2014年10月21日火曜日

八坂神社(香取市佐原)



八坂神社(やさかじんじゃ)は、千葉県香取市佐原本宿にあり、7月に行われる佐原の夏の大祭(祇園祭)で知られる神社である。

古くは佐原諏訪山近傍の天王台に創建され、江戸時代前期の天和年間(天正以前の説あり)に現在地へ遷座し、佐原・本宿地区の総鎮守となったつーことであるのであるが興味のない人は読み流していただきたいのである。

当初表口は浜宿側(現千葉萌陽高等学校側)にあったが、明治初年社殿改造の際に現在の八日市場側(千葉県道55号佐原山田線・通称香取街道側)にも増設されたのであるのである。

それ以来、この神社には正門が2か所存在し、それぞれ浜宿口、八日市場口という呼び方がされ、正門は1年置きに交代するのであるが、これも興味のない人は読み流していただきたいのである。

2014年の今年はどうも八日市場口が正門と思われるのであるが、つーことは偶数年は八日市場が正門で、奇数年は浜宿口が正門つーことであるのである。

あたしは佐原駅からお越しになったので、浜宿口の鳥居からお入りなって、撮影は八日市場口の鳥居から始めたのである。

境内には水郷佐原山車会館があり、午前9時~午後4時30分の開館であるのであるが、7月の夏の大祭のときは午後8時30分まで開館しているのであるが、今回は時間の関係でご見学はなしであるのである。

まあ、あたしがご参拝になった時は、諏訪神社を中心として行われる秋の佐原の大祭のご見学の物見遊山の途中であったので、この八坂神社にはだーれもいないので、寂しくお一人でご参拝なされたのである。

神選霊能者のあたしの人生は、何事においても神のお告げ思し召しで物事を成り進めるのであるから、どこのカミヤシロも疎かにせずご参拝申し上げて「ありがたいありがたい」と大脳辺縁系に栄養を補給するわけである。

しかしまあ、日本人つーものは神様好きで、どこの地方にいっても街を歩けばカミヤシロに行き会うのである。

それがどんな小さな鳥居であっても、そこはそれ神の遣いとしてのお役目柄、きちんと二礼二拍一礼して、なむなむと拝んじゃうのである。

もちろんこの八坂神社でも鳥居をくぐって拝殿の前にもう出て、なむなむをしたわけであるが、なむなむはもしかしたら大変まずいかもしれないのである。

正式にはかみかみかもしれないし、かむかむでもいいかもしれないのであるが、いったいなにが正解なのかはわかったもんじゃないのである。

ううむ、いかん、脳に神虫が湧いてでたらめになってるので、このへんでお開きにするのである。

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2014年10月16日木曜日

諏訪神社(香取市佐原)



この諏訪神社(すわじんじゃ)は、千葉県香取市佐原新宿にある神社で、佐原の大祭秋祭りで知られるのである。

祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)で、天正年間に信濃国諏訪大社から勧請され分霊として鎮座しているのである。

現在の社殿は嘉永6年(1853年)に造営されたという実に由緒も歴史もあるご立派な神社であるのである。

まあ、これ、秋の佐原の大祭のロケのために来たついでに寄ったみたないことになってるのであるが、この諏訪大社に参拝することが本筋であるのはもちろんであるのである。

それでも、神社には大祭観光の皆さんがそれなりに訪れていて、祭りの賑わいがそこかしこに感じられ、ああ、明日から大型台風やってくるというのに、こんな晴天に恵まれて、なんてあたしは運気がよろしいのかと感心することうううなんだそのほれあれだオチがでないのである。

それでまあ、とにもかくにも、佐原駅から途中で酒屋さんの試飲のお神酒を頂いたりしながら歩いて10分ぐらいで鳥居にたどり着いて、さて、お楽しみの神社の石段についたのであるが、石段の上を見上げると果てしない石段が続いていて、なんでこんなに石段を石段したんだと石段に恨みつらみをぶつけたくなるぐらいの急峻な高さであるのである。

まあ、そうはいっても神社参拝の石段登りは神道修行の基本であるので、ありがたいありがたいとカメラを回しながら登り始めたら、三段構えの127段であるので、これがけっこうハードな石段で、思った以上の急坂であるのである。

途中からお神酒の威力も含めて息が切れてきて、しかし、ハアハアと息切れの音が入ったのでは気功太極拳意拳合気道空手柔道で鍛えた筋肉自慢のあたしの名折れになるので、息をできるだけしないよう登ったら、酸欠で目が回ってきて、それでも強引にがまんがまんと登り切ったて、息を止めてご参拝申し上げて、カメラを止めて、脇にある参拝休憩所の長椅子に倒れこんだのである。

神社の階段を登る時は息を止めるとえらいことになるので、良い子の皆さんはけっして真似をしないようにご注意を申し上げる次第であるのであるが、そんなアホなことをする人がいるとは思えないので蛇足馬足豚足であるのである。

