2021年6月16日水曜日

石楯尾神社(名倉権現)


象気功

神奈川県相模原市緑区名倉に鎮座する石楯尾神社(いわたておじんじゃ)は、「名倉の権現さま」とも呼ばれ、2000年以上の歴史を持つとされる神社である。

明治に入って中央本線の鉄道工事により撤去されるまで当社の東方にあったとされる信仰対象のエボシ岩の西端(相模川)が、桂川に面して楯の様に切り立った岩が屹立していたことから石楯尾(いわたてお)とを呼ばれる由緒であるかもしれないのである。

かもしれないのかよ。

まあ、ええから早よ先に行け。

ハイハイ。

意外に素直ね。

また、このえぼし岩から見て当社は尻尾の方に位置することから、「石楯尾(いわたてお)」と呼ばれるようになったともいわれる由緒であるかもしれないのである。

どうしても、かもしれないのかよ。

この地に産土神として鎮座し、古来より崇敬を受け、天安元年には神階従五位下を授けられ、その後延長5年(927)に作成された延喜式神名帳にも記載されている延喜式内社である。

そこはかもしれないだろ。

三段落ちのセオリーを守れよ。

ちょっとなに言ってるのかわかんない。

一説には源頼朝も祈願所として御墨印七十五石余を寄進、奥三保18ヶ村・川入郷7ヶ村25ヶ村の総社でしたが、三増合戦により焼失し、江戸期には名倉村のみの鎮守社となったということであるが、しらんがな。

しらんのかよ。

明治維新後の神仏分離令により社格制定に際して郷社に列格、相模式内十三社の一社となったのであるが、しらんがな。

どうしてもしらんのかよ。

この神社の由緒看板をよーく読んで楽しみたいところであるが、ごらんのように、写真の光の加減ではなく老朽化のために上のほうはかすれて読めたもんじゃないので、あたしが書き出すのである。

こんなめんどくさいことを自堕落なあたしが行うのも神の御意志である。

なむなむ。

神社だったら。


総産土神 延喜式内 石楯尾神社(通称名倉の権現様)

※御祭神 総産土神 石楯尾大神(石楯尾神社に鎮まりになってる神様)

※由緒

天然の神籬磐境であるエボシ岩関係の神様の必要あって御くだりになった所の産土地に建てられた産土の神社であるので、総産土神と申しあげ、高位の神々様が数多くお鎮まり遊ばされて居り、創立は今より二千年以上前の、崇神天皇より前のようであり、応神天皇が御臨幸遊ばされたとの記録もある。  

今から一千百二十年前の文徳実録に、天安元年五月丙辰、従五位下石楯尾神官社に預かるとあり、相模国只一社の官社である。  

今から一千八十年前の醍醐天皇の御代編纂の延喜式の神名帳に相模十三社の一の延喜式内社と記録されている。  

源頼朝が祈願所として御墨印七十五石余を寄進、七つの大鳥居を建てたと、今神社の近い所に鳥居原の地名が残っている。  

後柏原天皇文亀三年(四七五年前)二条関白殿下十六世後胤監物大夫陽近が勅使として参向、本殿等七十五ヶ所の御造営をした。  

奥三保十八ヶ村・川入郷七ヶ村都合二十五ヶ村総社として崇敬されたが、三増合戦の禍を受け、東山天皇永禄十二年(四一二年前)十月十八日、武田信玄の為、社殿悉く烏有に帰し、古記録まで焼失した事は惜しい事であった。 

後に再建されたが、享保二年祝融の災いにあい、現在の社殿は、中御門天皇享保九年(二五三年前)に建築されたもので、光格天皇文化五年(一七二年前)文化六年には神祇官より幣帛が献上されて今に残り、明治六年社格制定に際しては、津久井郡内只一社の郷社に列した。

明治四十四年末社が合併され、大正十二年二月五日神奈川県告示第二十六号により、幣帛指定神社に指定され、昭和四十三年一月二十四日神奈川県神社庁献幣使参向神社に供進された。

