2013年5月8日水曜日

秩父神社



秩父神社(ちちぶじんじゃ)は、埼玉県秩父市番場町1-1にある神社であるのである。

最寄駅は秩父鉄道秩父本線の秩父駅から徒歩3分で、さらには西武鉄道西武秩父線の西武秩父駅からも徒歩15分とゆー絶好の立地であるが、べつにアパート、マンションを借りるわけではないので、不動産屋さん的にはどーでもいいかもしれないのである。

式内社、武蔵国四宮で、旧社格は国幣小社であり、現在は神社本庁の別表神社であるのであるが、神社マニア以外の読者にはなんのことかさっぱりわからないかもしれないし、なんの興味もないかもしれないのである。

秩父地方の総鎮守であり、三峯神社・宝登山神社とともに秩父三社の一社であるつーことであるのであるが、これは観光物見遊山の人には必見の情報であるので、秩父観光においでになるご予定のある方はメモして控えていただきたいところであるのであるが、いつもながら大きなお世話であるかもしれないのである。

12月の例祭「秩父夜祭」で知られるのであるが、12月の夜中に秩父で祭りとゆーのは、これ、とんでもなくさぶいのは確実であるので、あたしゃ絶対に行きたくないのであるが、そんなことを言っては仮にも霊能紀行家としての本分にもとるので、なかったことにしていただきたいのである。

祭神は、八意思兼命(やごころおもいかねのみこと・政治、学問、工業、開運の祖神)、知知夫彦命 (ちちぶひこのみこと・秩父地方開拓の祖神)、天之御中主神 (あめのみなかぬしのかみ・北辰妙見として鎌倉時代に合祀)、秩父宮雍仁親王(ちちぶのみやすひとしんのう・昭和天皇の弟宮、昭和28年に合祀)であるのである。

てなことで、伊勢神宮大参拝巡礼行脚に続いてはるばる車を飛ばして秩父の地まで、仕事をほっぽり出して、あたしゃいったい何をやってるんだてな反省もそこそこに物見遊山霊場探索神社探訪であるのである。

ううむ、右手の指が上手く動かんが、昨日なんかしたかしらん?

特段、何をした覚えもないのであるが、日頃の神仏に対する不敬不遜のタタリかもしれないとは思うが、まあ、あまりにもあちこちで涜神の限りであるので、もう、なんのタタリなのか判別もつかないありさまであるのである。

涜神はとくしんと読むのであるが、まあ、意味は各自で辞書を紐解いて、少しでも日本語に親しんでいただきたいと思う今日このごろであるのであるが、また、尺稼ぎのネタを拾ってると思われても癪なので釈に笏するのである。

それで、この日は4月であったのであるが、時期はずれに真冬並みの寒波襲来で、寒風吹きすさんで、観光客参拝客はほとんどいなくて、実に神気の厳しさを味わえる厳かなロケとなったのである。

どんな寒さ冷たさも、これ霊能修行修祓の一環であるので、神使としての本分を忘れず薄着で肌身に寒風を受けて、ああ、これで、明日もあたしゃ、うううう、指が動かん、さらには痙攣してる、いかん、これは艮の金神様がお怒りであるのであるなあ、ていてい。

つーことで、神罰もタタリもなんのその、秩父大神の神気を受けて、あたしの波動はさらに高みへ飛翔せんとその翼をばーたばたと羽撃くのであるてなことで締めといしたいのである、いててて、今度はいてーぞ、ああ、神さま許して。

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2013年5月3日金曜日

神明神社(鳥羽市)石神さん



三重県鳥羽市相差(おおさつ)に鎮座する神明神社であるのである。

そうね、伊勢市の伊勢神宮からは車で山道をぐるぐる回って、1時間ちょっとかかるのである。

神明神社(しんめいじんじゃ)は、天照大神を主祭神とし、伊勢神宮内宮(三重県伊勢市)を総本社とする神社であるのである。

つまりこの鳥羽市の神明神社も伊勢神宮内宮のご祭神を分祀したものであるわけであるのである。

神明社(しんめいしゃ)、皇大神社(こうたいじんじゃ)、天祖神社(てんそじんじゃ)などともいい、通称として伊勢神宮と同様に「お伊勢さん」と呼ばれることもあるのであるつーことであるのである。

神社本庁によると日本全国に約5千社あるとされているのであるが、どなたかの飯田放題の一説では約1万8,000社てなことであるので、いわゆる言ったもんがちであるのである。

