継ぎ、治しようもないのである。

たとえ、本人がこのことに気づいて、一大決心をして治そうと思っても、不機嫌遺伝子の呪縛は強烈で、とにかく元に戻ろうとするのである。


このように運命運気は本人の意思とは無関係に方向性を決められ、いやおうなく不機嫌遺伝子を受け継ぎ悪霊を集めることにご執心の人は、この世の地獄の底をのたうち回ってあらいやんとなるわけである。

めでたしめでたし。


それがいやなら無理にでも笑えばいいだけである。

簡単簡単。

わはははははははははのはっはっはーっ。

ほらね。

象気功を読んで怒ってる人は人生を諦めなさいね。

そこかよ。


スピリチュアル  精神世界

2019年5月22日水曜日

高幡不動尊金剛寺の山内八十八ヶ所巡礼



高幡不動尊金剛寺の3万坪余りの広大な敷地内の裏山に八十八ヶ所巡りてな山歩きハイキングコース状態のお楽しみが造られているのである。

コースのつれづれには、明治四十二年開設の山内八十八ヶ所の信徒により奉納された、信徒のお名前入りの弘法大師像がまつられているのである。

平均的な体力の持ち主で通常約1時間程度の山歩きであるが、今回の企画でなにしろお写真を撮りながらの修験道であるので、2時間はかかっているかもしれないのである。

敬虔なる象気功信者のために、艱難辛苦を耐え忍んで、行かずともありがたい八十八か所巡礼と同程度のご利益にあずかれるようにこの動画を奉納したわけであるが、ご利益があるかないかはあなたの日頃の心がけ次第であるのは言うまでもないことである。

そりゃそうだ。


なにしろこれが、八十八ヶ所であるので、史上最強を標榜する霊能者としての欠くべからざる修行とはいえ、ひとつひとつ写真を撮るのは、ある意味とんでもなくめんどくせーのであるなんて言うと仏罰が当たるので、心に思っても言わないのである。

思ってるのかよ。


このコースはかつて愛宕神社のあったといわれる愛宕山に造られていて、頂上付近からは天気がよろしければ富士山も拝めるという、絶景の展望をあれこれできるのである。


ぐるぐる巡って、最後はもちろん第八十八番である。

まあ、これだけ山道を歩き回れば、心肺機能活性化さらには脂肪燃焼ダイエット効果もあるしで良いことづくめであるので、弘法大師に少しでも近づきたいマニアの方は、一日一回山内八十八ヶ所巡りをして、霊格の上昇を目指すことをお勧めするが、あたしゃ二度とやりません。

こらこら。



第八十八番には弘法大師象のお隣に大師堂があるので、その前で般若心経を唱え、光明真言と南無大師遍照金剛を三度繰り返し、山内八十八ヶ所巡拝の結願を心行くまで堪能できるのである。

ああ、しんど。

もう一度こらこら。

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2019年5月16日木曜日

伊豆山神社(熱海市)



伊豆山神社(いずさんじんじゃ)は、静岡県熱海市伊豆山上野地708-1にある神社である。

主祭神は、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)、拷幡千千姫尊(たくはたちぢひめのみこと)と、この二柱の神から生まれた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)である。

瓊瓊杵尊は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の命を受け、三種の神器を携え、多くの神々を率いて高千穂に降った天孫で、いわゆる天孫降臨である。

JR熱海駅の北東約1.5kmにあり、全国各地あちこちにある伊豆山神社や伊豆神社(いずじんじゃ)、走湯神社(そうとうじんじゃ、はしりゆじんじゃ)などの元となった言ってみれば総本社格のエライ神社であるつーことである。


これは、急峻な階段の参道のわきに造られたいわゆる女坂と車道を兼ねた道の入口にある鳥居である。


鳥居の左の柱には奉納小泉今日子と書かれているのである。

つまり、この鳥居をお建てになったのはきょんきょんであるわけである。

もちろん芸能は運気次第であるので、努力よりも神頼みというのがじょーしきのご商売である。

神のご機嫌次第で、ひょんなきっかけで、あれよあれよという間にスターダムにのし上がる人もいれば、そのご機嫌を損ねて、死ぬほど頑張ってるのに奈落の底に真っ逆さまという人も多々おられるのはご存じのとおりである。