石楯尾神社々務所 

  

※由緒確定までの経過  

私が神職になった大正十一年の頃は、神社明細帳の由緒は「元亀元年焼失につき不詳」となって居て、困った事だと思った。

津久井郡内只一社の郷社であるので、国では資料があると思い、神社昇格願・明細帳訂正願など文献を調査して七回出し、二十ヶ年の歳月を要して、昭和十七年一月二十六日、神社明細帳の訂正が許可され、延喜式内社である事を国家が承認した。  

昭和二十年敗戦により、世が混乱し、自由の世となり異説が出て来た。

之を正すために、御祭神の御導きによる実態の御示し、正論の証明が過去の文書として発見され、之により、名倉の石楯尾神社が延喜式内社である事が実証された。

これまで六十五年の歳月を要した。

尊い石楯尾大神の御導きの賜であるので付記する。

宮司 濱野壽雄 記


てなことが書いてあるわけだが、ああ、死ぬほどめんどくさかった。

マニアの方はこれを何度も心行くまで堪能して「なるへそ、これはすごい、さっそく拝んでご利益を受けよう」と感動していただきたいのである。

なむなむ。

だから、神社だったら。

「権現」とは、「権」は仮の意を表す仏教用語で、仏や菩薩が衆生を救うために、日本の神に姿を変えてこの世に現われるてなことであり、また、その現われた神のことである。

あーそうかよ、そりゃよかったな。

なんか浮いてて、ああ、恥ずかしい。

さてさて、なにはともあれ、神社に参拝するときは手を洗い口を漱いで身を清めてから神に相対したいものであるが、時期が時期だけに新型コロナ感染防止の観点から手水舎には水がなく、身も心も穢れたままの参拝である。

心も穢れてるのかよ。

この神社に鎮座する2000年以上の歴史を持つ神も、つい最近作られた生物兵器とも言われる新型コロナウイルスには手も足も出ないという事態であるなんてことは言いません。

さらに、配祀(はいし・主祭神にそえてまつる神)として、事代主神(ことしろぬしのかみ) 、日本武尊(やまとたけるのみこと) 、護良親王(もりながしんのう) 、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、保食神(うけもちのかみ) 、天村雲命(あめのむらくものみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと) 、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、火産霊神(ひむすびのかみ) 埴山姫命(はにやまひめのみこと)、水波能売命(みずはのめのみこと) 、菊理姫命(くくりひめのみこと)の12柱の神々を祀るのである。

本当にこれ読んでる人いるとは思えんが、さらに続けるのである。

あんたも好きね。

はいな、この世はなにごとも神頼みの神マニアじゃけんね。

じゃけんて。

こらこら、字数が多すぎて読むのがめんどくせーなんて言ってるのは誰だ。

こんな誰も読むわけもねー文章を書く方だってそうとうめんどくせーぞ。

そんなことを言うやつにはひどい神罰が当たりますように。

ああ、あたしだ。

いちいちボケるのはやめろ。

まあ、とにもかくにもこのように多くの神々の神氣を受ければ運気はいやがうえにも高まり、日本の明日を背負う覚悟は必然的に備わってあれこれするのは必定である。

てきとーに書けばいいてもんじゃねーだろ。

だからいちいちうるせーったら。

誰に言ってるの?

お前は解離性なんとかかよ。

いやん、バレちゃった。

病院に行け。

拝殿の中はこんなである。

奥の引き戸を開けると本殿に廊下でつながっているはずである。

はずかよ。

外から見ると、拝殿から本殿にはこのようにつながっていて、本殿の建物は保存の観点からかショールームのようにガラスで囲まれているのである。

基本的に神社の構造としては普通といえば普通であるが、まあ、神社マニアとしてはじっくりとながめて「ああ、悠久の歴史を感じる」なんて寝言をほざくわけである。

ガラスの中に見えるのが本殿である。

おそらく、ここに石楯尾の大神様が鎮座されておられるのである。

おそらくなの?