一方、岡田荘司つー誰だかさっぱり知らない人によれば、祭神で全国の神社を分類すれば、伊勢信仰に分類される神社は、全国2位(4425社)であるということであるのであるが、まあ、マニア以外にはどーでもいいことかもしれないのであるが例によって一応言っとくのである。

祭神の天照大神(あまてらすおおみかみ)は、太陽を神格化した神であり、皇室の祖神(皇祖神)とされているため、農耕儀礼と密接に結びつき神明神社は広く信仰を集めたわけであるのである。

古代においては王家の氏神として、天皇、皇后、皇太子以外の奉幣は禁止されたが、中世に入り朝廷が衰微するに伴い、伊勢神宮の信者を獲得し各地の講を組織させる御師が活躍し、王家にとってのみの氏神から日本全体の鎮守としての存在へと神社の性格は大きく変わったつーことであるのである。

また、布教とともに各地の有力者による神領(御厨)の寄進が行われ、その地に伊勢神宮の祭神が分霊され、神明神社が広範囲に分布することとなったのであるが、1,800もあったのではありがたみにかけるつーご意見もあるかもしれないのであるなんてことは間違っても言ってはいけないのは言うまでもないことであるのであるていてい。

特に神仏習合の教説において神道側の最高神とされたことなどにより近世に至り一般民衆の間にも伊勢信仰が盛んになると、新田開発の際に神明神社を創建することが盛んになったつーことであるのである。

その祭事はほぼ伊勢神宮と同じであり、神使も鶏であるのである。

まあ、余談であるが、鳥居の起源説のひとつとして、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から誘い出すために鳴かせた「常世の長鳴鳥(とこよのながなきどり)」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を置いたことが起源であるとすることから、鶏が神使つまり神の使い眷属であるわけであるから、その眷属神としての鶏さんがうろうろなさってるところを意味するものであるということが言えるわけであるがあたしが天照大御神ねーさんに直接聞いたわけではないのであくまでも霊界通信御筆先の神のお告げの口から出まかせであるのは無論のことであるのである。

神明神社の鳥居の形は主にいわゆる「神明鳥居」であり、素朴な形式で全体的に直線的であり、その建築様式は神明造であることが多いのであるは当たり前といえばあたりまえであるというご意見は当然多々あると思うのを考察に入れても一応言っとくのであるなんだこれ困った。

なお、「神明」という言葉は天照大神のことを指すほか、単に「神」という意味でも用いられるのであるが、例えば「天地神明に誓う」の「神明」は後者の意味であるのであるが、ううう、これ、蛇足だろうねえあなた。

明治時代に全国の神社の調査が行われたが、その神社の氏子に神社の祭神について質問した所、氏子も何の神が祭られているかを知らず、「神」というつもりで「神明」と答えたら、天照大神を祀る神明神社ということにされたという例も少なくないつー話もあるぐらいあのねのねであるのである。

さて、この鳥羽市相差(おおさつ)の神明神社には25柱の神が祀られているのであるが、その中の一つに参道にある小さな社石神さんと親しまれている女神があるのであるがへー女神だったのかとあたしはここに来ていまさらながらわかったのでこんな神域探訪はどーなんでしょーかとみずからのいいかげんさにうううだめだ。

ご祭神は、神武天皇の母 玉依姫命(たまよりひめのみこと)で、海女たちが古くから「女性の願いならひとつは必ず叶えてくれる」と密かにお参りを続けていたのであるが、いつの間にやら全国から参拝客の絶えることがない社になって、25柱の神が祀られてしまうほどに押しも押されもしないが境内でおしくら饅頭だってできるごりっぱな神社と相成ったのである。

まあ、この神明神社までの門前町参道は住宅街であるのであるが、車一台がやっと通れる程度の道幅で、そこをバスを降りた団体の観光客の皆さんがぞろぞろ歩いてご参拝なさるので、その細い道には付近の皆さんが農産品や海産物を並べて売ってたり、おばさんがサザエの壺焼を焼いて売ってたりするので、まあ、なんつーのか、なかなかよろしい雰囲気であるのであるが、あたしはサザエのつぼ焼きを食いたかったのであるが、焼いてるのを待ってるのがめんどくさいので食わなかったので実に残念といえば残念で、ああ、少し我慢して食えばよかったとくいしんぼーを人生の課題することに多少の悔いがのこる参拝となったのであるがおいおいあんたは神さまよりサザエのつぼ焼きかいとツッコミをいれられるのを覚悟でボケをかましてみるわけであるってううむいかんなこれでは読者がますます呆れて読まなくなるのが必定であるのであらいやんあなたってアレなのねであるのであるあああ神さまだずげで。

