2014年9月26日金曜日

精進諏訪神社



精進湖畔から5分ほど歩くと、諏訪神社があるのである。

この諏訪神社の天井には百人一首が描かれているつーことであるが、入り口が開いてないので、ご鑑賞することはできなかったのである。

諏訪神社は長野県の諏訪湖近くの諏訪大社を総本社とし、いわゆるその分社は全国に約25,000社あり、この精進湖の諏訪神社もそのひとつであるわけである。

また、諏訪神社を中心とする神道の信仰を諏訪信仰(すわしんこう)と言い、諏訪大社の祭神は諏訪大明神ともいわれる建御名方神とその妃・八坂刀売神であるのである。

他の諏訪神社もこの2神を主祭神とするほか、「諏訪大神」と総称することもあり、諏訪大社より祭神を勧請する際には薙鎌(なぎがま、ないかま)に神霊が移され、各神社ではこれを神体としているつーことであるので、もちろんこの精進湖の諏訪神社も同様に鎌を御神体としているわけである。

薙鎌は、長さ七尺程度(約210cm)の円柱の木棒を柄とし、刃を手前にした短い直刀を柄の先端に直角に付けた武器で、薙ぐ、突く、切る、刃を引っ掛けて相手を倒したり、お首をバッサリするなどしてご使用になるつーことであるが、要するにでかい鎌であるのである。

流派により長柄鎌、八重鎌とも呼ばれるそうであるが、これ以上深く突っ込んでも差し障りばかりでてきそうなので、これ以上マニアックに知りたい向きは、ネットで薙鎌と検索して画像などでお確かめいただいて、「へー」と感心していただきたい。


この諏訪神社の参道入り口の左側にある大杉は天然記念物であるので、一応写真に収めたのであるが、諏訪神社よりもこの大杉の方が有名であるのである。

通称「精進の大杉」と呼ばれるツーことであるが、別名「千年杉」てなよくある呼び名もあるのである。

高さは45m、根回り13.6mであるつーことであるが、あたしが測ったわけではないのはもちろんであるのである。

まあ、いわゆる御神木であるので、霊能紀行作家としての御役目上、滞り無く二礼二拍一礼して、な~む~と拝んだのであるが、神社でな~む~は完全に間違えているのである。


拝殿の隣にも大杉があるのであるが、こちらは御神木てもなく天然記念物ではないので、な~む~はしなかったのである。

だからな~む~は違うったら。

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2014年9月24日水曜日

富士御室浅間神社



富士御室浅間神社本殿である。

冨士御室浅間神社(ふじおむろせんげんじんじゃ)は、山梨県南都留郡富士河口湖町にある富士山最古といわれる神社で、全国にある浅間神社の一社である。

祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)であ、旧称小室浅間明神である。

旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社である。

いつもながら別表神社がなんのことかわからんのであるが、お暇な人はお調べ頂いて、「なーるほど!そーだったのか!」と感動して感涙していただきたいと思うが、感涙するほどでないかもしれないということをあらかじめお知らせしてご挨拶に代えさせていただくのである。

もちろん尺稼ぎの与太話であるが、それもこれもこの世の習いで人生の悲哀をことごとく感じるよしなしごとと思召しいただいて、ううう、ごめんよごめんよ、こんなあたしで申し訳ない。

まあ、それで、境内は本宮と里宮からなり、本宮である山宮は富士山吉田口登山道の二合目に鎮座し、この山宮の境内は富士吉田市の中にある富士河口湖町勝山の飛び地であるのである。

富士山山中に最初に勧請された神社とされ、里宮は河口湖畔の勝山に鎮座するのである。

「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録され、本殿は国指定重要文化財でもあるのである。

現在の本殿は、慶長17年(1612年)に徳川家の家臣の鳥居成次によって建てられたものであるが、その後4回の大改修を経て、昭和48年(1973年)に富士山二合目から里宮に移築されたのであるのである。