稲荷神社(いなりさま)である。

商売繁盛五穀豊穣である。

稲荷社(いなりしゃ)は稲荷神を祀る神社で、京都市伏見区深草にある伏見稲荷大社が神道上の稲荷神社の総本宮となっており、神仏分離の際、稲荷神社は多数の神道系と少数の仏教系とに分かれたつーことである。

もちろんこの稲荷神社は神道系ということになるわけであるが、詳細はしらんがなである。

だったらえらそーに解説するなよ。

この石楯尾神社名倉権現には多数の境内社があるので、どちらの神様も公平にお写真に撮って供養するのである。

こらこら、供養は違うぞ。

御嶽神社(みたけさま)である。

御嶽神社(みたけじんじゃ)は、蔵王権現を祭った神社である。

金峰神社・金峯神社( きんぶ、きんぷ、きんぽう、みたけ)ともいい、総本社は吉野金峰山寺の蔵王権現堂である。

ほんまに飽きちゃったので、もうやめたい。

神に仕える象師匠としてのお役目を忘れてわがままばかり言うんじゃないっ。

へいへい、わっかりましたー。

春日神社(かすがさま)である。

春日神社(かすがじんじゃ)は「春日」を社名に持ち「春日神」を祭神として、全国に約1000社あり、奈良県奈良市の春日大社を総本社とする神社である。


蔵祖神社(ぞうそさま)

宮野の子氏神、中村原から移す。

なるほどね。

しらんがな。

もうひとつ稲荷神社である。

神様はいくつあってもいいものである。

ううむ、それ以上言いようがないのである。

疱瘡神様(ほうそうがみさま)である。きっと疱瘡予防の神様なんだろうね。

新型コロナ神様も作ろう。

なんでやねんっ。

ああ、いいのか。

天満天神宮(てんじんさま)。

天満天神とはご存じの通り学問の神様菅原道真公の神霊であり、また、その神霊を祀る神社のことである。

拝めばあたしのようなIQ98のバカでも少しだけマシなバカになるのである。

え~ん、少しだけかよ。

泣くなっ。

住吉神社(すみよしさま)である。

住吉神社は、全国に約600あり、主に住吉三神を祀る神社である。

住吉三神とは、「日本書紀」では主に底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・表筒男命(うわつつのおのみこと)、「古事記」では主に底筒之男神(そこつつのおのかみ)・中筒之男神(なかつつのおのかみ)・上筒之男神(うわつつのおのかみ)と表記される3神の総称である。

ううむ、暴れたくなってきた。

日月両宮(にちげつさま)。

和智の子氏神、坊原の西端から移す。
まだあるのかよしかし。

終わんねーぞこれ。

大丈夫、ものごとは始まればどんな形であれ必ず終わるのである。

そらそうだ。

浅間神社(せんげんさま)である。

浅間神社(あさまじんじゃ、せんげんじんじゃ)は、「浅間」を社名とする神社で、主に富士山に対する信仰(富士信仰・浅間信仰)の神社である。

ちなみにあたしが御幼少のみぎりに近所の浅間神社の宮司さんが「おお、この子は将来つかみきれない金を手にする」と言ったのであるが、「こっこの大ウソつきーっ」なんてことを言うと神罰が当たって地獄に落ちるので言いたくても言いません。

