2015年2月15日日曜日

鹿島神宮の御手洗池



茨城県鹿嶋市に鎮座する鹿島神宮境内の鹿島神宮園地御手洗公園にある神池の御手洗池(みたらしいけ)である。

鹿島神宮の大鳥居から歩いて歩いて拝殿にたどり着き、さらにそこから歩いて歩いて、さざれ石を通り過ぎて鹿園を通り過ぎて奥宮を通り過ぎて売店を通り過ぎて、かなりの急坂をとっとことっとこ飽きるほど下ったところにこの御手洗池があるのである。

ここにたどり着くと、もちろん帰りはかなりの急坂を逆方向に登らなければならいので、あたしみたいなパ~でも元気が一番体力自慢脚力自慢のやからはともかく、体力と脚力に自信のない人は売店あたりの坂の上から参拝した方が無難であるかもしれないのであるが、神社仏閣参拝のご利益は体力増強健康増進ということが第一であるので、トレーニングと心得てチャレンジして損はないのであるのは無論であるのであるが、心臓にお病気のある人なんかはご利益の前に命が危ないのでやっぱりやめた方がいいかもしれないのであるということを一言ご注意申し上げて本日のご挨拶といたしたいのである。

なんの挨拶だよ。

つーことでボケとツッコミの間合いも絶妙軽やかに、御手洗池は、神宮境内の東方に位置し、潔斎(禊)の地であり、古くは西の一の鳥居がある霞ヶ浦(北浦)の大船津から舟でこの地まで進み、潔斎をしてから神宮に参拝したと考えられ、伊勢神宮内宮の五十鈴川御手洗場と同様に精進潔斎の神聖な水場であるであるつーことである。

動画の左上のあたりに南崖からの湧水が流れ込み湧きだし、水深は1メートルほどであるが、ごらんのとおり澄み渡り神の池の面目躍如であるのである。

嘘かまことか、この池に大人が入っても子供が入ってもその水深は乳を越えないといわれ、「鹿島七不思議」の1つに数えられているのであるが、あたしが試しにドボンと飛び込んだりしたら、左側で池の解説をなされている神職の方に怒られるのは火を見るより明らかであるので、その真偽はいまだ以って定かではないのはゆーまでもないことである。

江戸時代まではこの場所に御手洗涼泉寺という寺院があったつーことであるが、今はないので何が何だかわからないのである。

つーことで、池に向かって二礼二拍手一礼して「ありがたいありがたい」と連呼申し上げたわけである。

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2015年2月14日土曜日

鹿島神宮



鹿島神宮(かしまじんぐう、鹿嶋神宮)は、茨城県鹿嶋市宮中に鎮座する神社であるのである。

伝承によると、創建は、古事記、日本書紀により日本の初代天皇とされる初代神武天皇元年である。

神武天皇の崩御日は日本書紀によれば紀元前586年(神武天皇76年)3月11日であるとされているのであるが、神武天皇即位紀元については、西暦に換算して紀元前660年であるとされる説もありーの、神武天皇は135歳まで生きたなんでわけのわからん話もありーので、初代神武天皇元年がいったいいつなのかは、さすがの大霊能者のあたしにもなにがなんだかわからんので、興味のある歴史マニアの人は心行くまでお調べいただいてお楽しみいただきたいのである。

祭神は日本建国・武道の神様である武甕槌大神 (たけみかづちのおおかみ)であり、神武天皇元年創建の由緒ある神社であるのである。

武甕槌大神は、神代の昔、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の命を受けて香取神宮の祭神である経津主大神(ふつぬしのおおかみ)と共に出雲の国に天降り、大国主命と話し合って国譲りの交渉を成就し、日本の建国に挺身されたのであるつーことであるが、まあ、神代の昔から国盗り合戦の戦乱があり、その親方・頭領が神に祭り上げられたということがわかるわけであるてなことを言うと身も蓋も味も素っ気もなくなるので、ここはひとつ神の御業ということにしておお楽しみいただきたいのである。