伊豆山神社の主たるご利益は強運守護と縁結びであるので、きょんきょんがアイドルから今日までの絶大な人気を保ち続けている強運の背景には、この伊豆山神社の天孫瓊瓊杵尊の威力が垣間見えるそこはかとなき鳥居の存在があるわけである。

ちょっと何言ってんのかわかんない。

サンドかよ。

サンドだよ。

しかし、あちこちの神社を徘徊していると、実に思わぬものにお目にかかるもんである。

きょんきょんは実に神を敬うよゐこだったのであるなあとウソ泣きの涙にくれながら、次に行くのである。


きょんきょんの鳥居の近くにある龍神湯社であるが、これはきょんきょんが奉納したとは書いてないので、さすがに神を敬うきょんきょんもそんなにあれこれやみくもにご寄進するわけではないわけである。

まあ、コスパの問題もあるので、ご利益とご寄進のバランスということであるかもしれないのである。

神のご利益をコスパ呼ばわりである。

この世の根幹は経綸にあるのは当然であるから、神の世界だって当然コスパが優先するのは当然であるとするのが象気功の立場である。

いったい象気功ってなんなんでしょうか。

しらんがな。


まあ、とにもかくにも、神社参拝てなものは、手水社で手と口を浄めてから神との対峙が許されるのである。

特に神は汚いものや臭いものが嫌いであるので、トイレで手を洗った人も洗わなかった人も、口臭がひどい人もそれなりの人も、この手水社でしっかりとあれこれすることが、ご利益を十分に受ける秘訣であるのはいうまでもないことである。


手水社の中にある紅白の龍である。

赤龍は火をつかさどり、白龍は水をつかさどり、その力を合わせて温泉を生み出すつーことである。

二龍の頭が伊豆山の地底にあり、尾は箱根の芦ノ湖に付けて、龍の眼、耳、鼻、口から湯が沸きだすのである。

熱海や箱根の温泉はこのとぼけた顔の紅白の二龍のおかげであるわけである。

陪審員は「とぼけた顔」の発言を無視してください。


はてさて、手水社で身を清めた後は、本殿に向かってれっつらごーである。

ううむ、いくらなんでもいまどきれっつらごーって、言っていいことと悪いことがあると思うが、神様、バカをお許しください。


本殿の賽銭箱に大枚100円を寄進して、作法通りに、「祓え給い、清め給え、神(かむ)ながら守り給い、幸(さきわ)え給え」と声を限りに唱えれば、「すみません、静かにしてください、子供が今寝たばかりです」と乳母車のお母さんから怒られたのである。

もちろん、いるかいないかわからんものより、国の宝人類の未来の赤ちゃんの方が優先であるので、唱え言葉は即座に中止である。

いうに事欠いて、神をいるかいないかわからんもん呼ばわりである。

本当に象気功ってなんなんでしょうか。

だから、しらんがな。


境内にはハートの茅の輪もあって、これをくぐれば恋愛成就、結婚成就かもしれなのであるが、いい年のあたしがくぐると変態あつかいされないとも限らないので、ここは心を鬼にしてくぐらなかったのである。

こんな文章、誰が面白いんだ。

いちいちオチを作らんでもいいと思うが、まあ、お笑いもののインフラであるので、オチでなんぼである。


頼朝・政子 腰掛け石である。

頼朝と政子が境内で恋を語らい、この石に腰かけたつーことである。

遠くいにしえのことであるので言ったもん勝ちであるのはともかく、そういわれてみればベンチの形をしてるかもしれないのであるが、もちろん思い過ごしかもしれないのであるが、ベッドの形をしてなくてよかったと思うのはあたしばかりではないかもしれないのである。

シモネタかよ。


境内からの眺めは、眼下に相模湾と相模灘を望み、絶景であるが、あいにくの曇天でいまひとつである。



伊豆山神社の境内にある雷電社である。

祭神は伊豆大神荒魂・雷電童子(瓊瓊杵尊)である。

雷電社の例祭は3月15日であるので、お好きな方は足を運んでお楽しみいただきたい。

ううむ、こんなとこかな。

終わりかよ。

終わりだよ。

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2019年4月25日木曜日

上田北野神社(東京都日野市)



