2015年10月31日土曜日

鬼怒川温泉神社



鬼怒川温泉神社は栃木県日光市の鬼怒川温泉にある神社である。

動画冒頭の大鳥居は藤原町護国神社の鳥居で、護国神社拝殿に向かって右奥にある流造銅板葺きとおっしゃる赤い妙な建物が、この鬼怒川温泉神社本殿である。

創建は不明であるが、温泉の霊力を神格化し崇拝され建立されたことから、祭神は医療・禁厭の神である大己貴命(おおなむちのみこと)と小名彦命(すくなひこのみこと)である。

もちろん温泉湯治による健康効果の基本は血行促進による自然治癒力向上であるが、まあ、医学もなにもあったもんでは無い時代には、それもこれも八百万の神のどなたかのなせる業であると考えたわけである。


現代では象気功の会陰メソッドが自然治癒力回復の神業となっているわけであるが、なにしろ、象師匠の言動がことごとく不行き届きであるので、今後も象師匠が神と崇められることはないのである。

まあ、とにもかくにも鬼怒川温泉でじっくりとあったまって、それなりに健康効果を実感した人は、この温泉神社に参拝してありがたいありがたいとお礼を言うことが正しい作法である。

参拝に際して工事音のBGM入りであるが、それもこれもカンナガラであると考えると、ありがたいありがたいと拝聴できるのである。

ときどき画面がゆがむのはスマホのカンナガラである。

ううむ、やっぱり、やかましいのである。


鬼怒川温泉神社境内のすぐ下には鬼怒川温泉ロープウエイの乗り場があって、おさるの楽園に行けるのであるが、特別におさるを見たいということもなかったのと時間がケツカッチンであったことも含めて、スルーしたので、レポはないのである。

いらんだろ。

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2015年10月7日水曜日

諏訪神社(軽井沢町)



諏訪神社(軽井沢町)は長野県北佐久郡軽井沢町大字軽井沢字諏訪森865番地に鎮座する神社である。

現在の社殿は元禄期の再建であるつーことであるが、詳細な創建年代は不明であるのである。

ご神木の樹齢が推定500年ということであるから、まあ、いずれにしても、大変由緒のある神社であるわけである。

諏訪神社は全国に約25,000社あると言われ、諏訪湖近くの諏訪大社を総本社とし、諏訪神社を中心とする神道の信仰を諏訪信仰というのである。

諏訪大社の祭神は諏訪大明神とも言われる建御名方神(たけみなかたのかみ)とその妃・八坂刀売神(やさかとめのかみ)で、他の諏訪神社もこの二神を主祭神とし、この二柱を「諏訪大神」と総称することもある。

諏訪大社より祭神を勧請する際には薙鎌(なぎがま・なぎかま)に御神霊が移され、各神社ではこれを御神体としているのであるが、もちろん大霊能者象師匠といえども御神体を直接拝することはできないので、賽銭箱の前からなむなむしたのである。

ちなみに、薙鎌は長柄に鎌状の刃を付けた武器である。

諏訪大神は古来より軍神として崇敬されたのであるが、また中世においては狩猟神事を執り行っていたことから、狩猟・漁業の守護祈願でも知られるのである。

なるほどねつーことである。


とにもかくにも、この神社は趣きのある大変小さな神社であるが、旧軽井沢銀座からすぐ近くにあるという抜群の立地条件の物件でのため、物見遊山のついでのカップルなんかが訪れるので、参拝客はそれなりにあるのである。

このすぐ近くの駐車場にキリスト教の教会もあるので、和洋を問わず神ならなんでもお参りする象師匠としては、もちろんそちらもなむなむしたのであるが、カメラを回すのをお忘れになったので、オンエアはこちらの和式の神様となったのである。

まあ、常々、あたしは神のお告げと言う名の口から出まかせで「神社で頼みごとをしてはいけない。ひたすら神様にお礼をするのが正しい作法である」と言いふらしていたのであるが、先日、これが実際に正しい作法であるということが判明したので、「あーら、びっくりね」と、今更ながら神のお告げというものはすごいもんであるなあと、感動感激して感涙にむせんで嘘泣きしてしまったのである。

