2014年11月11日火曜日

カオタキアップ寺(タイ・ホアヒン)



タイのホアヒンにあるカオタキアップ寺である。

とんでもない急な石段である。

神社仏閣のご利益はなんといっても石段昇降であるが、いくらなんでも急すぎるのである。

お年寄りや心臓の悪い方には無理難題な角度と段数であるが、まあ、休み休み登れば体力のない人でも登れないことはないのである。

それでも、はるか上にある本堂を階段の下から見上げてギブアップするのか、下の門前町の商店街にある礼拝所で参拝をお済ませになるタイ人の皆さんも多々おられるのである。



しかし、この程度の石段で根を上げていては、神社仏閣参拝をなりわいとする不肖象師匠の名折れになってあそこも中折れでがっかりされるのである。

いきなりしもねたかよとゆー平仮名だけの声をさらりと横に受け流して、石段を上がって途中で下の景色を見渡すと、「ああ、登ってよかった、山登りの醍醐味はやっぱりこれだ、エベレスト征服もかくありなん」と支離滅裂な感想を抱きつつ、頂上の寺院本堂にたどり着くと、本堂内では体力自慢の皆さんが元気に参拝なされているのである。

境内には飲食店もあって、欧米人の観光客がなにやら焼き物をご見学になっているのであるが、べつにあたしは腹がへってないのでご見学にはならなかったのである。

タイの寺院は仏教本来の人間としてのお釈迦さんの教えに帰依するわけであるので、あたしもお釈迦さんの教えにこれでもかと帰依して、ああ、ありがたいありがたいと心にもないことを言霊に乗せてなむなむしたのである。

寺院であるから、なむなむで間違いはないのである。

南無(ナム)とは、サンスクリット語のナマス(namas)およびナモー(namo)の音写で、敬意 、尊敬、崇敬をあらわす感嘆詞で、一般に帰依の同義語として使われるつーことであるのである。

たまにはいいことも言うのであるが、あたしは神社でもじーざすさんの教会でもなむなむするので、しまいにはバチが当たって無間地獄に堕ちるのである。

でも、お釈迦さんは無間地獄なんてとんちきなことはおっしゃってないのである。

あたしは先祖の行きがかりから某宗護寺会役員を務める敬虔なる仏教徒であるので、どこでもなむなむで済ませるわけである。

そんなに面白くならないので、このへんでお開きであるのである。

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2014年10月21日火曜日

八坂神社(香取市佐原)



八坂神社(やさかじんじゃ)は、千葉県香取市佐原本宿にあり、7月に行われる佐原の夏の大祭(祇園祭)で知られる神社である。

古くは佐原諏訪山近傍の天王台に創建され、江戸時代前期の天和年間(天正以前の説あり)に現在地へ遷座し、佐原・本宿地区の総鎮守となったつーことであるのであるが興味のない人は読み流していただきたいのである。

当初表口は浜宿側(現千葉萌陽高等学校側)にあったが、明治初年社殿改造の際に現在の八日市場側(千葉県道55号佐原山田線・通称香取街道側)にも増設されたのであるのである。

それ以来、この神社には正門が2か所存在し、それぞれ浜宿口、八日市場口という呼び方がされ、正門は1年置きに交代するのであるが、これも興味のない人は読み流していただきたいのである。

2014年の今年はどうも八日市場口が正門と思われるのであるが、つーことは偶数年は八日市場が正門で、奇数年は浜宿口が正門つーことであるのである。

あたしは佐原駅からお越しになったので、浜宿口の鳥居からお入りなって、撮影は八日市場口の鳥居から始めたのである。

境内には水郷佐原山車会館があり、午前9時~午後4時30分の開館であるのであるが、7月の夏の大祭のときは午後8時30分まで開館しているのであるが、今回は時間の関係でご見学はなしであるのである。

まあ、あたしがご参拝になった時は、諏訪神社を中心として行われる秋の佐原の大祭のご見学の物見遊山の途中であったので、この八坂神社にはだーれもいないので、寂しくお一人でご参拝なされたのである。

神選霊能者のあたしの人生は、何事においても神のお告げ思し召しで物事を成り進めるのであるから、どこのカミヤシロも疎かにせずご参拝申し上げて「ありがたいありがたい」と大脳辺縁系に栄養を補給するわけである。

しかしまあ、日本人つーものは神様好きで、どこの地方にいっても街を歩けばカミヤシロに行き会うのである。

それがどんな小さな鳥居であっても、そこはそれ神の遣いとしてのお役目柄、きちんと二礼二拍一礼して、なむなむと拝んじゃうのである。

もちろんこの八坂神社でも鳥居をくぐって拝殿の前にもう出て、なむなむをしたわけであるが、なむなむはもしかしたら大変まずいかもしれないのである。

正式にはかみかみかもしれないし、かむかむでもいいかもしれないのであるが、いったいなにが正解なのかはわかったもんじゃないのである。

ううむ、いかん、脳に神虫が湧いてでたらめになってるので、このへんでお開きにするのである。

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2014年10月16日木曜日

諏訪神社(香取市佐原)



