2012年1月27日金曜日

法多山尊永寺



法多山尊永寺(はったさん そんえいじ)は、静岡県袋井市豊沢2777にある高野山真言宗別格本山の寺院である。

寺号の「尊永寺」よりも山号の「法多山」の名で広く知られているのであるのである。

遠州三山の1つであり、本尊は聖観音(正観世音菩薩、厄除観世音)であるのである。

厄除け観音として知られ、厄除だんごが名物となっているのであるのであるが、あたしゃ食べなかったのであるので残念であるのである。

創建は寺伝によれば、神亀2年(725年) 聖武天皇の命により「大悲観音応臨の聖地」を捜し求めた行基によって建立されたということであるのであるが、あたしが実際に見たわけではないので定かではないのであるが、そんんあことをいったらどんな歴史も言ったもん勝ちのでっちあげということになるので、まあ、そーゆーことであるのである。

動画の冒頭の仁王門は室町時代に建立され、入母屋造、杮(こけら)葺きの楼門(2階建て門)で、国指定の重要文化財であるのである。

他に当寺の重要文化財としては 鎌倉時代に作られた密教儀式に用いる法具の一種で5点一組の鈴のうち三鈷鈴は後補の金銅五種鈴(こんどうごしゅれい)があるのであるが、現在は東京国立博物館に寄託されているのである。

まあ、そんなよもやま話はともかくとして、法多山の参道、境内、階段、本堂等はそれに付随した厄除けだんごの工場、販売所などと共に整備されて、ものすごく近代的な設備、建築に生まれ変わっているのである。

まあ、これ、まあ、だいぶ前からの不景気も含めた中高年を主体とした日本国内観光ブームのおかげで、遠州三山が紅葉の時期を中心として、観光ルートに組み込まれて、大繁盛していることによるのか、現在の方丈様が特別にご商売熱心なのかどーなのかは、聞いてみたわけではないので定かではないのである。

まあ、とにかく、この法多山の参道は道幅も広く、参道の脇には山の清水と思われるせせらぎも流れ、鬱蒼とした樹木の精気と合わせてなかなかよろしい雰囲気で、若いカップルもそぞろ歩いたりして、デートコースの趣もあるぐらい、のんびりとした風情であるのである。

まあ、このときはまだ、あちこち整備建築中で、工事車両やニッカボッカのおにいさんおじさんが作業をなされていたのであるが、それでも、山の樹木に音が吸い込まれるのかなんなかの深閑とした佇まいであるのである。

名物が厄除け団子であることでもわかるとおり、この尊永寺のご利益は厄除けであるので、ご本尊が聖観音であるが、そこはそれ、そこに集う参拝の皆さんの厄除け祈願の気の集積で、本堂前の境内には重厚で厳しいが充満しているのである。

まあ、おおまかには不動尊の気に似ているのである。

ご本尊の別名が厄除け観音であるので、1200年以上に渡って災厄忌避という人々衆生の所願の気の集積がこのような波動を生み出しているわけである。

この霊気神気を受ければあなたの波動が調整されて、災厄を避ける運気になるわけであるが、それもこれもあなたの心がけ次第であるのはいうまでもないことであるのである。

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2012年1月21日土曜日

大山阿夫利神社・下社 / 象師匠撮影



大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ) は、神奈川県伊勢原市の大山(別名:雨降山〈あふりやま〉)にある神社であるのである。

「阿武利」とも表記し、「あぶり」とも読むのである。

式内社で、旧社格は県社(現・神社本庁の別表神社)であるのである。

祭神として、本社に大山祇大神(オオヤマツミ)、摂社奥社に大雷神(オオイカツチ)、前社に高龗神(タカオカミ)を祀るのであるのであるが、本社はこの下社からさらに小一時間階段山道を上がった海抜1251.7Mの大山山頂にあるので、まあ、本格的に登山トレッキングの装備用意をしていないあたしみたいな物見遊山の参拝客は、ケーブルカーから降りてすぐ傍にあり、御祭神の出張所であるこの下社でお参りするわけである。

まあ、そんな一口知識うんちくはともかくとして、あたしは自慢じゃないが体力自慢脚力自慢であるので、いっきに駆け上がって本社もお参りしてしまおうかとも思ったのであるが、登山口の事故多発てな注意書きや登って行く皆さんの重装備を拝見して、失礼になるのでやめたのである。