それはともかく、鹿島神宮は延喜式神名帳に記載された式内社(名神大社)であり、常陸国一宮(いちのみや)である、

旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社である。

全国にある鹿島神社の総本社で、千葉県香取市の香取神宮、茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社の一社であり、また、宮中の四方拝で遥拝される一社である。

まあ、それで、駐車場に車を停めて、門前町の商店街を抜けて、大鳥居からからカメラを回して歩き始めたわけであるが、これが楼門までけっこうな距離である。

歩き始めてすぐ「ありゃりゃ、こりゃいかん」思ったのであるが、まあ、カメラを回し始めてしまったので、途中でやめるわけにもいかず、どんどん歩いて楼門をくぐって拝殿まで怒涛の進軍を決行したのである。

まあ、山間の神社仏閣につきものの石段階段がないので、お気楽なもんであるが、鹿島神宮は伊勢神宮を彷彿とさせる森林に囲まれた広大な境内であるので、散歩コースとしては実によろしい環境にあるので、近隣の郷の皆さんはお楽しみいただけるかもしれないのである。

でも、観光客以外には歩いている人も見かけないので、散歩コースとしては人気がないのかもしれないのかもしれないのである。

あるいは散歩は運動不足の都心の人の趣味で、自然に恵まれて農作業に勤しむ皆さんにはいらんことであるのかもしれないのである。

神のご利益というのは、参拝による歩行あるいは階段昇降の運動による健康ご利益がもっとも大きなものであるので、なんでもいいから、日々、神社仏閣に詣でて「ありがたいありがたい」と拝んで頂くことをご推奨申し上げるのである。

人間の健康は歩くことからで、とにかく歩いてナンボであるので、それこそ神代の昔からなんやかんや理由をつけて歩くようにあれこれ考えられてきたわけである。

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2015年2月12日木曜日

パワーストーン鹿島神宮の要石



茨城県鹿嶋市宮中に鎮座する鹿島神宮境内にあるパワーストーン「要石」である。

香取神宮の要石が凸状であるのに対して、鹿島神宮の要石は凹状で小さいのである。

小さいといっても、見えるところはほんの一部で、いわば氷山の一角であるので、その下は20㎞ぐらい離れた香取神宮の要石とつながっているといわれるぐらい巨大な石であると言われているのである。

パワーストーンはスピリチュアルマニア垂涎のアイテムであるので、ケイタイやスマホの待ち受けにするために熱心に写真に撮っておられるのである。

パワーストーンであるから、パワーがあるわけであるが、どんなパワーかというと、地震の原因と言われる地中の大ナマズが暴れるのを、千葉県香取市の香取神宮の要石とセットで押さえ込んでいるのである。

言い伝えでは、地上部分はほんの一部で、地中深くまで伸び、地中で暴れて地震を起こす大ナマズあるいは竜を押さえている、あるいは貫いている、あるいは打ち殺した・刺し殺したと、聞きようによっては動物虐待とも思われるひどいことを言われているのである。

まあ、とにかく地震の原因の大ナマズを押さえ込んでいるためこれらの地域には大地震がないという話であったのであるが、大地震がどのくらいの震度なのか定かではないのでなんとも言えないところである。

とにもかくにも、なにしろ地震を起こす地中の大ナマズを抑え込むぐらいであるから、そのパワーたるや想像を絶するものであるのを創造されることが想像に難くないわけである。

その、地中の大ナマズ自体がどのくらいでかいのかは定かでないのであるが、鹿島神宮の要石は大鯰の頭を押さえ、香取神宮の要石は尾を押さえているということであるので、鹿島神宮と香取神宮の間の距離から推測して、体調は少なくとも20㎞以上であるのは確かであるのである。

これはもしかすると、世界一巨大な生物であるわけであるが、ギネスに登録されている話も聞かないし、世界遺産にも登録されていないし、世界を見渡しでもこの地域に一匹のみの生息であると思われるのに絶滅危惧種に指定されているという話も聞かないのである。