春名神社(はるなさま)である。

榛名神社(はるなじんじゃ)は赤城山・妙義山と共に上毛三山の一つとされる榛名山の神を祀る神社で、現在の主祭神は火の神・火産霊神と土の神・埴山姫神である。

春名神社と妙義山神社には過日参拝してるので、いわば神様と再会であるが、「おお、よく来たな」なんて神の声が聞こえたら病院に直行しなければならんのである。

福の神大国様(だいこくさま)大国主神である。

「昔富士神界の中心地のなごり(日待も行はれてた)」だそうである。

ちょっと何言ってるのかわかんない。

わかってやれよ。

大国主神(おおくにぬしのかみ)は、日本神話に登場する神であるが、 国津神の代表的な神で、国津神の主宰神とされ、出雲大社・大神神社の祭神である。

あーそうかよ、そらよかったな。

興味ないのがバレバレじゃんかよ。

じゃんかよってどこの生まれなんだよ。

もちろん大森生まれの川崎経由の湘南育ちよ。

意外に複雑だな。

八幡神社(ははちまんさま)である。

八幡宮(はちまんぐう)は、八幡神を祭神とする神社であり、八幡神社、八幡社、八幡さまとも表記・呼称され、 全国に約44000社あり、大分県宇佐市の宇佐神宮を総本社とするのである。

だからなに?

しらんがな。

そんな無責任な。

だってしらんものはしらんがな。

もうええ、あっちいけ。

なんでやねんっ。

それ好きでんなー。

県指定天然記念物の二本杉である。

お暇な人はこの看板をじっくりと読んであだやおろそかにしょんべんかけたりすると怒られるのである。

最後に下ネタかよ。

絵馬にもなむなむ。

やめなさい。

いいじゃん、なんでも拝んどきゃ。

これしまいに苦情がくるぞ。

2021年5月30日日曜日

軍刀利神社(ぐんだりじんじゃ)

 

軍刀利神社(ぐんだりじんじゃ)は山梨県上野原市棡原4133にある日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀った神社である。

だから何だといわれても困るが、ご利益は健康祈願・無病息災・商売繁盛・千客万来・家内安全と、軍刀利という字づらからは想像できないごく家庭的なご利益である。


「ぐんだり」の名称でお気づきの方はお気づきの通り、かつては「軍荼利夜叉明王社」と称し、軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)を祭神とする神社であったが、明治の神仏分離令でやむなく「軍刀利神社」に改称したわけである。

軍荼利明王は、密教の尊格である明王の一柱であり、宝生如来の教令輪身(きょうりょうりんじん)とされ、五大明王の一尊として南方に配されるのである。

これらのことからこの神社は古神道と真言密教に通じた修験者によってこの地に勧請されたと言い張るものもいるが、どーだかわからんのは言うまでもないことである。


また、密教では、軍荼利明王は疫病をもたらすといわれる毘那夜迦天(びなやかてん・インドのガネーシャ)を調伏するといわれており、チベットでは十忿怒尊(じゅうふんぬそん・チベット密教を含む後期密教の尊格で、いわゆる日本の明王)のヴィグナーンタカとなり、象頭神(ガネーシャ)を踏んづけるという、象気功の守り神ガネーシャが踏んだり蹴ったりのとんでもないヤカラである。

明王は密教における最高仏尊大日如来いわゆるお釈迦様の命を受け、仏教に未だ帰依しない民衆を帰依させようとする、あたしら神も仏もない地獄の底をズルズルと這いまわることを趣味とするものには大きなお世話の役割を担った仏尊を指す名称である。

人の趣味てなものは千差万別で面白くもなんともない蓮の花に乗って極楽ご満悦のものもいれば、あたしのように泥の中に潜って蓮根を食って地獄の底を這いまわることをこよなく愛する趣味のものもいるのであるから、ほっといてもらいたいもんである。

何言ってるの?

しらんがな。

なんのくだりやねん。

だからしらんがな。

だいたいがお釈迦さんはこの世の成り立ちを縁起という概念で解き明かしたのであって、あたし同様に神なんてチンケなもんは認めておられまへんで。

だから、軍荼利明王なんたらにあれこれ言われる筋合いは金輪際おまへん。

そー言っちゃおしまいやがな。

話を戻して、「天」と名の付く天部の神々(毘沙門天、帝釈天、弁才天等)と同様に、明王は古代インド神話に登場する神々であるが、特に夜叉や阿修羅と呼ばれた悪鬼神が仏教に包括されて善の神となった者が多いのが特徴である。