社伝には崇神天皇(すじんてんのう、紀元前148年 - 紀元前29年1月9日)の御代の創建とあり、とんでもない歴史があるわけである。

延喜式神名帳では「阿夫利神社」と記載され、小社に列しているのであるのである。

ご御祈祷ご利益は家内安全、交通安全、商売繁盛、身体健全、厄年安平、心願成就、合格祈願、学業成就、社内安全、社運隆盛、工事安全、厄難消除、病気平癒、方位除けから七五三、初宮詣まで、まあ、ここにお参りすればたいていの所願は叶うという、大変便利な神社でもあるのである。

まあ、この下社は大山こま参道を登ってケーブルに乗って参拝するという、ハイキングと神社参拝ご利益を兼ねた老若男女観光客が大半であるので、その気の集積により、大変おだやかで明るい霊気神気が溢れているのである。

また、山頂の本社奥社に始めて登ってきたらしい数人の登山装備のおじさん達が疲れはてて社務所の前に倒れていたりして、まあ、人生はなんといっても体力健康が一番重要であるということを大山祇大神、大雷神、高龗神の皆さんが教えてくれているわけである。

あなたも、大山阿夫利神社の御祭神の霊気神気と神社を取り巻く大山の樹木の清冽な気を浴びて、さらにこの動画の後ろにいる大霊能気功家象師匠の霊気神気の奔出奔流を受けて、あなたの波動の振幅をさらに大きくしていただきたい。

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2012年1月13日金曜日

油山寺



油山寺(ゆさんじ)は、静岡県袋井市村松1にある真言宗智山派の寺院である、

遠州三山の1つで、山号は医王山である。

詳しくは医王山薬王院油山寺と称し、本尊は薬師如来である。

また、油山寺は遠州三山の可睡斎、法多山並びに小国神社とともに、紅葉の名所として知られるのであるのである。

油山寺の伝承によれば大宝元年(701年)に行基により創建され、油が湧出した所から「油山寺」の名が付いたということであるのである。

その後天平勝宝元年(749年)に孝謙天皇(こうけんてんのう、養老2年:718年 - 神護景雲4年8月4日:770年8月28日)が眼病平癒を願い、当寺の「るりの滝」の水で眼を洗浄したところ、これがみごとに全快したので勅願寺に定めたとされるのであるのである。

以来、特に目の守護、眼病平癒の寺として信仰を集め、また、一山の守護神軍善坊大権現は足腰の神として古来より東海道を往来する旅人の信仰を集める寺院であるのである。

その後、元亀3年(1572年)、兵火により焼失し、天正2年(1574年)から三重塔の再建が開始されるが、工事には長い年月を要し、屋上の相輪を上げたのは40年近く後の慶長16年(1611年)であったのであるのである。

まあ、つーことで、この油山寺の山門を入って参道を延々歩いて、急な階段を数百段も延々上がった一番奥に薬師本堂があるのである。

師本堂内正面にある菊の御紋入の金色に輝く宮殿厨子は今川義元の寄進であり、中には秘仏の本尊である薬師如来が安置されているのであるのである。

本堂の内外には薬師如来ご利益の諸病全快、眼病平癒、深々安楽などを願う数知れない絵馬がかけられているのである。

この動画は霊能写真家象師匠が油山寺の参道を歩いて撮った写真を編集したものであるので、象師匠の眼となり薬師如来の霊気溢れる霊場を歩き、その薬効霊験の霊気神気の波動振動を全身の細胞素粒子に受けて今後の人生の健康成就運気上昇の糧としていただきたい。

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2012年1月11日水曜日

熊野神社(町田市)



町田市鶴間580にある熊野神社であるのである。

全国に3000ともいわれる熊野神社のひとつであるのである。

御祭神は伊弉諾命(いざなぎのみこと)伊弉冊命(いざなぎのみこと)であるのである。

ご利益は、初詣、初宮詣、厄除、交通安全、七五三、家内安全、合格祈願、諸祈願、地鎮祭、家祓等出張神事であると神社ではおっしゃられているのである。

まあ、たいていの神社と同様になんでもありであるのであるが、べつに揶揄しているわけではないのである。

創建の年代は詳らかではないが、熊野本宮大社を勧請したのであるのである。

熊野神社とは和歌山県にある熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の祭神を勧請された神社のことである。

熊野詣(くまのもうで)の盛行や有力者による荘園の寄進、熊野先達の活動により全国に熊野信仰が広まったことにより、熊野三山の祭神を勧請した神社が全国に成立したのである。

