2016年6月25日土曜日

タイのアユタヤ歴史公園のワット・プラ・シー・サンペットを歩く



アユタヤ歴史公園はタイの中部アユタヤを中心に展開したタイ族によるアユタヤ王朝(1351年-1767年)の遺跡群で、周辺の遺跡とともにユネスコの世界文化遺産に「古都アユタヤ」の名前で登録されているのである。

日本でタイのアユタヤといえば、このアユタヤ歴史公園の光景である。

さらにアユタヤのイメージといえば、この仏教寺院ワット・プラ・シー・サンペットの3つのパゴダ(仏塔)である。


歴史公園は広いので周囲のいくつもの寺院を含むのであるが、このワット・プラ・シー・サンペットのパゴダが日本のテレビ番組で頻繁に紹介されるので、アユタヤといえばこのバゴダのイメージであるわけである。


まあ、なにしろ700年前の遺跡であるので、風化してこんなに劣化してるのかというと、そーではないのである。

当時は隣国のビルマから盛んに責め立てられて、アユタヤの仏教寺院などが徹底的に破壊されてしまったのである。

中にはワット・パナン・チューンのように難を逃れて現在も700年前の姿を残す希少な寺院もあるが、ワット・プラ・シー・サンペットは残念ながら廃墟と化してしまったのである。


この写真は、後ろのパゴダとかぶって何が何やらわからんとは思うが、仏陀の像である。

寺院内には仏陀の像が数多く存在していたのであるが、ことごとく破壊されて、ほとんどが、その原型すら留めていないのである。


敬虔な釈迦派の仏教徒であるあたしとしては実に残念なことであるが、まあ、それもこれも、この世はなるようにしかならないということの釈迦のお導きであるわけである。


ワット・プラ・シー・サンペットの遺跡をご見学するには入り口横の建物で50バーツの入場券を買って、門の左側でパイプ椅子に座ったおじさんに見せるのである。

そのおじさんの左隣に座っているのは物売りのおばさんである。

その左隣に立っているのも物売りのおじさんである。

日本人とわかるとあれこれ物売り攻撃をしてくるので、観光の楽しさが半減してがっかりする人もおられるのであるが、どういうわけかあたしには攻撃してこないので、逆にその楽しみがないのである。

遺跡によっては子供も含めたご家族総出でご商売に勤しんでおられるのである。

まあ、けっこうなものを見せていただいたお礼と日タイ友好の一助として、お愛想に何かひとつお買い上げになられてもよろしいのであるが、荷物になるので帰りがけがよろしいかもしれないのである。


入り口の周囲には路上に店を広げてるおじさんやおばさんがおられて、主に竹で編んだカラフルなうちわを20バーツで売ってるのである。

タイの700百年前の面影をそこかしこに拝見して悠久の思いに目頭にはうっすらと嘘泣きの涙を浮かべつつ、あたしの物見遊山の人生は今日も水のごとくてきとーに流されてその場の成り行きで生きて行くのである。

ありがたいありがたい、なむなむ。

てなことでひとつお願いしますよ。

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2016年6月23日木曜日

タイ・アユタヤ遺跡のワット・ヤイ・チャイ・モンコンのパゴダに登る



タイランド王国の世界遺産のアユタヤ遺跡のワット・ヤイ・チャイ・モンコンの中でもひときわ高くそびえ立つ72mのパゴダいわゆる仏塔に登ったのである。

この寺院は1357年にアユタヤを建都した初代ウートン王がセイロン(現スリランカ)に留学中の修行僧たちの瞑想のために建てたもので、別名を「ワット・プラ・チャオプラヤータイ」というのであるつーことである。

てなことでこの仏塔はいわゆるセイロン風であるから、プラ・チェディーという呼び名がよろしいのかもしれないのであるが、タイの知人が仏塔をすべからくパゴダとおっしゃってるのでパゴダつーことでお願いしたいわけである。


このパゴダがなにしろ1592年にビルマ軍に勝利した記念の遺跡であるので、階段は狭くてボロボロのデコボコで、とんでもない急坂で、あぶないったらありゃしないのである。

まあ、登るときも大変であるが、これが、降りるとなると足腰強靭体力自慢が売り物のあたしでも、うっかりしてると踏み外して落っこちるのである。

そこを4歳ぐらいのお子様を連れたタイ人のお母さんが登ったりしてるので、この人達の危険の感覚はいったいどうなってるのかと大きなお世話をしてしまうぐらい危険である。

どう考えても年に何回かは落ちている人がいるとは思うが、特にニュースになってる様子もないので、危険すぎて慎重になるので落ちる人がおられないのかもしれないのである。

それで、階段の最上階のお堂に着くといわゆる賽銭箱のようなものがあって、そこに小銭を投げ入れると十数メートル下の底にチャリンチャリンと落ちるのである。

真ん中に入るとラッキーということであるが、どーでもいいのは言うまでもないことである。

さらにパゴダの周囲に回廊が巡らされていて、上から絶景をぐるぐるとご見学できるのである。

足腰脚力に自信のある向きは、アユタヤにお越しの際には是非とも登ってお楽しみ頂きたいと思うが、降りるときは手すりにしがみついて一段一段慎重に降りないと、アタマからゴロゴロと転落する可能性は充分にあるということと、普段運動をしていない人はひどい筋肉痛に見舞われる可能性が充分にあるということを一言申し添えておくのである。