この諏訪神社(すわじんじゃ)は、千葉県香取市佐原新宿にある神社で、佐原の大祭秋祭りで知られるのである。

祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)で、天正年間に信濃国諏訪大社から勧請され分霊として鎮座しているのである。

現在の社殿は嘉永6年(1853年)に造営されたという実に由緒も歴史もあるご立派な神社であるのである。

まあ、これ、秋の佐原の大祭のロケのために来たついでに寄ったみたないことになってるのであるが、この諏訪大社に参拝することが本筋であるのはもちろんであるのである。

それでも、神社には大祭観光の皆さんがそれなりに訪れていて、祭りの賑わいがそこかしこに感じられ、ああ、明日から大型台風やってくるというのに、こんな晴天に恵まれて、なんてあたしは運気がよろしいのかと感心することうううなんだそのほれあれだオチがでないのである。

それでまあ、とにもかくにも、佐原駅から途中で酒屋さんの試飲のお神酒を頂いたりしながら歩いて10分ぐらいで鳥居にたどり着いて、さて、お楽しみの神社の石段についたのであるが、石段の上を見上げると果てしない石段が続いていて、なんでこんなに石段を石段したんだと石段に恨みつらみをぶつけたくなるぐらいの急峻な高さであるのである。

まあ、そうはいっても神社参拝の石段登りは神道修行の基本であるので、ありがたいありがたいとカメラを回しながら登り始めたら、三段構えの127段であるので、これがけっこうハードな石段で、思った以上の急坂であるのである。

途中からお神酒の威力も含めて息が切れてきて、しかし、ハアハアと息切れの音が入ったのでは気功太極拳意拳合気道空手柔道で鍛えた筋肉自慢のあたしの名折れになるので、息をできるだけしないよう登ったら、酸欠で目が回ってきて、それでも強引にがまんがまんと登り切ったて、息を止めてご参拝申し上げて、カメラを止めて、脇にある参拝休憩所の長椅子に倒れこんだのである。

神社の階段を登る時は息を止めるとえらいことになるので、良い子の皆さんはけっして真似をしないようにご注意を申し上げる次第であるのであるが、そんなアホなことをする人がいるとは思えないので蛇足馬足豚足であるのである。

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2014年10月7日火曜日

高尾山薬王院・本堂・本社(権現堂)・仏舎利奉安塔



高尾山薬王院本堂である。

高尾山薬王院有喜寺(たかおさんやくおういんゆうきじ)は、東京都八王子市高尾町2177の高尾山にある寺院で、真言宗智山派の関東三大本山のひとつであるのである。

薬王院本堂に至るまでの参道の男坂百八段の石段は結構な急峻で、おねーさんが途中でへばって動けなくなってるのである。

もちろんあたしは健脚が売りの修験道行者であるので、とんとんとんと男坂百八段の石段を爆走して楽勝でご来院遊ばしたのである。

誰が修験道行者だ。

ちゃんちゃん。

ううう、つまらん、死にそうだ。

本堂には開山本尊・薬師如来と中興本尊・飯縄権現が祀られているのである。

現在の堂宇は1901年(明治34年)に建立されたもので、彩色は施されていないが、彫刻で装飾され入母屋造で堂内には護摩壇があるつーことであるが、動画でごらんの通りであるのであるのである。

ううむ、つらつらと脳裏を鑑みるに、こんな一口知識を羅列してもだーれも読んでるとは思えんが、まあ、もしかしたら物好きもいるかもしれないので、書いておくのである。



続いて、本社(権現堂)である。

本社前の石段も百段あるのである。

動画ではそれを一気に登ってるわけであるが、脚力自慢のあたしを持ってしても、この速度で登ると脚に来るのである。

神社のご利益は石段また石段というところでもあるのである。

これを毎日登ってお参りすれば、いやがおうでもご健康は成就なされるのである。

薬王院の中心となる本社で、権現堂だけに本尊として飯縄権現を祀る神社であるので、社殿の前には鳥居があるのである。

寺院の中にある神社という形態は神仏分離以前の神社の姿の一つの典型例といえるわけであるが、他にはあたしの守り神である豊川稲荷が有名であるのである。

現在の社殿は1729年(享保14年)に本殿が建立され、1753年(宝暦3年)に幣殿と拝殿が建立され、のちの1805年(文化2年)・1965年(昭和40年)・1998年(平成10年)に大改修を行なっているつーことであるよあーたこれがだからなんだなんて言わないでね。