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2013年5月2日木曜日

伊勢神宮(内宮)大山祇神社と子安神社



三重県伊勢市に鎮b座する伊勢神社(内宮)境内に鎮座する大山祇神社と子安神社であるのである。

伊勢神宮(内宮)の宇治橋を渡ってすぐ左の道を行くとあるのである。

まあ、大方の観光客である物見遊山の参拝客の皆さんは正宮への参道を中心に、各別宮や御手洗場、御守売り場てなところを目指してお歩きになるせいか、正宮への参道から外れているこの両社へ訪れる人は疎らであるのである。

しかし、そこはそれ、八百万の神を自信の霊脳に網羅してその御利益を我が物とせんつー神ごとには浅ましいばかりの意欲をみせる象師匠の本領発揮で、鎮座する神という神を目ざとく見つけてこれでもかときめ細かく参拝なさるわけである。

なにしろ霊脳であるので、霊の脳であるのである。

脳が霊になってるわけであるのである。

なんのことかわからんとゆー人もおられるとは思うが、あたしだっててきとーにきーぼーどを打ってるだけなのでなんのことかは意味不明であるのである。

とにかく尺を埋めることが重要であるので、打ってればそのうちどーにか埋まるわけである。

そんなものを読まされる方は閉口するのはわかっていても、そこがね、霊脳力抜群のあたしには快感でもあるわけである。

ううむ、これ、どこが笑えるのかといわれるとあたしもさすがにどこかに奔逸退散したくなるわけであるが、気を取り直して、さてさて、 大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)は、愛媛県今治市大三島町宮浦にある神社で式内社(名神大社)、伊予国一宮で、旧社格は国幣大社で、現在は神社本庁の別表神社で、祭神は大山積神 (おおやまづみのかみ)であるのである。

山の神・海の神・戦いの神として歴代の朝廷や武将から尊崇を集めた神社である。

全国にある山祇神社や、多くの三島神社の総本社である。

この伊勢神社の大山祇神社もその分社であるのである。

子安神社は安産・子育ての神が祀られている神社であるのである。

山の神海の神と子育ての神の霊気神気がいっしょくたになった波動であるわけであるが、まあ、山に行っても海に行っても子育てをしてもだいじょーぶとゆーことであると思えば、実にこの世は極楽であるのである。

人生においては、この極楽気分がなにより重要であるのは、推定全国3千万の象気功信者には周知のであるとは思うが、おつむのちょーしが今一つであんまりご理解されていない向きもあろうかと思うので、蛇足とは存じながら一応言っとくわけである。

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2013年5月1日水曜日

伊勢神宮(内宮)月讀宮



月讀宮(つきよみのみや)は伊勢神宮内宮(皇大神宮)別宮で、三重県伊勢市中村町にある神社であるのである。

「月読宮」は略字表記であるのである。

月讀宮(つきよみのみや)は伊勢神宮外宮(豊受大神宮)から約3.8km、内宮から約1.8kmの五十鈴川中流域の中村町にある内宮別宮であるのである。

祭神は月讀尊(つきよみのみこと)で、「つきよみさん」とも呼ばれるが、同じく「つきよみさん」と呼ばれる外宮別宮の月夜見宮の祭神「月夜見尊」は本別宮と同じ神とされているのであるが、ややこしいのでここんところ間違いないようにしないと伊勢神宮マニアとしてはその評価に傷が付く由々しき事態に陥るのである。

月讀宮の宮域には同じく内宮別宮の、月讀尊の魂を祭神とする月讀荒御魂宮(つきよみのあらみたまのみや)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を祭神とする伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祭神とする伊佐奈弥宮(いざなみのみや)の盛りだくさんの3社があるので、参拝の皆さんは次から次へと2礼2拍1礼を繰り返さなくてはならないので大忙しであるんのであるって誰か読んでますかー?おーい返事してくれーううむだめか全員遭難かな。