ワット・ヤイ・チャイ・モンコンの涅槃仏である。

ごろりと横になったお釈迦様のお姿である。

このお姿でご臨終になったてなことであるが、まあ、お釈迦さんは晩年に胃が悪かったてな話もあるので、胃弱の人の常で消化を助けるために右を横にして寝ておられるお姿かもしれないのであるが、涅槃からは遠くなってしまうので、やはりご入定のお姿ということにした方が無難である。

タイのお坊さんのお話によると、お釈迦さんのご臨終の際のお弟子さんに向けたお言葉は「こだわらずに、世間に合わせて生きて行きなさいね」てなことであったそーであるので、まあ、てきとー明るく楽しく生きていけばいいわけである。

ごもっともである。

まあ、なんである、タイに長い間住みながらバンコク周辺をうろうろするだけで、いわゆるタイの観光地をご拝見してなかったので、今回は実にけっこうな風景情景をご鑑賞できてこれ幸いの日々である。

ありがたいありがたい、なむなむ。

一応拝んどくのである。

一応かよ。

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2016年6月19日日曜日

タイ・アユタヤの仏教寺院ワット・パナンチューンの黄金の大仏



タイのアユタヤの仏教寺院ワット・パナンチューン(Wat Phanan Choeng Worawihan)である。

アユタヤが首都となる26年前の1324年にすでに建てられていたのであるが、何度も繰り返されたビルマ軍の破壊から奇跡的に残った寺院であるつーことで、大変に縁起がよろしい寺として、現在もタイの多くの人々の厚い信仰を集めているので、大人気で大混雑である。

寺院全体が中国風であるので、タイの他の寺院とは感じが違うのであるが、いずれにしても仏教寺院であるので、そこはそれ、なむなむして、そのパワーをご利益としたいと思うのは庶民派霊能者としてのあたしの心意気である。

ううむ、タイに居るとおつむになんの虫が湧くのか、文章がでたらめになるのである。

とにもかくにも歴史的な古い建物であるので、この日も保存のためにあちこち工事中の場所もあるのである。


本堂伽藍内部には本尊である高さ19mの黄金の大仏様の坐像を安置しているのである。

鎌倉の大仏様や奈良の大仏様よりさらにでかいので、そら、ほんまにでかいのである。

まあ、でかけりゃいいというものでもないとは思うが、神も仏もない不心得者のあたしも、その威容に圧倒されて、思わず涙も溢れてくるのである。

嘘泣きだろうと言われればぐうの音も出ないのは言うまでもないことである。


つーことで、本堂の周囲の回廊であるが、700年近い歴史の重みで右側の土台の中央が微妙に湾曲しているのがお分かりになるだろうか。



タイの他の寺院と比べて、寺院全体が装飾も含めて中国色が強いのであるが、境内には中国の道教の寺院もあるのである。

中国の姫がアユタヤの国王との政略結婚のためにアユタヤに送られ、到着時に国王が迎えに来なかったのを儚(はかな)んで窒息死したという伝説があるぐらいアユタヤ王朝は大変に中国と関係が深く、ワット・パナンチューンの境内の外には広大な中国人の共同墓地もあるのである。



ワット・パナンチューンの境内の前にチャオプラヤー川が流れていて、参拝者の多くがオオナマズに餌をあげてるのである。

川魚に餌をあげるのは徳を積むということであるが、オオナマズ君はその餌で十分に育ったところで食われてしまうのは想像に難くないところである。


この建物が餌やり場の入り口であるが、なにしろ徳を積む場所であるので、入り口もなんとなくありがたい雰囲気が漂っているわけである。

ありがたいありがたい、なむなむ。

なんでも拝んどけ拝んどけである。


これがオオナマズのRed Tail Catfishであるが、展示箱のロゴがCasfishになっているのはご愛嬌である。

この剥製の大きさが1m以上あるので、餌に群がっているのはまだ子供で、育つとピラルク同様にとんでもない大きさになるわけである。

ありがたいありがたい、なむなむ。

魚を拝んでどーすんだよ。


これがオオナマズの餌の自動販売機である。

タイの街角にドリンクの自販機はないが、餌やり場には魚の餌の自販機があるのである。

寺院までの街道にもたくさんの露店で300バーツで巨大なビニール袋に入った赤青黄色の華やかな色合いの餌を売ってるので、たいへん人気のある功徳の方法であるわけである。


この人達は付近の露天で買ってきた魚を川に逃がして徳を積んでるのである。

その逃されたお魚さんも十分に育っところで食われてしまうのは言うまでもないことである。

ありがたいありがたい、なむなむ。

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