もちろん軍荼利明王も元は夜叉の仲間である。

これもお気づきの方はお気づきの通り「軍荼利」はサンスクリット Kuṇḍalī (クンダリー)の音写語である。

クンダリーはヒンドゥー教の女神で、一種の夜叉とも解されるが、夜叉は古代インド神話に登場する鬼神で薬叉(やくしゃ)とも称し、のちに仏教に取り入れられ心を入れ替えて護法善神の一尊となった神である。

またクンダリーはシャクティを表しているとされるが、シャクティ(サンスクリット語: शक्ति, Śakti)とは、ヒンドゥー教またはインド哲学における宇宙の根理のことである。

けっ、なーにが宇宙の根理だ、笑わせんじゃねーよなんてことは言いません。

言わねーのかよ。

言いません。

じゃあ、言うな。

なんのくだりやねん。

ちゃんちゃん。

師匠ったら、もう飽きちゃったのね。

気持ちを立て直して、「クンダリー」はヒンドゥー教の修行法のヨーガのひとつであるハタ・ヨーガにおいて、尾てい骨のムラダーラ・チャクラに住み着く3回半巻きついた蛇として表わされるのである。

これは2回では少なすぎて4回では多すぎるので3回半というところがちょーどいい巻き付き具合いということであるのかどーかは、なにしろ脳が小さくて思考力皆無のバカの蛇のことであるから、理由を聞いても無駄であるのはいうまでもないことである。

これ、まじめに読んでいる人いたらごめんねごめんねー。

ゆーじこーじかよ。

神仏をバカにしてると、しまいに仏罰と神罰で地獄を這いまわることになるぞ。

もう、とうに地獄の底を這いまわっとりますが、さっきから這いまわるのが趣味だゆーとるやろが、大きなお世話だまったく。

クンダリーには「クンダリー」ないし「クンダリニー」 (kuṇḍalinī) という生命エネルギーが集積されているとされ、クンダリニーはシヴァ神の力能(シャクティ・宇宙の根理)としての女神といわれているのである。

なーに言ってやんでえ、シャクティだの宇宙の根理だの、何回も笑わせんじゃねーよなんてことは言いませんが、そのクンダリニーを象徴化したものが密教の軍荼利明王である。

支離滅裂かよ。

生命エネルギーの集積であるクンダリニーをいわゆる「覚醒」させて中央脈管・スシュムナーを上昇させ、いるわけもないシヴァ神と頭頂部で結合させた時にあるわけもない「解脱」が得られるというアホの頂点を目指すのが、スピリチュアルバカが大好きなクンダリニー・ヨーガである。

クンダリニーは、耳環、腕環、螺旋、巻き毛などを意味するサンスクリット語クンダラ(kuṇḍala)の派生語クンダリン(kuṇḍalin、「螺旋を有するもの」の意)の女性形主格である。

ちょっと何言ってるかわかんない。

あたしにだってわかりませんよ。

インド研究家の伊藤武さんいわく、クンダリーはヨーガのクンダリニーの起源であり、元は非アーリヤ系の不可触民に起源をもつこの女神が仏教に取り入れられて、日本に伝わる途上の中国で性転換させられて女神から男尊の軍荼利明王になったというようないらん情報も尺稼ぎに一応書いとくのである。

つまり、クンダリーは種々のインド哲学の概念を意味する語としても用いられるが、元来は「性的能力」を意味する女性名詞であったものがいつの間にか男性名詞にすり替わったということである。

とは言うものの、昨今では、哲学的な意味合いは失せて、いわゆるクンダリニー・ヨーガはその性的能力を昇華させてナンセンスな「超能力」を得ようというおっちょこちょいどもに大人気であるが、何の役にも立たない上に、ともすると人生の貴重な時間を膨大に無駄にするメソッドである。

