2015年9月7日月曜日

諏訪大社下社春宮



諏訪大社下社春宮(はるみや)である。

春宮は、下諏訪の下流、町の北端、秋宮の北西約1.2kmの地に鎮座し、下社最初の遷座地とされ、境内のすぐ脇には諏訪湖に注ぎ込む砥川(とがわ)が流れているのである。

祭神は、秋宮と同様に建御名方神 (たけみなかたのかみ)と八坂刀売神 (やさかとめのかみ)を主祭神として、八重事代主神 (やえことしろぬしのかみ)を合祀するのである。

祭神は、秋宮との間で春と秋の期間持ち回りで半年ごとに遷座され、毎年8月1日に春宮から御霊代を遷すお船祭りが行われ、秋宮で遷座祭が行われるのである。

秋宮の御神体はイチイの木であるが、春宮の御神体はスギの木(神木)である。

さてさて、それで、大鳥居をくぐって歩き始めると、境内の構成は秋宮と同じで、大しめ縄を下げた神楽殿の後ろに拝殿があるのである。

その拝殿の御簾の前の祭壇には鏡が祀られていて、その後ろは見えないのであるが、その後背部に一般の神社の本殿に当たる東西の宝殿があり、その後ろに御神体のスギの木があるわけである。

やほよろずの神々が鎮座する日ノ本であるから、神社という神社を踏破して、我、日本のカミゴトの申し子とならん、つーよーな心意気を持って拝殿から御神体を拝し、なむなむしたわけである。



えーと、それで、諏訪大社下社春宮の浮島社である。

諏訪大社の横を流れる砥川の中洲にある小さな祠であるが、そこはそれ、出くわす神のやしろはことごとくなむなむしてしまう神参りの権化象師匠としては、他の物見遊山の観光客が見逃すような狭小な神のお住いも見逃さずご訪問申し上げるわけである。

いってみればなむなむの押し売りであるが、神の迷惑かえりみず今日も明日もなむなむの訪問販売のノルマ達成に精進するわけである。

なんのノルマだ。



つーことで、諏訪大社下社春宮の境内から中洲の浮島を挟んで砥川を渡ると万治の石仏てな石仏があるのである。

万治というのはこの石仏を制作した人の名前ではなく、万治3年(1660年)11月1日に造られたとされるところによるのである。

これが予想を覆す実にパンクなできの石仏で、これをご覧になった岡本太郎さんが「芸術はバクハツだ」と激賞したつーぐらいの面白さであるのである。

万治の石仏については首が伸びるだのなんだのとテレビ番組にで話題になり、現在は土産物屋もある大人気のパワースポットであるのである。

まあ、とにかく、この石仏を「よろずおさまりますように」と念じて願い事をしながら時計回りにぐーるぐる三回廻って「よろずおさめました」と唱えると願いがかなうつーことであると石仏の前の立て札に書いてあるので、もちろん、そこはそれ、天下の名だたるお参りマニアの象師匠であるから、すぐにもぐーるぐる時計回りに三回廻って「ありがたいありがたい」と言ったのはゆーまでもないこである。

あれこれものごとを神仏に「お願い」すると罰をくだされるのである。

それが神罰であり仏罰である。

ときどき宗教関係の参詣バスが大事故にあったり道路から谷底に転落してるのが、その神罰仏罰の典型的な例である。

神も仏も、頼まれるのはめんどくさいので大嫌いであるということを心の奥深く認識しなければならないのである。

神仏に向かったらひたすらお礼を言うのである。

神社の拝殿での二礼二拍手一礼もお礼をしつこく繰り返しているということである。

もちろん二拍手は破裂音を嫌う悪霊を祓うということでもあるが、まあ、とにもかくにも「ありがたいありがたい」とお礼をするわけである。

カミゴトで言えば、普段からヤオロズの神々のご利益で、どんな形でも生きながらえているわけであるから、それだけでもありがたいわけである。

その上、欲をかいてあれこれお願いするとろくなことにはならないのである。

ひたすら「ありがたいありがたい」である。

見ず知らずのものにあれこれ頼まれたらめんどくさくて腹が立つが、お礼を言われたら誰でも嬉しいのである。

これが、神参りでも寺参りでも、最上のご利益いただく秘訣である。

ありがたいありがたい。

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2015年9月6日日曜日

諏訪大社下社秋宮



諏訪大社下社の秋宮(あきみや)である。

諏訪大社には上社(本宮・前宮)と下社(秋宮・春宮)があるのであるが、どちらが上ということではないのと同様に、下社の秋宮と春宮はどちらが上ということではないのである。