まあ、そんなよーな大ナマズの上に乗ってこれでもかと抑えこんでる石であるから、そら、パワーも半端ではないわけである。

そのパワーの出どころがこの小さなボコ石であるのであるので、そのパワーを頂くべく、香取神宮の要石と合わせてケイタイ・スマホの待ち受けにすることをご推奨申し上げるのである。

でも、基本的には大地震の被害除けのご利益であるのである。

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2015年2月10日火曜日

香取神宮



香取神宮(かとりじんぐう)は、千葉県香取市香取にある神社である。

主祭神はフツヌシ(経津主)として知られる経津主大神 (ふつぬしのおおかみ)で、別名は伊波比主神・斎主神(いわいぬしのかみ)、斎之大人(いはひのうし)てなことである。

経津主神(ふつぬしのかみ)は日本神話に登場する神であるが、日本書紀のみに登場し、古事記には登場しない神である。

また、出雲国風土記では布都怒志命として登場するつーことであるが、まったく興味がないので、なんにことやらさっぱりであるのである。

神のお告げの御筆先を自認する霊能商売の不肖象師匠としては、実に不謹慎なことであるので、これからは日本書紀と乞食いや古事記をじっくりとご拝読なされて、日本の古代史をこころゆくまで認識したいところであるが、おそらく絶対にご拝読されることはないのはご想像のとおりである。

香取神宮は、式内社(名神大社)で、下総国一宮である。

式内社とは延喜式内社の略で、延長5年(927年)にまとめられ、当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧である「延喜式」の巻九・十の神名帳 (じんみょうちょう) に記載されている神社を指すのである。

延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)とは、延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』の巻九・十のことで、当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧である。
延喜式神名帳に記載された神社、および現代におけるその論社を「延喜式の内に記載された神社」の意味で延喜式内社、または単に式内社(しきないしゃ)、式社(しきしゃ)といい、一種の社格となっているのである。

延喜式に記載された神社と同一もしくはその後裔と推定される神社のことを論社(ろんしゃ)あるいは比定社(ひていしゃ)と呼ばれるのであるつーことであるが、しかしなんだね、どんどんめんどくさくなるのである。

それでもめげずに、さらに、一宮(いちのみや)とは、その地域の中で最も社格が高いとされる神社のことである。

香取神宮の社格は、明治維新後に作られ第二次大戦後にGHQによって廃止された近代社格制度(旧社格)では官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社であるのである。

社格制度廃止後、伊勢神宮を除き全ての神社は対等の立場であるとされたのであるが、旧の官国幣社や一部の規模の大きな神社については、神職の進退等に関して一般神社と同じ扱いをすると不都合があることから、「役職員進退に関する規程」において特別な扱いをすることと定められ、その対象となる神社が同規程の「別表」に記載されていることから、「別表に掲げる神社」「別表神社」と呼ばれることとなったのであるつーことである。

まあ、パワースポット探訪の先駆けとして亀有の香取神社にはすでにご参拝済みであるが、香取市の香取神宮は関東地方を中心として全国のあちこちにある香取神社の総本社で、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社の一社であるのである。

また、宮中の四方拝で遥拝される一社であるつーことであるから、大変エライ神社であるのであるつーことを踏まえて、古今未曾有の大霊能者を自負する象師匠といえども一心不乱に気合を入れてのご参拝である。

四方拝において天皇が拝される神々・天皇陵は伊勢神宮、天神地祇、神武天皇陵・先帝三代(明治天皇の伏見桃山陵、大正天皇の多摩陵、昭和天皇の武蔵野陵)の各山陵、武蔵国一宮の氷川神社・山城国一宮の賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)と賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)・石清水八幡宮・熱田神宮・常陸国一宮の鹿島神宮・下総国一宮の香取神宮であるつーことであるが、このブログの文章はただでも漢字多様で読む気が失せるのに、さらに漢字だらけのわけわからん内容をこれ以上のめりこんでも読む人がだーれも居ないと思うので、このへんで勘弁してやるのである。

