2019年2月2日土曜日

東慶寺(北鎌倉)



東慶寺(とうけいじ)は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗円覚寺派の寺院である。

山号は松岡山で、寺号は東慶総持禅寺である。

東慶寺でもらったパンフレットの寺伝によると、弘安8年(1285年)に時宗夫人の覚山志道尼(かくさんしどうに)によって開創され、以来明治に至るまで本山を持たない独立した尼寺であったのであるが、現在は円覚寺末寺の男僧の寺である。

後醍醐天皇皇女が護良親王の菩提を弔うために入寺し5世用堂尼とたったことから御所寺、松岡御所と称せられ、江戸時代には豊臣秀頼息女が20世天秀尼となり、縁切寺法を徳川幕府に認めさせ、松岡御所は一段と格式のある寺となったのであるつーことである。

群馬県の満徳寺(まんとくじ)と共に江戸幕府寺社奉行も承認する縁切寺として知られ、当時は正式に女性の離婚に対する家庭裁判所の役割も果たしてということである。

もうわかりましたから、このへんで。


来る前には勝手になんとなくこじんまりしたお寺さんのイメージを抱いていたのであるが、これが意外や意外の広大な敷地で、入口から山門までがこの通りの距離である。

山門で拝観料をお支払いするのであるが、無人で、勝手に箱に200円を入れて、置いてあるパンフレットを勝手にもらうのである。

もちろん無人とはいえ拝観料をごまかすなんてえのは、富豪気功家象師匠の沽券にも股間にもかかわることであるので、ロケの前に、気前よく2個の100円玉を、例によって「つりはいらねえよ」と景気よくお支払いしたのは言うまでもないことである。


だいぶ前に公開された某映画で、縁切りのために女性が階段を駆け上がって駆け込む山門は、この写真の奥に見える山門であったのは論を俟たないところであるが、現地のロケなのかセットなのかは定かでないのも論を俟たないところである。


境内から山門を見てもこの広さで、通路の両側にあれこれの建物があり、整備も手入れも行き届いているのである。

本来は四季を通して境内に花が咲き乱れるのをご鑑賞できる楽しみを売りとしているが、当日が正月の2日という厳寒の時期であったので、枯れ木の枝ぶりと枯れ野を心行くまで堪能できるのである。


パンフレットによるとここは菖蒲畑で、建物は白蓮舎てなお名前の立礼席(りゅうれいせき)の茶室である。

立礼席は、裏千家十一世玄々斎が創案した作法で、椅子に腰掛けて行うお点前である。

しらんがな。


境内のほぼほぼ中央に泰平殿と呼ばれる東慶寺本堂があり、入口はがらりと開け放たれているので、どなたも心ゆくまで本堂内をご観覧できるのである。


本堂内には波羅蜜と扁額がかかり、ライトアップされた奥にご本尊の釈迦如来が神々しく光り輝いているのである。


ぐぐっと寄ってみると、本尊の左には二十世天秀尼像が鎮座し、右には開山覚山尼像と五世用堂尼像が鎮座しておられるのである。

ううむ、興味がないので、これ以上どうしていいかわからない。



この建物は単なる住職のお住いに見えるが、東慶寺の書院である。

当初の書院は、1634年(寛永11年)に徳川忠長屋敷から移築されたものだったが、1923年(大正12年)の関東大震災で倒壊したため、現在の建物は、その当時の間取りで大正期に再建されたものである。

誰か読んでる人いるのかね。


境内の通路の奥に鎮座する釈迦如来像である。

もちろん、ありがたいありがたいと連呼して、やらないよりはマシのご利益をあれこれしたのは言うまでもないことである。

なんでもおがんどけおがんどけである。

それを仏縁というのである。

なにもしないよりは、仏に縁があるわけである。

ものすごく根拠が希薄である。

大きなお世話である。


右の建物は松ヶ丘宝蔵である。

ここには重要文化財の聖観音菩薩立像や東慶寺文書、初音蒔絵火取母、葡萄蒔絵螺鈿聖持箱をはじめとして、多くの文化財が展示されているのであるが、ご鑑賞は要予約である。

もちろん予約などしてるわけがないので、お外からのご鑑賞である。

これも仏縁である。

なむなむ。

おまえ、まったくのアレだろ。


茶室の寒雲亭(かんうんてい)の門である。

前述したとおり、当日は正月の2日であるので、正月飾りがかけてあるのである。

寒雲亭は裏千家茶人・千宗旦が建てたのを始まりとする裏千家で最も古い茶室である。

もちろん中に入るには、あれこれの手続きが必要であるので、これもおお外からの門のご鑑賞である。

まあ、この門の屋根の苔の具合いがなんともそこはかとない風情を醸し出しているのである。

だから、しらんがな。


さて、このなんの変哲もない石は、神社仏閣でときおり見かける「さざれ石」である。

なにしろ国歌にも歌われるさざれ石であるので、この石にすごい言われがあるのか、出入りの植木屋さんがもってきたのかはさておいて、それがなんであれ、ありがたいありがたいと連呼して、おげんどけおがんどけであるのはあたしのモットーである。

モットーかよ。

てな一人ツッコミでお楽しみであるが、実はこのモットーが象気功の神髄で、なんでもありがたいのであるから、この世は極楽である。

困難苦難でさえありがたいのであるから、常によろしいホルモンが大放出で、細胞は大喜びである。

こじつけかよ。

うるせえよ。


この石というのか石碑というのか、これはいったいなんだろうと寄ってみると、なんか書いてあるのである。


「女作者はいつも、おしろいをつけてゐる この女の書くものはたいがい、おしろいの中からうまれてくるのであろう」てなことが書いてあるのである。

調べてみると、東慶寺に墓のある作家の田村俊子さんの碑であるらしいのであるが、あたしゃ俊子さんの作品をお読み申し上げたことがない上に、さらには、これから読むこともないので、すまん。

俊子さんには、とりあえずあやまって、ありがたいありがたいとなむなむしたのは言うまでもないことである。

しまいに誰かにものすごく怒られそうな気がするが、無理にでも笑いを取ろうとするのは、お笑いネット芸人の習性であるのでしょーがないのである。

とにもかくにも、人間は意図的に笑いをとれるようになって一人前である。

こんなんで誰が笑うんだ?。

そう言われるとぐうの音も出ません。


東慶寺の鐘楼である。

みりゃわかるのである。

これが鐘楼以外のものに見えたら病院に行かなくてはならないのである。

東慶寺の鐘楼は大正5年に建てられ、大正12年の関東大震災で唯一倒壊しなかった建築物である。

さすがは釈迦如来のご利益であるが、これが唯一ということは、その他は全滅ということであろうから、ううむ、どうなんだろうか。

掘り下げるのややめよう。

楽しんでいただけましたでしょうか。

無理だろ。

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