複数の社殿が並ぶ別宮は月讀宮以外では瀧原宮の2社のみで、社殿は荒祭宮以外の内宮の他の別宮と同等で、正宮に比べれば小規模であるものの、神明造の社殿がこれでもかと4社も並ぶ様は実に壮観の一言に尽きるのであるのであるとしかいいようもないのであるが、このぐらいよいしょしとけば神さまもご満足であらせられるかもしれないのであるがバチ当たるかもしれないという薄氷を踏むが如きお笑いのサガであるということもできようあたしはどこかへんなんでしょうかたはははもうやめろ?はいはい。

無駄口はともかく、向かって右(東)から月讀荒御魂宮、月讀宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮と並んでおり、参拝順序は月讀宮-月讀荒御魂宮-伊佐奈岐宮-伊佐奈弥宮の順が正しいとされるのであるが、無駄口とはさすがに仮にも神さまに対し奉り言いすぎようふん。

最高神天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟神の月讀尊が祭神であることから、内宮別宮としては天照大神の魂を祭神とする荒祭宮(あらまつりのみや)に次ぐ順位で、内宮宮域外の別宮としては最高位の別宮であるが、おそらくお参りしてる物見遊山の皆さんはそんなこたあ知ってるわけでもないのは言うまでもないことであると思うのはあたしだけかねくそーだめだ珈琲をもう一杯飲もう。

宮域には上記別宮4社のほかに、動画の後半にご参拝申し上げる内宮末社の葭原神社(あしはらじんじゃ)があるのである。

ほかの境外別宮と同様に、神職が参拝時間内に常駐する宿衛屋(しゅくえいや)があり、お札・お守りの授与や、神楽や御饌の取次ぎを行なっているのであるのであるが、とくに必要でもないので授与の栄を受けることはなさらなかったのであるって日本語が変であるのである。

別宮各社殿のご祭神は、月讀宮:月讀尊(つきよみのみこと)、月讀荒御魂宮:月讀尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)、伊佐奈岐宮:伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊佐奈弥宮:伊弉冉尊(いざなみのみこと)、葭原神社:(祭神はいずれも田畑を守護する五穀の神とされる)佐佐津比古命(ささつひこのみこと)宇加乃御玉御祖命(うかのみたまのみおやのみこと)伊加利比売命(いかりひめのみこと)であるのであるがこんなに神さまがいても覚えられるわけもないのでめんどくさい人があっさりとスルーしてしまうのはいたしかたないのであるってううむおつむが限界かな、

例によって由緒は定かではないが、第50代桓武天皇の804年(延暦23年)の大神宮儀式帳に「月讀宮一院、正殿四区」で、一囲の瑞垣内に祀られていたと記されており、別宮4社あわせて「月讀宮」と呼ばれていたのであるのである。

第56代清和天皇の867年(貞観9年)に伊佐奈岐宮と伊佐奈弥宮の宮号が与えられたのであるのである。

第60代醍醐天皇の927年(延長5年)の延喜式によれば、この時代には伊佐奈岐宮と伊佐奈弥宮に瑞垣をめぐらし一院とし、月讀宮と月讀荒御魂宮が同様に一院となっていたとされ、1873年(明治6年)より、4社とも個別の瑞垣を持つ現在の形になったつーことであるのであるがもうやめていい?だめ?。

皇大神宮に準じた祭事が行なわれ、祈年、月次、神嘗、新嘗の諸祭には皇室からの幣帛(へいはく)があるのであるのであるのであるのであるのであるあるのであるのであるのであるのであるのであるってやけくそかよ。

さてさて、今日も明日も明後日も神社本庁本宗のほまれ高い伊勢神宮に訪れる人は引きも切らず、さすがは神社の中の神社と言わざる見ざる聞かざるの伊勢神宮の別宮月讀宮であるのである。

別宮といえども敷地は広大で、樹木生い茂る境内参道をてくてく歩けば、森林浴いい空気満喫酸素供給はもとより体力増強も含めて神社参拝のご利益の第一である健康成就大達成の香りも馥郁とあたしの鼻腔をくすぐって、波動はいやがうえにも転句の高みに限りなく膨張するのが実感できるのである。

その膨張の実感の一端木綿でもこの動画から感じ取ることができた人にはもちろん神のご利益思し召しがあらんことを天を仰いでただひたすら祈念するのみであると言っておくのである。

てなことで、本日も人生は絶好調であるのであるが、まあ、前触れもなくいつお亡くなりになるかわかったもんじゃないのも人生であるのである。

そのスリリングな道程がまた人生の醍醐味であるので、お楽しみはつきないわけであるが、ちょうどお時間となりましたので、このへんでさようなら。

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