何度も懲りずにチャクラの暴走を招いて人生の大半を無駄にしたクンダリニー・ヨーガマニアのクリシュナ・ゴーピさんと同様に、全身のチャクラの暴走を招いて4年間もほぼ寝たきりという人生を送ってみごとにとんちきを証明したあたしが言うんだから間違いないのである。


それはともかく、神社の拝殿の右横に巨大な剣が立つのは日本武尊が東征の帰りに三国山の山頂で草薙(くさなぎ)の剣を祭ったことに由来し、現在の神社の名称にもつながっているそうである。


軍神である日本武尊が祀られていることにより戦国武将の信仰を集め、武田信玄の崇敬を得たということも知られているのである。


てなことで、かつての大戦中においてもこの神社は軍神として信仰され、各地から参拝者が来られたそうであるが、昨今は選挙のときの参拝も多いということである。

現在はコロナ禍の真っ最中であるので、参拝者は神社仏閣マニアらしいバイクと自転車のおにーさんを2人見かけた限りであるが、社務所の周囲に駐車場が十数台確保してあることから判断するに平常時の土日祭日はそれなりの人気であることがうかがえるのである。

てなことでお帰りはいわゆる女坂である。


2021年1月15日金曜日

秋葉神社(甲州市)


山梨県甲州市塩山上於曽にある秋葉神社である。

秋葉神社(あきはじんじゃ、あきばじんじゃ)は、日本全国に点在し、神社本庁傘下だけで約400社ある神社である。

祀られた祭神の多くは神仏習合の火防(ひよけ)・火伏せの神として広く信仰された秋葉大権現(あきはだいごんげん)である。

この甲州市の秋葉神社は塩山の地名の由来にもなった「塩ノ山」の西の裾野にあり、向嶽派の大本山である向嶽寺の境内に鎮座し、いわゆる神仏混合の形態で向嶽寺の鎮守として祀られているのである。

創建は元文四年(1739)で、祭神は火伏せの神の「火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)」である。

あたしゃ基本的に境内に集積する氣には興味があるが、神仏の由来にはとんど興味がないのでだんだん文章が怪しくなるが、何しろこのブログ自体がいわば氣を解析する神事であるので、あだやおろそかにおためごかしを書くと神罰も仏罰もてきめんに当たるのは言うまでもないことである。

何言ってるの?

もちろん象気功信者におかれましては心して拝読し、霊氣神氣のご利益を受けて「ありがたいありがたい」と手を摺合わせて拝み倒すことが重要である。

神がいるいないはともかくとして、拝むものがあったら拝んどけば間違いないのである。

宇宙の組成からしても神なんか片腹痛いとたかをくくっていて、万が一、神がいるとしたら、「このやろう、素通りしやがって」と神の恨みを買ってえらい目にあわないとも限らないからである。

拝むのには経費は1円もかからんので、もしかしたらご利益で丸儲けということもあるわけである。

とにかく神仏に出くわしたら拝んどけ拝んどけである。

もちろん、あたしはいつものごとく清水の舞台から飛び降りた気持ちで大枚100円を払って拝み倒したのは言うまでもないことである。

★ただいま大変不適切な発言がありましたので訂正してお詫びいたします。

払って→寄進して

何度も解説しているが、神仏のご利益を望むのであれば、拝むときにも神の機嫌をそこねないようにひたすら「ありがたいありがたい」と唱えるのがコツである。

コツかよ。

神といえども、見ず知らずの者に「火災から守って下さい」だとか「交通事故に遭わないように」だとか「宝くじが当たりますように」だとか「入学試験に受かりたい」だとか、「あの人と結婚したいのうふん」だとか、はした金で勝手な依頼をされたら怒るのは当たり前である。

あたしなんかは大枚100円の身銭を切っても「ありがたいありがたい」とお礼を述べるのみである。

誰だって、お礼を言われりゃ悪い気はしないのである。

「初対面で礼なんか言いやがって、ふざけた野郎だ」なんて思うやつはいないのである。

神をつかまえて「やつ」かよ。

てなことで、ありがたいありがたい。