東京都日野市上田480にある上田北野神社である。

北野神社であるので、本家は京都の北野天満宮で、当然、祭神は菅原道真である。

なにしろものが学問の神様であるから、ありがたいありがたいと拝めば、おつむのちょーしがよくなるかもしれないので、毎年の恒例で暖かくなると脳の異常を感じるあたしは入念にお礼を申し述べたのである。

まあ、脳が異常だと感じる場合は、神頼みよりも医者に行った方がいいのはいうまでもないことであるが、やらないよりはマシのモットーにのっとり一応拝んどくわけである。

菅原道真公に向かって一応呼ばわりである。

創建年代は不明であるが、平野紋弥家邸の屋敷神として創建されたてなことであるので、もとは平野さんという個人の家に招請されたのが始まりということである。

現在地に遷座された年代も不明である。

社格は明治4年村社に設定されたつーことである。

明治十八年には上田村の鎮守神とされ、氏子数は十一戸であったが、大正十四年に覆殿・拝殿・鳥居を築造したのである。

小さいながらも、明治二年以来八坂神社の神職が祭儀を行うという由緒正しい神社である。

上田市の住宅街の真ん中にこの神社があったのである。

神社とみれば参拝せずにおられないのは霊能者としてのお役目である。

霊能なんてそこはかとないしょぼいあれこれは、数限りない銀河とブラックホールに加えて多元宇宙なんて宇宙の仕組みからみると実にナンセンスであるが、まあ、この世がすべて幻想であるとしても、人としてこの世に現されたことによる楽しみのひとつであるのはありがたい限りである。

どんな些細な霊場にも想念が集まり蓄積して、霊氣神氣の波動はいやがうえにも体内の素粒子に影響を与えるのである。

祓い給い清め給え神ながら守り給い幸わえ給え。

ああ、神はなぜに我をこのようなものに造られたのか。

しらんがな。

春はどうもいかんな。

だから医者に行きなさい。

やかましわ。


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2019年3月26日火曜日

浄智寺(北鎌倉)



浄智寺は北鎌倉駅から徒歩で5~6分ほどにある臨済宗円覚寺派の寺院である。

創建は1283年(弘安6年)で、開基は北条師時である。

鎌倉五山第4位で山号は金宝山(きんぽうざん)である。

ちなみに鎌倉五山は、第一位・建長寺、第二位・円覚寺、第三位・寿福寺、第四位・浄智寺、第五位・浄明寺である。

ううむ、オチが浮かばないので、さっさと次にいくのである。


浄智寺の入口である。

正面奥が高麗門てな形式の惣門であるが、この雰囲気だけでも境内の大きさが想像に難くないのである。

当時の鎌倉幕府の権威がひしひしと伝わるあれこれの寺社の広大さであるなあ、てな感動も心の奥底にしまい込んで、いざ惣門をくぐるわけである。

何を言ってるんでしょうか。


さて、惣門から入口を見るとこんなである。

寺社マニアとしてはあちこちから矯めつ眇めつして、その雰囲気やおもむきを楽しむわけである。

ううむ、どうも今一つおもしろくなるポイントがわからん。


惣門の次に、上の写真の正面奥に見える鐘楼門てな名前の山門があるのであるが、動画はこの鐘楼門からのロケである。

鐘楼門をくぐるといよいよ仏殿である。

仏殿はいわゆる本堂であるが、その前では団体さんがガイドのおじさんからあれこれ案内解説を受けているのである。

ついでにあたしも混じってあれこれを聞いてみたが、仏縁にも関わらず、残念ながらまったく内容が入ってこないので、ここでは割愛である。

これは仏様が聞かなくてもよろしいとおっしゃってるのであろうと勝手に解釈して、自らの自堕落をあっちに置いとくわけである。


仏殿の曇華殿(どんげでん)である。

とにもかくにも、この仏殿にお参りして、明日の健康と発展を願うわけであるが、いつものごとく神仏にお願いごとなんて不始末を犯すととんでもない神罰仏罰が下るので、ここは心を鬼にして「ありがたいありがたい」と唱えるばかりである。