まあ、これ、下部温泉に物見遊山に行く途中の通りがかりに、「おお、神社がある、これはひとつお参りして本日の霊気の糧としようではないか」つーことで、てきとーにご見学なさったのであるが、意外や意外の立派な経歴履歴由緒の神社で「あーら、びっくりね」つーぐらいの国指定重要文化財であるのである。

由緒があるだけに、本殿の前には牛さんもおられるのである。


神使の撫牛つーことであるので、充分になでなでしたのである。



冨士御室浅間神社の里宮である。

958年(天徳2年)村上天皇が、崇敬者の礼拝儀祭の便を図るため、河口湖畔の当地へ建立し、現在の建物は、明治22年に再建したものである。

この里宮の方にお守り売り場なんかがあり、なんかわけのわからん像があったりして、こちらが本殿かと思う作りであるので、参拝者も皆さんがこちらにお参りしてるのである。


この意味不明な像はいったいなんなんだかわからんが、ありがたいご利益があるかもしれないので、もちろん一応拝んどくのである、なむなむ。


これは百福の龍宝珠てなことであるので、なにしろ百も福が来るかもしれないので、充分に拝んでおくのである、なむなむ。

しまいに誰かに叱られるのである。

まあ、とにもかくにも、いろいろあれこれ参拝できて、文武天皇3年(699年)に藤原義忠によって創建という開闢以来1300年有余の参拝者の思いの霊気神気を受け、あたしの氣もそぞろ高まり、これで今後の人生は至る処に青山ありになること必定であるのである。

何を行ってるのか自分でもわからんのである。

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2014年9月21日日曜日

下部温泉の熊野神社



山梨県の下部川沿いにある下部温泉にある熊野神社である。

温泉街の中心である源泉館の横の鳥居をくぐると参道という名の路地があるのである。


路地は温泉旅館の倉庫も兼ねているらしく、棚にダンボールも積んであって、いろいろと情緒満載であるの。

その路地をしばらく行くと、階段になりさらに鳥居があるのである。

まあ、神社に階段は付き物であるのであるが、これが、意外や意外の急な階段がつづら折りで行けども行けども続くのである。

とにかくロケであるので、カメラマン兼ディレクターとしての使命感から途中で止まるわけにも行かないので、同じスピードで登り続けなければならないので、これが、登り始めてみると、けっこうなあらいやんであるのである。

まあ、そこはそれ、日頃から運動運動また運動という、運動マニアとしての脚力体力心肺機能のおかげで、楽勝である。

それでも、ようやく神社境内にたどり着いたときは、「ああ、しんど」と思ったわけであるから、これを読んで、おいらもひとついってみようなんて軽い気持ちで登り始めると、肥満でさらに脚力が衰えてる人は、翌日になって筋肉痛でえらい目に合うので、トレーニングを積んでから挑戦していただきたいといらぬお世話を喚起する次第である。

この神社は、昔、温泉の効能でいらなくなった松葉杖などを奉納したというのであるが、ケガが治っても、リハビリを充分にしないと這って登らないといけないのである。

まあ、それだけ元気になったという感謝をこめて、この無慈悲な高さの階段を登ってお礼参りをしたということであると思うが、人一倍体力のあるあたしが大変であるのであるから、いくら効き目のある温泉で療養しても、これをいきなり登るのはどーかと思うねあたしゃ。

まあ、とにかく温泉療養と併用して毎日登れば、健康になること請け合いであるので、この神社のご利益は計り知れないものがあるのであるが、ボクサーか野球選手のトレーニング以外にはそんな酔狂なことをする人がいるとも思えないので、境内のお掃除をする人もいないらしいてな感じである。

境内には能舞台なんかもあって、かつての好況時代の下部温泉の賑いの一端が見えてくるのであるが、現在の窮地が見えてくるのも寂しい限りであるのである。

つまり、神を思う時間も余裕もない状況であるわけである。

神を祭り、先祖を供養するというのは余裕を表すことでもあるのである。

しかし、史上最大最強の霊能者である大神の使いの象師匠が参拝したからには、この神社も生まれ変わることは必定であるので、霊気神気が燦々と降り注ぐこと請け合いである。

ホントかよ。


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