はらいたまえ きよめたまえ まもりたまえ さきわえたまえ。

なむなむ。

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2015年10月6日火曜日

懐古神社


懐古神社は長野県小諸市の小諸駅のすぐ近くにある小諸城址懐古園の旧城の本丸跡にある神社である。

懐古神社は神社本庁に所属し、宗教法人懐古神社が運営する神社で、氏子数は約50名であるが、宗教法人懐古神社は小諸公園(懐古園)の地主であるつーことであるが、これ以上食いつくといろいろと差し障りがえらい出てくるので、この辺でうやむやにするのである。

祭神は小諸藩主牧野氏歴代の霊、菅原道真(天神)、火之迦具土命である。



懐古神社の鳥居までたどり着くには、まず、懐古園入り口の三の門から入って三の門料金所で散策券300円の入園料を払ってから、てくてくと城址内を歩いて行かなければならないのである。

この日は某議員さんの団体の視察があったせいなのかどーかは定かではないが、清掃その他の係の皆さんが大勢おられたのである。

てなことで、ロケ中にも関わらず途中で気さくな園内清掃のおじさんにご挨拶をされたりして、なかなか波乱万丈の成り行きであるが、まあ、それもこれも八百万の神々のお授けであるので、ありがたいありがたいとお受けして、拝殿の前に言ったら、植木屋さんがトラックのエンジンをかけっぱなしでお仕事中であるので、ディーゼルエンジン音がBGMという香ばしい参拝となったのである。

なんにしても、ありがたいありがたいと二礼二拍手一礼して拝んどけ拝んどけである。


それで、JR小海線の線路を挟んで向かい側にはあーらびっくりねつーぐらい立派に整備されている「停車場ガーデン」てな立派な公園になっていて、その公園に小諸城の大手門があるのである。

つまり、この一帯が小諸城の城郭であったわけであるが、鉄道が分断してしまったわけである。

大手門は三の門とともに国指定重要文化財である。


大手門を内側から見るとこんなである。


ついでに、城址内にある稲荷神社である。

神様に対してついでとは大変不遜失礼な言い様に聞こえるが、たいていの一般衆生の神社参拝自体が物見遊山観光のついでであるし、いずれにしても、素通りするよりは神と縁があるわけであるので、神様もお喜びであるのは確信するところである。

なむなむ。

だから、なむなむじゃないったら。

はらえたまえ きよめたまえ もまりたまえ さきわえたまえ。

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2015年10月5日月曜日

布引観音(釈尊寺)



布引観音(ぬのびきかんのん)として有名な釈尊寺(しゃくそんじ)は、長野県小諸市にある天台宗の寺院で山号は布引山である。

創建は伝承によると神亀元年(724年)であるから、1200年以上以前であるわけである。

本堂は旧国宝で現在は国指定重要文化財である。

「牛に引かれて善光寺参り」伝説発祥の地としても知られており、本尊は聖観世音菩薩である。

ちなみに「牛に引かれて善光寺参り」というのは、昔、長野の善光寺近くに住んでいた不信心で欲深い老婆が、軒下に干していた布を隣家の牛が角に引っかけて走り出したのを見て、その牛を追って文句百曼荼羅をほざきながら歩いて行くうちに善光寺にたどり着き、それがきっかけで度々善光寺に参詣するようになり、信仰の道に入ったと言う故事言い伝えである。

老婆はあれこれあって、家に帰って近くの観音様にお参りすると、牛に持って行かれたはずの布が観音様に足元にあるではありませんかてなことで、その観音様が布引観音であるつーことであるが、この地は善光寺から50km以上離れているのである。

ぜんぜん近くではないではないかとつーよーなツッコミを入れてると尺が足りなくなるので、スルーするのであるが、とにもかくにも、実際に行ってみると、とんでもない山奥を延々登らされるのである。

動画は、延々15分ぐらい険しい山道を登った果ての最後の方であるのでその険しさはわからんと思うが、布引観音のおわす本堂はいわゆる投入堂(なげいれどう)に近い建築様式の建物で、山の中腹の岩盤に無理やり建てたお堂であるのである。

この投入堂の建築業者の先駆けが修験道開祖の役小角であると言う説があるが、つまり、修験道の修行は当時の寺院建築の大工さんが、とても建築不可能と思える山の中腹の岩盤に投入堂を造るための建築に関する修行の一環であるということであるわけである。