祭神は神建御名方神 (たけみなかたのかみ)と八坂刀売神(やさかとめのかみ)を主祭神とし、八重事代主神 (やえことしろぬしのかみ)を 合祀しているのである。

神の名はことごとく言霊でもあるので、早口言葉の練習と思ってこの三柱の言霊を息の続く限りわめくと霊験あらたかに輝ける明日が成就されることは必定である。

秋宮(あきみや)は、下諏訪の春宮の町の東端に鎮座する神社で、東方には承知川が流れているのである。

もちろん承知川がどこにあるのか象師匠におかれましたはご承知ではないのであるが、おそらくどこかに流れているのは霊能者の冷感いや霊感により確実であるのである。

秋宮では毎年8月から翌年1月のいわゆる秋の期間に祭神が祀られており、2月から7月までの春の期間は春宮にその役目を託すわけである。

祭神は秋宮と半年ごとに遷座され、毎年8月1日に春宮から御霊代を遷すお船祭りが行われ秋宮で遷座祭が行われるのである。

境内は社殿4棟が国の重要文化財に指定されており、周辺は温泉の湧出地で、境内にも御神湯が存在し、周囲は下諏訪温泉郷を形成しているのである。

つーことで、一体誰が読みたいんだという豆知識はこれぐらいで勘弁してやって、さてさて、下社秋宮と書いてある看板を右に見て、入口の大鳥居をくぐって石段を左右にして中央の石畳を歩き始めるとまもなく「寝入りの杉」という巨大な杉に出くわすのである。

この杉は樹齢600年と言い張っておられるのであるが、丑三つ時になると枝を下げて寝入り、いびきも聞こえると言い張っておられ、さらに皮を煎じて飲ませると夜泣きが止まると言い張っておられる、由緒ある立派な杉である。

その杉を回ってさらに歩くと巨大なしめ縄のある社殿にたどり着くのである。

「おお、さすがは諏訪大社だ、拝殿のしめ縄も特大ではありませんか」なんて感激もひとしお感涙にむせぶことしばしであったのであるが、それは神楽殿で、拝殿はその後背部であるのである。

それで、神楽殿の内部を拝見してから階段を降りて、神楽殿をぐるりと右に回ると、みごとに拝殿があったので、無事参拝の運びとなったのである。

拝殿の後ろに、一般の神社の本殿の代わりに諏訪大社の祭神である、神建御名方神と八坂刀売神を祀る宝殿が二つあり、その後ろに秋宮の御神体であるご神木のイチイの木があるのである。

ちなみに、宝殿は7年毎の御柱祭に片方ずつ建て替えられ、遷座祭がおこなれるのである。

それはともかく、御神体のイチイの木を拝殿から拝するわけであるが、もちろんどこに御神体のイチイの木があるのかわさっぱり見えないので、てきとーにあのへんだろうと見当をつけてむなむしたわけである。

神道の神社でなむなむはなかろうという無知蒙昧の輩の苦情は、仏教伝来以降の神仏習合の歴史を紐解けばすぐ瓦解することであるので、象気功信徒檀徒におかれましては教義にのっとり、こだわらずになむなむしていただきたいもんである。

なんでも拝んでおけば御神体のイチイの木も悪い気はしないのであるし、なむはあなたに帰依しますということであるので、なにごとも褒め上手はこの世を渡る優れたよすがであるということを教義のひとつに加えてご利益といたしたいのである。



諏訪大社下社秋宮境内にある恵比寿社である。

いや、まあ、トイレに行こうと思って歩いてたら、この恵比寿社があったので、ついでといっては恵比寿さんに大変失礼であるが、無視するのはさらに失礼であるということでついでになむなむしたのである。

なむなむ。

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2015年9月5日土曜日

諏訪大社上社前宮



諏訪大社上社の前宮(まえみや)である。

祭神は八坂刀売神(やさかとめのかみ)である。

諏訪大社最強のパワースポットである。

古来より前宮は本宮の摂社という扱いであったが、前宮とは本宮に対しそれ以前にあった宮との意味もあり、諏訪大社の祭神が最初に居を構えられ、諏訪信仰発祥の地と伝えられているのである。

現在の社殿は昭和七年伊勢神宮遷宮の際の御用材を貰い受けて建られたつーことであり、境内は「諏訪大社上社前宮神殿(ごうどの)跡」として長野県の史跡に指定されているのである。

つーことで、一口知識も軽やかに、このようにご利益満点の前宮参拝ということで、駐車場前の大鳥居から歩き始めて、細い石段を登ると手水舎と社務所のある境内に着くのである。

しかし、そこに本殿があると思うととんでもない間違いで、さらにそこから鳥居をくぐって石段を登ると十間廊(じゅっけんろう)と内御玉殿(うちみたまどの)に挟まれた境内に着くのである。

しかし、そこに本殿があるかと思うとさにあらず、そこから石段を登って、さらに200mほど人家の間の急坂をえっちらおっちら登ると、ようやく本殿の拝殿にご到着なされるのである。

まあ、全国の神社仏閣の急坂石段階段を軽々と制覇してきた象師匠からすると、息も乱れない程度の参道であるが、お年寄りやでぶやかばや心肺機能に問題のある人はゆーっくり登らないと、ご利益の前に救急車が必要になってえらいめにあうのである。

