2013年8月21日水曜日

横浜中華街関帝廟



横浜中華街にある関帝廟(かんていびょう)であるのである。

この関帝廟は横浜中華街の関帝廟通りにあるのである。

そのまんまであるのである。

もちろん関帝廟通りにあるから関帝廟つーことではなく、関帝廟がある通りだから鑑定病通りであるのは想像に難くないのである。

ぷぷぷ、誰だ!笑ってるのは、ああ、あたしだ。

関帝廟は、関帝(関羽・関聖帝君・関帝聖君)を祀る廟(びょう:死者、特に祖先の霊をまつる所・たまや。神の祠)で、孔子を祀る孔子廟(文廟)に対比させて、武廟(ぶびょう)とも呼ぶ場合もあるつーことであるのである。

まあ、日本でいうところの神社であるわけである。

関帝廟の本殿は中央に関羽を祭り、右側に小説「三国志演義」で養子の関平(史実では実子)、左側に同じく「演義」に登場する配下の武将周倉の二神をそれぞれ祭っているつーことであるが、あたしは横山センセーの漫画の三国志で三国志を学んだのでさっぱり内容を覚えてないので、誰が誰だかさっぱりわからんのであるのである。

関羽は、信義や義侠心に厚い武将として名高くまた「演義」での普浄の逸話などから、民衆によって様々な伝承や信仰が産まれ、信仰を高め、また後の王朝によって神格化されて行くこととなり、その関羽を祭った祠(ほこら)が関帝廟の始まりであるつーことであるのであるが、。

また、関羽は、塩湖で知られた解県の出身である為、塩の密売に関わっていたという民間伝承があり、義に厚いとされる事から商売の神として祭られ、この事に起因して、そろばんの発明をしたという俗説まで生まれたつーことであるが、なにしろ俗説であるので、その真偽についてあれこれ論断しても始まらないのでとくに食いつかないのはゆーまでもないことであるのである。

この、商売の神つーよーなバミリ立ち位置から、華僑が世界中に散らばっていったときに、商売が繁盛する様にと、その居住区に関帝廟を立てたため世界中の中華街などで関帝廟を見ることが出来るつーことであるが、あたしはこの横浜中華街の関帝廟以外にはお越しになったことがないので、そのへんについてはむにゃむにゃとあいまいに言葉を濁してスルーするわけである。

いつものことで無意味に言葉を羅列してると思われると、神のお告げ霊界通信チャネリングをナリワイお仕事家業任務お役目とするあたしとしては大変心外であるので、ここでひとつはっきりと神のお告げ啓示神示をお伝えして失地回復の英断に出るのである。

くるまらめらほと、ほれまりくるりれ、にぎみたまあらたまからたまあそこのたまたま、ていてい。

ううむ、さすがに黄泉の国からの元締めの御言葉だけに意味がさっぱりわやくちゃであるのであるていてい。

まあ、象師匠はあたまがおかしいと思われる向きもあるかもしれないのであるが、いずれにしても神のお告げ啓示神示てなものはあたまのおかしい皆さんのたわごとであるので、まじめに読んでる人がいたらごめんねごめんねこれすべて何もかもあたしに憑いてる悪霊のせいなんだからあたしのせいじゃないもんねーていてい。

しまいにはバチ当たるので、一般の霊障タタリノロイ狐憑きカンダーリに弱いしろーとのよゐこの皆さんはまねしちゃいけませんよー。

そんなものはないなんて高をくくってる人は、ためしに神社のお守り売り場の前の巫女さんの前でたちしょんしてごらんなさい。

たちどころにけーさつに通報されて、おまーりさんにものすごく怒られること請け合いで、悪くすると住所氏名年齢付きで新聞ネタになったり、ワイドショーの事件再現ビデオで笑いものになるのである。

これぞ神のたたりと言わずになんとゆーのか、まあ、見方を変えると馬鹿丸出しといってしまえばそれまでであるが、ううう、落とし所が不明になってしまったのでこのへんで閑話休題、中華街大通りから中山路てな路地に入って、関帝廟に向かって象気功神霊心霊動画班ロケ隊はカメラと音声をオンにして撮影を敢行したわけである。

それで、まあ、関帝廟に、無事、ご到着遊ばしてみると、だいぶ前に来た時とはかなり違っていて、綺麗に整備されて、入り口の山門をくぐると供物売り場みたいなもんができていて、拝殿前の階段もきれいに整備されて、入り口出口てなもんもあって、以前は無料で入れた関帝廟の中が拝観料みたいなもんを払わんと入れなくなっていて、拝殿の中は中国の皆さんが真剣にご祈祷なされていて、あたしみたいな神も仏もない一般霊能者の立ち入る場所ではないことがよーくわかって、お外から参拝申し上げたのである。

でも、以前は全体がもっとオープンで気軽に中に入れて、お守り売り場のおばさんに進められて、木製のコマを床に投げて占うなんとか占いをしたのであるが、まあ、これだけ整備されたわけであるから、その費用を工面するためにもいろいろと細かくご商売禿げむのは当然至極であるのは自明の理であるので、あたたかい目で見守っていただきたいとゆーことでひとつお願いしますよ、って、誰にお願いしてるのか定かで無いのも自明の理であるのである。

それで、まあ、定番の霊気神気の波動であるが、これ、やっぱり参拝客が主にちゅーごくの皆さんのせいか、日本の神社仏閣のそれとは一線を画す、なんとも言い表しようのない賑やかな振動であるのである。

もちろん、タイの寺院祠ともぜんぜんちがうのである。

これが実に不思議であるが、国民性なのか、地霊の影響なのか、祀られた神霊の影響なのか、まあ、なんだ、いずれにしても、この世自体が脳の創りだした幻想幻影であるのであるから、そこはそれ、あたしの脳がその波動振動を作り出し、それをあたしが捉えているというアラドクスであるつーことかもしれないのであるてなことを思いながら、とにかくうちの会社もご商売であることにはかわりないので、商売繁盛にご利益があるかもしれないのである。

まあ、その霊気神気の波動振動がなんによるものであれ、あなたにそれを捉える感性感覚がなければ千金もただの錆鉄となるのは必定であるのである。

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