熊野三山の祭神を勧請するといった場合、三所権現のいずれかひとつの神ないし三神の全て、または十二所権現の全てないし若宮のみを勧請する場合や、九十九王子の中でも重要な五体王子を勧請するものもあり、それら全てを含めて熊野神社とした場合、その数は三千余に達するということであるのである。

そんな一口知識は象気功ではどーでもいいのであるが、この日はまだ松の内であるので、神主の池田宮司による近隣の企業の皆さんの初詣厄除けご祈祷の最中で、ついでにあたしもお祓いのお裾分けを受けたわけである。

さすがに熊野三山の風味豊かな霊気神気を発して、さらに宮司さんの祝詞により社員の皆さんのチャクラもぐーるぐる回転して、その気は神社境内一体を包み、あたしの細胞素粒子の波動振動をさらによろしい方向に高めるのである。

その波動振動をこの動画の画面から心ゆくまで受けてあなたの波動も高め、さらなる運気上昇の一助といしていただきたい。

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2012年1月8日日曜日

寒川神社



寒川神社(さむかわじんじゃ)は神奈川県高座郡寒川町宮山3916に鎮座する神社である。

相模国一宮であり、近代社格制度による旧社格は国幣中社であるのである。

祭神については八幡神、あるいは菊理媛、素盞嗚命、 稲田姫尊などの諸説あるのであるが、現在は寒川比古命(さむかわひこのみこと)、寒川比女命(さむかわひめのみこと)とされており、 この二柱の神を寒川大明神(さむかわだいみょうじん)と奉称しているのであるのである。

この動画は象師匠が正月の初詣を兼ねてわざわざ車を飛ばして大渋滞満員大混雑で身動き取れない駐車場に陽気な運気で難なくスルリと止めてお気楽極楽に撮影したものであるので、開運幸運の霊気神気が寒川大明神の波動と合わせて遺憾なく放出されているお得な映像であるのである。

寒川神社のご利益は八方除(はっぽうよけ)であるのである。

八方除とは、地相、家相、方位、日柄等から来るすべての悪事災難を祓い除く御祈願のことであるのである。

いわゆる方災厄除の神としての信仰であり、八方除の守護神として、全国よりその御神徳が慕われ、信仰されていますと神社ではおっしゃられているのである。

また、昨今テレビ業界では「視聴率祈願の神社」として知られており、新番組開始前に視聴率獲得を祈願して参拝を行うテレビ関係者は後を絶たないのである。

その一例として「踊る大捜査線」でもフジテレビが奉納祈願しているのであるのである。

また、宗教法人としての寒川神社は、寒川病院を設立・運営しているのであるので、なかなか欧米式多角経営でもあるわけである。

これって、まあ、キリスト教系ではままあることであるのであるが、宗教法人としての病院経営というのは税制上はいったいどうなるのか、うちの税理士に聞いてみないとわからんのであるが、これ以上つっこむとろくなことにならんのでこのへんでお茶を濁すのである。

お茶が濁りきったところで、祭礼には「武佐弓祭」(正月8日)「国府祭」(5月5日)「浜降古式祭」(7月15日)「浜降祭」(7月第3月曜日)「例大祭」(9月20日)があるのである。

この動画にも映っているのであるが、近年では新年から2月の節分までの間、神門に干支にちなんだねぶたが飾られるようになったのである。

これが夜はライトアップされるそうであるが、まあ、この神社の霊気神気を写すことが目的であるので、どーでもいいのである。

古代、相模川沿いは相模国造がおり、また社が高句麗系渡来人入植の地である高座郡に属することから、なんらかの有力な豪族が造営したものと推定されるのであるが、創建についての詳細は不明であるのである。

しかし、雄略天皇在位の時期(456年-479年)に奉幣、神亀4年(727年)に社殿建立と伝える記録があるが、公式には承和13年(846年)に仁明天皇から従五位下を授るという記録(続日本後紀)があるのである。

寒川神社の霊気神気は、すべての災厄を祓うという願い事の集積で重厚で厳しい波動を予想していたのであるが、予想に反して実におおらかで明るい波動に包まれるのであるのである。

鎌倉の鶴岡八幡宮の霊気神気にも似た、精神の高揚と清々しさを醸しだす波動であるのである。

あたしの素粒子の開運幸運波動と合わせてご堪能いただきたい。

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