だれだって、頼まれごとは嫌であるし、神仏とはいえ、「金持ちになれますように」なんて願った日には、「金貸してくれ」と同義であるということを知らなければならないのである。

逆にお礼を言われれば、誰だって悪い気はしないわけであるから、別になにもしてもらった覚えがなくても、「ありがたいありがたい」と言っとけば、もしかしたら気を良くしてなんかくれるかもしれないのである。

おいおい。


さて仏殿内におられる御本尊は阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来の三世仏であるが、もちろん、いずれも仏陀の化身である。

仏様におかれましても、能力を分担して、いわゆる分業でご利益を下さるわけである。

お一人で全部まかなうのは、いかに全能の仏様といえどもそこは手抜きが出てしまうとも限らんので、役割別に縦割り行政となっているわけである。

しまいに怒られるから、やめなさい。



本堂からは廊下と通って書院つくりの客殿に行けるのであるが、もちろん、許可なく内部を歩き回ると通報されるので、お外からの鑑賞である。


客殿は茅葺屋根のおもむきもよろしいもので、境内の建物をこころ行くまで鑑賞するのもマニアの楽しみのひとつである。


散策路の途中にあるポンプ井戸である。

井戸マニアのあたしらの専門用語ではガシャポン井戸ともいうのであるが、もちろん水をくみ上げる時にガシャポンガシャポンというからであるのは言うまでもないことである。

誰が井戸マニアだ。



上智寺境内にある布袋尊である。

周囲を回っておつむやおなかをなでなでする人が多いのである。

おつむやおなかがこの形状であるのでなでなでしたいのが人情であるが、あたしはなでなでしないのである。


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2019年3月11日月曜日

武蔵御嶽神社の大口真神社



まあ、我が家の恒例のひとつで、毎年この時期に、青梅市御岳山にある武蔵御嶽神社(むさしみたけじんじゃ)に大口真神(おおぐちまがみ)のお札をいただきに参拝するのである。

以前は神社の御師さんが山を下りてお札を配りに来たのであるが、跡継ぎがいなくなって、逆にあたしが山を登ってお札をいただきに行くのである。


このお札を蔵や勝手口や物置などの入口に貼って、災いや怪しい侵入者を追い払うわけである。

まあ、大口真神の通称がおいぬ様であるが、本来はニホンオオカミを神格化したものであるので、「わん」と吠えてどろぼーや災厄を追い払うのかどーかは定かでないのである。

しかし、これまでどろぼーもこれといった災厄もないので、「わん」と吠えて、たちどころに追い払っていただいているのかもしれないのである。


通年は、毎年四月に入ってからの参拝であるので、花も見ごろで、参道は参拝客と犬と登山縦走の皆さんが大賑わいであるが、今年は都合でこの日が3月8日金曜日で気温が8度前後のせいか参拝客もまばらである。

ちょうどこの日は拝殿内で雅楽演奏と神楽舞をご鑑賞できる春季大祭の行われる日であったのであるが、受付時間の11時までに到着できなかったので実に残念である。

動画で流れる祝詞はその祭礼のものであるが、祭礼には受付で1000円払ってどなたも参加できるので、来年は必ずや11時までに到着することを心に深く誓ったのである。

来年まで覚えてるわけねーのである。


まあ、とにもかくにも拝殿に詣でてから、奥にある大口真神社(おおぐちまがみしゃ)までロケを敢行して、その霊氣神氣を心行くまで堪能して、この先一年の災難除けと運気上昇は確約されたわけである。

勝手に確約して怒られないのかと思う向きもあろうが、何事もやらないよりはマシであるのは言うまでもないことであるので拝んどけ拝んどけである。


さらに、大口真神社の手前にある常磐堅磐社(ときわかきわしゃ)にもご参拝申し上げて、さらに運気は天にも昇る勢いである。

常磐堅磐社は崇神天皇・景行天皇・安閑天皇・清和天皇と狭依比売神ほか96柱を祭り、諸国一宮祭神といわれ、実に霊験あらたかであろうことは推測に難くない、神様満杯のお社である。