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2014年10月7日火曜日

高尾山薬王院・本堂・本社(権現堂)・仏舎利奉安塔



高尾山薬王院本堂である。

高尾山薬王院有喜寺(たかおさんやくおういんゆうきじ)は、東京都八王子市高尾町2177の高尾山にある寺院で、真言宗智山派の関東三大本山のひとつであるのである。

薬王院本堂に至るまでの参道の男坂百八段の石段は結構な急峻で、おねーさんが途中でへばって動けなくなってるのである。

もちろんあたしは健脚が売りの修験道行者であるので、とんとんとんと男坂百八段の石段を爆走して楽勝でご来院遊ばしたのである。

誰が修験道行者だ。

ちゃんちゃん。

ううう、つまらん、死にそうだ。

本堂には開山本尊・薬師如来と中興本尊・飯縄権現が祀られているのである。

現在の堂宇は1901年(明治34年)に建立されたもので、彩色は施されていないが、彫刻で装飾され入母屋造で堂内には護摩壇があるつーことであるが、動画でごらんの通りであるのであるのである。

ううむ、つらつらと脳裏を鑑みるに、こんな一口知識を羅列してもだーれも読んでるとは思えんが、まあ、もしかしたら物好きもいるかもしれないので、書いておくのである。



続いて、本社(権現堂)である。

本社前の石段も百段あるのである。

動画ではそれを一気に登ってるわけであるが、脚力自慢のあたしを持ってしても、この速度で登ると脚に来るのである。

神社のご利益は石段また石段というところでもあるのである。

これを毎日登ってお参りすれば、いやがおうでもご健康は成就なされるのである。

薬王院の中心となる本社で、権現堂だけに本尊として飯縄権現を祀る神社であるので、社殿の前には鳥居があるのである。

寺院の中にある神社という形態は神仏分離以前の神社の姿の一つの典型例といえるわけであるが、他にはあたしの守り神である豊川稲荷が有名であるのである。

現在の社殿は1729年(享保14年)に本殿が建立され、1753年(宝暦3年)に幣殿と拝殿が建立され、のちの1805年(文化2年)・1965年(昭和40年)・1998年(平成10年)に大改修を行なっているつーことであるよあーたこれがだからなんだなんて言わないでね。

本社は入母屋造の本殿と拝殿を幣殿で繋いだ、いわゆる権現造で、江戸時代後期の代表的な神社建築であるのである。

1952年(昭和27年)に東京都指定有形文化財に指定されたのであるのである。

またまた一口知識のご開陳であるが、尺を埋めてるだけなんてことを思ったりすると飯縄権現様の祟りでろくなことにならんのはゆーまでもないことであるのである。



続いて、仏舎利奉安塔である。

仏舎利(ぶっしゃり)とは、入滅した釈迦が荼毘に付された際の遺骨及び棺、荼毘祭壇の灰塵を指し、「舎利」は遺骨または遺体を意味する梵語シャリーラ(śarīra)の音写であるのであるが、この「梵語」というのがサンスクリットなのかパーリ語なのかは調べるのがめんどくさいので定かではないので、お好きな方は心ゆくまでお調べになってお楽しみ頂きたいのであるが、あたし的にはどーでもいいのであるのはゆーまでもないことであるのである。

この塔はあたしの故郷タイ王国から寄贈された仏舎利を祀り、仏舎利塔の前に飯綱大権現の像が建っているのである。

誰がタイ人だ。

ちゃんちゃん。

だからちゃんちゃんはやめなさい。

使い回しもやめろ。

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2014年10月1日水曜日

龍泉寺(精進湖)



龍泉寺は山梨県甲府市上曽根町にある曹洞宗の寺院であるのである。

当寺院の本堂と庫裏は河口湖町指定有形文化財であるのである。

江戸時代初期に馬山託存によって開かれたつーことであるので、実に由緒歴史のある立派なお寺さんであるわけであるが、お布施が少ないのか、周囲は手入れが行き届いていない感じであるのである。

伝承によると開かれたのは江戸時代初期であるが、その後34回に渡って移転して、江戸時代の中期の宝永年間(1751年~1765年)の大火で消失し、現在の本堂と庫裏はそのご再建されたものであるつーことである。

仏道(本堂)には木造龍泉寺開山像と龍泉寺伝聖観音菩薩坐像が安置されているつーことであるが、本堂の扉は閉まってるので、見ることはできないのである。

境内墓地には精進湖を世界中にご紹介あそばして、富士山麓観光開発の祖となった英国人のハリー・ウイリアム・ホイットウォーズ(帰化後の日本名・星野芳春)の墓があるつーことであるが、めんどくさいので見に行かなかったのである。

龍泉寺は富士五湖のひとつの精進湖畔の国道139号線から細い枝道を5分ほど歩くと、国指定天然記念物の精進の大杉で有名な精進諏訪神社と並んであるのである。

まあ、なんだ、これって意味があるのかどーなのかわからんが、まあ、町の小さなパワースポットを開発するという立派な志があるわけであるが、誰も期待していないのかもしれないのである。

それで、龍泉寺はとても観光客が入ってくるとは思えないような、いってみれば路地の奥にあるのであるが、隣の精進諏訪神社と並んであるので、あたしが行った時にもツアーのおじさんおばさんがどやどやと添乗員に連れられてついでにお参りしているのである。

まあ、一日にどのくらい観光客が来るのかはわからんが、精進湖畔からの参道には店もないので、賑わいはまったくないのである。

おそらく土日休日にはもっと観光客がそれなりに訪れるのかもしれんが、あたしは土日休日はできるだけ車での遠出は避けるので、想像の域を出ることはないのはもちろんである。

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