2020年2月6日木曜日

新倉富士浅間神社



新倉富士浅間神社(あらくらふじせんげんじんじゃ)は山梨県富士吉田市浅間2-4-1にある神社で、富士急行線下吉田駅より徒歩約5分の新倉山浅間公園の中腹に鎮座する神社である。

お車で行く方は、カーナビのご指示で行けば神社の近くに大きな駐車場もあるのであるが、できれば一番の下の鳥居から登った方があれこれ味わえるのである。

ううむ、なかなか親切な情報を提供していると思うが、行けばわかる話なのでどーでもいいことであるのは言うまでもないこである。

じゃあ、言わなきゃいいじゃん。

うるせえよ。


甲斐国八代郡荒倉郷(現在地は新倉地区)の氏神として705年に創建され、御祭神は木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)・大山祗命(おおやまつみのみこと)・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)である。

千三百有余年の信仰による霊氣神氣の波動はこよなくさわやかで、風のざわめきも心地よく、あたしら霊能の徒はいたずらに心安らぐひとときである。

師匠、おためごかしだから、ぜんぜん入ってきません。


かつてはなにしろ富士の絶景を見渡せる絶好の立地にあり、あれこれの逸話から三国第一山富士浅間神社(さんごくだいいちさんふじせんげんじんじゃ)の称号を名乗る事が多かったのであるが、現在はくだんの通りである。



境内にある塩釜神社(しおがまじんじゃ)は宮城県塩竈市にある志波彦神社・鹽竈神社(しわひこじんじゃ・しおがまじんじゃ)を総本社とする全国にある塩釜神社のひとつである。


塩釜神社の主祭神は塩土老翁(しおつちのおじ)、神武甕槌神(たけみかづち)、経津主神(ふつぬしのかみ)である。

塩土老翁は製塩法を伝えた神としてつとに信仰の対象となっているわけであるが、つまりは、神様ってのは実在のエライ人にあやかろうてなことが神話の時代からのあれこれであったということがわかるわけである。



かつては三国第一山富士浅間神社と言い張ってたぐらいであるので、富士山の眺望が日本一にとどまらず古来の日本・中国・朝鮮の三国一であるとも言われる絶景を楽しむ事ができるのであるてなことである。

しかし、楽しんでいるのは三国ではなく、おもにタイ人のおねーさんとおにーさんが大半で、世界共通にスマホで写真や動画を撮って、SNSにアップしてるのである。


観光の方向性が、SNSによって世界中の違う方向の客層を集めて、神社に興味のない皆さんも来るので神社も大にぎわいであると思うが、タイの皆さんが神社仏閣の賽銭箱の趣旨をご存知かどーかはしらんので、商売繁盛かどーかはしらんのである。

ただいま全国の神社仏閣の僧侶神職の皆様に大変失礼な表現がありましたことをお詫びして訂正いたします。

商売繁盛→お布施丸儲け


展望台に上る途中からはさらに絶景の富士山を鑑賞できるので、富士山マニアにはたまらんひとときである。

まあ、これを見るだけでも、心はうきうきよというぐらいのご利益である。

心がうきうきなら身体もうきうきである。

心が体を構成し、体が心を構成するのである。

心が整えば体が整い、体が整えば心が整うのである。

心が壊れれば体が壊れ、体が壊れれば心が壊れるのである。

名は体をあらわすのではなく、心が体をあらわし、体が心をあらわすのである。

たとえば、脳梗塞、脳出血などで脳に損傷を負うと、顔の造作が一変し、別人のごとくなるのである。

ことほど左様に心と体は作用しあっているわけである。

だから今しなければならない最重要なことは、体に心を配ることである。

うまいねどうも。


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