まあ、その真偽はともかくとして、そのぐらいとんでもない場所にあるのであるが、これが、意外や意外の大人気で、山麓の駐車場には平日であるのにけっこうな数の車が停まっていて、参道の山道からはどんどん老若男女や小さな子供連れのご家族が下りて来るのである。

参道というよりは登山口には、たくさんの原木の杖が置いてあり、老人老婆や足の弱い人はこれを持って登りなさいてなことであるらしいのであるが、もちろんあたしはそんなものを持って登るわけもなくて、颯爽と手ぶらの登坂となったのはゆーまでもないことである。

まあ、神社仏閣の石段登りをこよなく愛するあたしとしては、さらに嬉しい15分の極楽登山街道であるので、心置きなくその極楽を堪能して、「これじゃあ、この寺の住職さんは大変だが、修行といえば修行であるので、ありがたいありがたい」とへろへろになって境内にたどり着いたら、車が停まってたのである。

境内の裏の方から山麓まで車道があるらしく、住職さんは車で行き来してるわけである。

「ううむ、修行が足らん」と言いたいところであるが、大きなお世話であるので言わなかったのは言うまでもないことである。

それで、本堂にお参りしたら、足元に猫がおられたので、これも仏縁とゆーことでなむなむしたのは言うまでもないことである。



かわいいでちゅねー。

ううむ、いかんな。

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2015年10月2日金曜日

妙義神社



妙義神社(みょうぎじんじゃ)は、群馬県富岡市妙義町にある神社である。

榛名山・赤城山とともに上毛三山の一つである妙義山の東麓に鎮座し、妙義山信仰の中心となっている神社である。

主祭神は日本武尊、豊受大神、菅原道真公、権大納言長親卿と盛りだくさんであるので、たいていの願いはお聞き届けいただけると思うととんでもない間違いで、いつも言うことであるが、神様にお願いをするなんて不届きなことをすると、ひどい神罰をお授けいただくことになるのである

本殿拝殿の前に立ったら、二礼二拍手一礼して「ありがたいありがたい」とお礼をすることが、今後のあなたをさらに守護していいただく唯一の作法である。

神様だってお礼を言われて悪い気はしないのである。

見ず知らずの変な奴にあれこれ頼まれたら怒るのは当たり前ある。

そうでなくても神様はめんどくさがりやであるので、頼まれるとむかっ腹を立てて、これでもかと言う神罰を以ってお答えになるのである。

つい先日の某あそこのあたりの方面の欲望丸出しの群衆への2度に渡る容赦のない神罰を見れば、あたしの予言がこよなく成就されていることをご理解いただけるところである。

ううむ、日本語が多少変だが、霊能者の言葉は神のみことのりであるので、あだやおろそかにアレをナニしてはいけないのである。

まあ、とにかく、この妙義神社の石段が、これがまた、下から見上げると気が遠くなるぐらいの段数であるのである。

これだけで修験道の修行はOKなんじゃなかろうかというぐらいの怒涛の石段である。

しかし、こんなもの誰が登るんだという心配をよそに参拝客がちらほらと登ってくるのである。

まあ、石段の急峻と段数を見てギブアップの人のために、いわゆる女坂というのか、なだらかな道もあるので、犬連れの人も登ってくるのである。

もちろん、神社仏閣の石段登りを生涯の生きがいとする健脚自慢のあたしは石段を張り切って登り始めたのであるが、実はゆうべのご酒飲が乱暴すぎたのか、中断から息切れが始まって、足はフラつき、カメラはでたらめなアングルで、息も絶えだえで頂上にご到着となったのである。

神社仏閣にご参拝の折には、間違っても深酒をお召しになると、とんでもないことになるということで、その様子を臨場感をさらに盛り上げる音楽付きでアップしたのである。


総門、唐門、本殿はともに国指定重要文化財で、特に本殿はみごとな彫刻にきらびやかな色彩を施してあり絢爛豪華であるので、四苦八苦で登る楽しみの他に、それをじっくりと鑑賞し、さらには境内からの絶景を拝むという優雅な一日をお過ごしいただけるのである。


ありがたいありがたい。

ああ、しんど。

ありきたりかよ。


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