一神教とは違って、多神教の日本神道は実に楽しみの多いしゅーきょーである。

そら多勢に無勢で、神様だって多い方がご利益が多いのは理の当然である。


まあ、人の運気なんてもんはお亡くなりになってみなけりゃわからんわけであるが、死んでしまえば運気もへったくれもないので、結局、どーでもいいわけである。

いずれにしても自分の意思とは無関係にあれこれ決まり、否応なくあれこれが勝手に進行するのであるから、何事も諦めて、なるように流されて生きることが肝要である。

そうはいっても、わかっちゃいるけど無駄な悪あがきがやめられないのが人生で、まあ、その悪あがきが人生の楽しみでもあるわけである。



参道の途中に樹齢600年と言い張る御岳の神代欅(みたけのじんだいけやき)てな巨大な欅の大木があって、その欅の手入れが行われていたのであるが、これが絶壁に足場を組んで植木屋さんあるいはトビの皆さんが数人登って大騒ぎである。

あたしゃ高所恐怖症であるので、下から見てるだけでも目が回りそうである。

だから、あたしにトビや植木屋さんてな職業はどーやってもこーやっても無理である。

人間の職業に向き不向きがあるのが、この一事からもよーくわかるわけであるが、しかし、その向き不向きがなかなかわからない上に、向いてない職業が好きである場合が多々あるので、これが世の中の大半の人の人生がうまくいかない原因である。

もちろん大きなお世話である。

あたいがたいありがたい。

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2019年2月2日土曜日

東慶寺(北鎌倉)



東慶寺(とうけいじ)は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗円覚寺派の寺院である。

山号は松岡山で、寺号は東慶総持禅寺である。

東慶寺でもらったパンフレットの寺伝によると、弘安8年(1285年)に時宗夫人の覚山志道尼(かくさんしどうに)によって開創され、以来明治に至るまで本山を持たない独立した尼寺であったのであるが、現在は円覚寺末寺の男僧の寺である。

後醍醐天皇皇女が護良親王の菩提を弔うために入寺し5世用堂尼とたったことから御所寺、松岡御所と称せられ、江戸時代には豊臣秀頼息女が20世天秀尼となり、縁切寺法を徳川幕府に認めさせ、松岡御所は一段と格式のある寺となったのであるつーことである。

群馬県の満徳寺(まんとくじ)と共に江戸幕府寺社奉行も承認する縁切寺として知られ、当時は正式に女性の離婚に対する家庭裁判所の役割も果たしてということである。

もうわかりましたから、このへんで。


来る前には勝手になんとなくこじんまりしたお寺さんのイメージを抱いていたのであるが、これが意外や意外の広大な敷地で、入口から山門までがこの通りの距離である。

山門で拝観料をお支払いするのであるが、無人で、勝手に箱に200円を入れて、置いてあるパンフレットを勝手にもらうのである。

もちろん無人とはいえ拝観料をごまかすなんてえのは、富豪気功家象師匠の沽券にも股間にもかかわることであるので、ロケの前に、気前よく2個の100円玉を、例によって「つりはいらねえよ」と景気よくお支払いしたのは言うまでもないことである。


だいぶ前に公開された某映画で、縁切りのために女性が階段を駆け上がって駆け込む山門は、この写真の奥に見える山門であったのは論を俟たないところであるが、現地のロケなのかセットなのかは定かでないのも論を俟たないところである。


境内から山門を見てもこの広さで、通路の両側にあれこれの建物があり、整備も手入れも行き届いているのである。

本来は四季を通して境内に花が咲き乱れるのをご鑑賞できる楽しみを売りとしているが、当日が正月の2日という厳寒の時期であったので、枯れ木の枝ぶりと枯れ野を心行くまで堪能できるのである。