この本殿の背部の森林に前宮の祭神である八坂刀売神(やさかとめのかみ)の墳墓神稜があると伝えられ、東にその旦那の健御名方命(たけみなかたのみこと)の墳墓神稜があると伝えられるのである。

いずれにしてもこの神域に立ち入ると神罰てきめんであると伝えれるので、触らぬ神に祟りなしであるのはゆーまでもないことである。

また、前宮の「おやま」である周囲全域は古代大祝(おおほうり)一族の神霊鎮魂の墳墓であり、散在している石の多くは神族を埋めたとき置いた墳墓の瑩石(たまいし)であると伝えられるので、まあ、前宮一帯が霊地場であるということであるわけである。

この動画を見るだけでも、あなたの波動は悠久の古代にいざなわれ、その霊気神気の恩恵を遺憾なく享受されることは必定であるわけである。

かてて加えて、いつも言うことであるが、神社仏閣参拝のご利益の第一はこの急な石段階段を登ることによる血行促進であるので、早く登ることよりも、一歩一歩、その御利益を踏みしめて「ありがたいありがたい」と念じながら登ることが寛容である。

もちろん、取れ高優先のロケ隊としての象カメラにそんな時間の余裕はないので、すたこらさっさと歩き倒すわけであるが、まあ、体力に合わせてねつーことである。



さて、前宮本殿にて二礼二拍手一礼してなむなむして滞り無くご利益を頂いたら、本殿脇の前宮二之御柱の近くから怒涛の勢いで湧き出てその脇を本を通る水質抜群の湧水の流れである「水眼の清流(すいがのせいりゅう)」を柄杓ですくってごっくんごっくん飲んで喉を潤して、霊水の波動を身体臓器内蔵に染み渡らせるのである。

この水眼の清流が参道の坂道の脇の側溝を怒涛の勢いで流れ人家の用水となるのである。

この水眼の清流の源流はさらに上方の本殿後背部の山中にあるのであるが、もちろん聖域であり、また、地権者の意向により立入禁止であるということを更に申し添えて本日の祝詞奏上と致すのである。

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2015年9月4日金曜日

諏訪大社上社本宮



諏訪大社上社の本宮(ほんみや)である。

本宮(ほんみや)は、赤石山脈北端の守屋山北麓の諏訪湖上流に位置する長野県諏訪市中洲宮山1に鎮座し、祭神は建御名方神 (たけみなかたのかみ)である。

創建については、古事記・日本書紀に記述はあるものの、古すぎていつなんだかわかんないつーことである。

社殿6棟が国の重要文化財に指定され、社叢は落葉樹からなる自然林で長野県の天然記念物に指定されているつーよーなりっぱな神社である。

本宮のご神体は幣拝殿の後ろの森林(通称 御山)であるので本殿は無く、一般参拝客は拝所から斎庭を介して幣拝殿に向かい、ご神体である木々を拝するわけである。

つーことで、この動画は北参道の鳥居からの参拝であるが、これとは別に東参道の鳥居からは階橋をわたって入り口御門から回廊になっている布橋があるのである。



その布橋を、あたしの個人的参拝順序の都合で、出口から入ってカメラを回して、後半に入り口御門を差し込みであるのである。

本宮には本殿がないが、その代わりに勅使門を挟んで東宝殿と西宝殿の二つの宝殿があるのである。

宝殿の一方には神輿が納められ、寅と申の年の御柱祭で御柱建て替えと同時にもう一方へ遷座し、古い宝殿は12年ごとに建て替えられるのである。

神輿の納められる宝殿は「神殿」と呼ばれて祭祀が行われ、もう一方は「権殿」と呼ばれるつーことであるが、このような宝殿は、神社に本殿が設けられる過渡期の状態と考えられているてなことである。

その、歴史的にも重要な宝殿をこの布橋から拝することができるのであるが、これもあたしの個人的都合でそそくさとロケを敢行したせいで、神輿が納められている西宝殿がちらっと映って、権殿である東宝殿の造営ご敷地もちらっと映っているてなチラリズムの状態であるので、象気功信徒の皆様におかれましては速攻で二礼二拍一礼をしてご利益を満喫していただきたい。


まあ、諏訪大社といえば御柱(おんばしら)であるので、あたしの個人的都合で一番近くにあった、本宮二之御柱を霊写して奉上するのである。


ついでに境内にあった、雷電為右衛門の像である。

どーでもいいなんていわずに、とりあえずなんでも「ありがたいありがたい」と拝んでおけば、波動はよろしい方向に向かうということを申し上げておくのである。

さてさて、拝殿を取り巻く山の樹木の霊気神気を受ければ、細胞はいやが上にも活性化されるので、その御利益はいかばかりかというお為ごかしをもって拝礼の証とするわけであるが、動画をご覧になるだけでも、あなたの霊体はその地にいざなわれ、脳波の落ち着きとともに、波動が変わるのである。

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