香取神宮は、常陸国一宮の鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)と古来深い関係にあり、「鹿島・香取」と並び称される一対の存在であるのである。

まあ、おおまかにそんなことであるが、門前町は香取神宮側から見ると閑古鳥である。


駐車場方面から見ると開いてる店ばかりに見えるのであるが、鳥居に近づくにつれて閉店の店が多くなるのである。

この日が平日ということもあると思うので、日曜祭日はどの店も開いてにぎわっているのかもしれないのである。

象気功はリアリズムをもって旨とするので、ふつーのブログでは避けて通る暗部もしっかりと描写してジャーナリストとしての使命をこよなく果たすのである。

つーことで、神社をご参拝申し上げる正しい順序は、二礼二拍手お賽銭一礼であるので、お賽銭二礼ニ拍手一礼ではよろしくないということをひと言ご注意申し上げておくのである。

さらに、お賽銭を賽銭箱に投げ入れてはいけないのである。

神様に向かって「ほらよ!」では、ご利益よりも神罰があたるのは当たり前であるので、そっと丁寧に入れなければならないのである。

また、神社においてはご縁がありますようにということでお賽銭は五円玉が基本であるが、現在の物価ではあまりにも少なすぎるので、あたしは大枚百円玉をそっと丁寧に放り込んだのである。

だから、放り込むのはやめろ。

ちなみに寺院においてはご縁があるとまずいので五円はよろしくないという話もあるが、寺院を葬儀場と勘違いしている馬鹿げネタであるので、あたしら敬虔なる仏教徒としては本来のお釈迦さんの教えの拠り所としての寺院の存在意義を復権したいところである。

おいおい、話がどこへ行くんだ。

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2015年2月8日日曜日

パワーストーン香取神宮の要石



千葉県香取市に鎮座する香取神宮のパワーストーン要石(かなめいし)である。

なにしろ要石であるので、要になっている石であるわけである。

古くは地中にお住いの大ナマズが暴れて地震になるということが信じられていたので、そのナマズを抑え込むための霊石であるのである。

霊石であるから、霊が憑いている石であるのである。

本来なら怖い石であるわけであるが、まあ、悪霊ではなく善霊が憑いているということかもしれないし、石自体が霊であるのかもしれないが、まあ、どーでもいいのはゆーまでもないことである。

しかし、何事にもこだわるマニアな誰かがソナーで探索したわけではないのでその真偽はいかばかりかと思う次第であるが、そんなことを真剣に考えてソナーを買ってしまった人はすみやかに病院に行って、センセーとおつむの治療をどーするかということについて相談した方がよろしいいかもしれないのである。

鹿島・香取の要石は大ナマズの頭と尾を抑える杭と言われ、見た目は小さいが地中部分は大きく決して抜くことはできないと言い伝えられているのである。

茨城県鹿島神宮の要石と地下でつながっているという言い伝えがあり、地中に埋まっている部分はとんでもなく巨大で、水戸光圀さんが掘らせてみたが堀きれなかったつーことである。

まあ、黄門様が掘るというとあらぬ方向に話が行きそうであるが、ここはひとつぐぐっとこらえて方向性を強固に保つのである。

この要石をケイタイの待ち受けにすると運気が上がるというまことしやかな噂が広がっているのかどーなのか、参拝客の皆さんはケイタイやスマホを向けて写真を撮っているのである。

まあ、こんなものを待ち受けにするだけで運気が上がるとは思えんが、べつに手間がかかるわけでもないので、写真を撮っておいて損はないわけである。

ケイタイの待ち受けにするだけで運気が上がるなら、これだけ長い動画を貼り付けたこのブログは激烈なご利益に預かれそうであるが、それもこれも神意であるので無理矢理な期待をすると神罰てきめんであるのはさもありなんということになるのである。

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