パンフレットによるとここは菖蒲畑で、建物は白蓮舎てなお名前の立礼席(りゅうれいせき)の茶室である。

立礼席は、裏千家十一世玄々斎が創案した作法で、椅子に腰掛けて行うお点前である。

しらんがな。


境内のほぼほぼ中央に泰平殿と呼ばれる東慶寺本堂があり、入口はがらりと開け放たれているので、どなたも心ゆくまで本堂内をご観覧できるのである。


本堂内には波羅蜜と扁額がかかり、ライトアップされた奥にご本尊の釈迦如来が神々しく光り輝いているのである。


ぐぐっと寄ってみると、本尊の左には二十世天秀尼像が鎮座し、右には開山覚山尼像と五世用堂尼像が鎮座しておられるのである。

ううむ、興味がないので、これ以上どうしていいかわからない。



この建物は単なる住職のお住いに見えるが、東慶寺の書院である。

当初の書院は、1634年(寛永11年)に徳川忠長屋敷から移築されたものだったが、1923年(大正12年)の関東大震災で倒壊したため、現在の建物は、その当時の間取りで大正期に再建されたものである。

誰か読んでる人いるのかね。


境内の通路の奥に鎮座する釈迦如来像である。

もちろん、ありがたいありがたいと連呼して、やらないよりはマシのご利益をあれこれしたのは言うまでもないことである。

なんでもおがんどけおがんどけである。

それを仏縁というのである。

なにもしないよりは、仏に縁があるわけである。

ものすごく根拠が希薄である。

大きなお世話である。


右の建物は松ヶ丘宝蔵である。

ここには重要文化財の聖観音菩薩立像や東慶寺文書、初音蒔絵火取母、葡萄蒔絵螺鈿聖持箱をはじめとして、多くの文化財が展示されているのであるが、ご鑑賞は要予約である。

もちろん予約などしてるわけがないので、お外からのご鑑賞である。

これも仏縁である。

なむなむ。

おまえ、まったくのアレだろ。


茶室の寒雲亭(かんうんてい)の門である。

前述したとおり、当日は正月の2日であるので、正月飾りがかけてあるのである。

寒雲亭は裏千家茶人・千宗旦が建てたのを始まりとする裏千家で最も古い茶室である。

もちろん中に入るには、あれこれの手続きが必要であるので、これもおお外からの門のご鑑賞である。

まあ、この門の屋根の苔の具合いがなんともそこはかとない風情を醸し出しているのである。

だから、しらんがな。


さて、このなんの変哲もない石は、神社仏閣でときおり見かける「さざれ石」である。

なにしろ国歌にも歌われるさざれ石であるので、この石にすごい言われがあるのか、出入りの植木屋さんがもってきたのかはさておいて、それがなんであれ、ありがたいありがたいと連呼して、おげんどけおがんどけであるのはあたしのモットーである。

モットーかよ。

てな一人ツッコミでお楽しみであるが、実はこのモットーが象気功の神髄で、なんでもありがたいのであるから、この世は極楽である。

困難苦難でさえありがたいのであるから、常によろしいホルモンが大放出で、細胞は大喜びである。

こじつけかよ。

うるせえよ。


この石というのか石碑というのか、これはいったいなんだろうと寄ってみると、なんか書いてあるのである。


「女作者はいつも、おしろいをつけてゐる この女の書くものはたいがい、おしろいの中からうまれてくるのであろう」てなことが書いてあるのである。

調べてみると、東慶寺に墓のある作家の田村俊子さんの碑であるらしいのであるが、あたしゃ俊子さんの作品をお読み申し上げたことがない上に、さらには、これから読むこともないので、すまん。

俊子さんには、とりあえずあやまって、ありがたいありがたいとなむなむしたのは言うまでもないことである。

しまいに誰かにものすごく怒られそうな気がするが、無理にでも笑いを取ろうとするのは、お笑いネット芸人の習性であるのでしょーがないのである。

とにもかくにも、人間は意図的に笑いをとれるようになって一人前である。

こんなんで誰が笑うんだ?。

そう言われるとぐうの音も出ません。


東慶寺の鐘楼である。

みりゃわかるのである。

これが鐘楼以外のものに見えたら病院に行かなくてはならないのである。

東慶寺の鐘楼は大正5年に建てられ、大正12年の関東大震災で唯一倒壊しなかった建築物である。

さすがは釈迦如来のご利益であるが、これが唯一ということは、その他は全滅ということであろうから、ううむ、どうなんだろうか。

掘り下げるのややめよう。

楽しんでいただけましたでしょうか。

無理だろ。

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