本社は入母屋造の本殿と拝殿を幣殿で繋いだ、いわゆる権現造で、江戸時代後期の代表的な神社建築であるのである。

1952年(昭和27年)に東京都指定有形文化財に指定されたのであるのである。

またまた一口知識のご開陳であるが、尺を埋めてるだけなんてことを思ったりすると飯縄権現様の祟りでろくなことにならんのはゆーまでもないことであるのである。



続いて、仏舎利奉安塔である。

仏舎利(ぶっしゃり)とは、入滅した釈迦が荼毘に付された際の遺骨及び棺、荼毘祭壇の灰塵を指し、「舎利」は遺骨または遺体を意味する梵語シャリーラ(śarīra)の音写であるのであるが、この「梵語」というのがサンスクリットなのかパーリ語なのかは調べるのがめんどくさいので定かではないので、お好きな方は心ゆくまでお調べになってお楽しみ頂きたいのであるが、あたし的にはどーでもいいのであるのはゆーまでもないことであるのである。

この塔はあたしの故郷タイ王国から寄贈された仏舎利を祀り、仏舎利塔の前に飯綱大権現の像が建っているのである。

誰がタイ人だ。

ちゃんちゃん。

だからちゃんちゃんはやめなさい。

使い回しもやめろ。

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2014年10月1日水曜日

龍泉寺(精進湖)



龍泉寺は山梨県甲府市上曽根町にある曹洞宗の寺院であるのである。

当寺院の本堂と庫裏は河口湖町指定有形文化財であるのである。

江戸時代初期に馬山託存によって開かれたつーことであるので、実に由緒歴史のある立派なお寺さんであるわけであるが、お布施が少ないのか、周囲は手入れが行き届いていない感じであるのである。

伝承によると開かれたのは江戸時代初期であるが、その後34回に渡って移転して、江戸時代の中期の宝永年間(1751年~1765年)の大火で消失し、現在の本堂と庫裏はそのご再建されたものであるつーことである。

仏道(本堂)には木造龍泉寺開山像と龍泉寺伝聖観音菩薩坐像が安置されているつーことであるが、本堂の扉は閉まってるので、見ることはできないのである。

境内墓地には精進湖を世界中にご紹介あそばして、富士山麓観光開発の祖となった英国人のハリー・ウイリアム・ホイットウォーズ(帰化後の日本名・星野芳春)の墓があるつーことであるが、めんどくさいので見に行かなかったのである。

龍泉寺は富士五湖のひとつの精進湖畔の国道139号線から細い枝道を5分ほど歩くと、国指定天然記念物の精進の大杉で有名な精進諏訪神社と並んであるのである。

まあ、なんだ、これって意味があるのかどーなのかわからんが、まあ、町の小さなパワースポットを開発するという立派な志があるわけであるが、誰も期待していないのかもしれないのである。

それで、龍泉寺はとても観光客が入ってくるとは思えないような、いってみれば路地の奥にあるのであるが、隣の精進諏訪神社と並んであるので、あたしが行った時にもツアーのおじさんおばさんがどやどやと添乗員に連れられてついでにお参りしているのである。

まあ、一日にどのくらい観光客が来るのかはわからんが、精進湖畔からの参道には店もないので、賑わいはまったくないのである。

おそらく土日休日にはもっと観光客がそれなりに訪れるのかもしれんが、あたしは土日休日はできるだけ車での遠出は避けるので、想像の域を出ることはないのはもちろんである。

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2014年9月26日金曜日

精進諏訪神社



精進湖畔から5分ほど歩くと、諏訪神社があるのである。

この諏訪神社の天井には百人一首が描かれているつーことであるが、入り口が開いてないので、ご鑑賞することはできなかったのである。

諏訪神社は長野県の諏訪湖近くの諏訪大社を総本社とし、いわゆるその分社は全国に約25,000社あり、この精進湖の諏訪神社もそのひとつであるわけである。

また、諏訪神社を中心とする神道の信仰を諏訪信仰(すわしんこう)と言い、諏訪大社の祭神は諏訪大明神ともいわれる建御名方神とその妃・八坂刀売神であるのである。

他の諏訪神社もこの2神を主祭神とするほか、「諏訪大神」と総称することもあり、諏訪大社より祭神を勧請する際には薙鎌(なぎがま、ないかま)に神霊が移され、各神社ではこれを神体としているつーことであるので、もちろんこの精進湖の諏訪神社も同様に鎌を御神体としているわけである。

薙鎌は、長さ七尺程度(約210cm)の円柱の木棒を柄とし、刃を手前にした短い直刀を柄の先端に直角に付けた武器で、薙ぐ、突く、切る、刃を引っ掛けて相手を倒したり、お首をバッサリするなどしてご使用になるつーことであるが、要するにでかい鎌であるのである。

流派により長柄鎌、八重鎌とも呼ばれるそうであるが、これ以上深く突っ込んでも差し障りばかりでてきそうなので、これ以上マニアックに知りたい向きは、ネットで薙鎌と検索して画像などでお確かめいただいて、「へー」と感心していただきたい。


この諏訪神社の参道入り口の左側にある大杉は天然記念物であるので、一応写真に収めたのであるが、諏訪神社よりもこの大杉の方が有名であるのである。

通称「精進の大杉」と呼ばれるツーことであるが、別名「千年杉」てなよくある呼び名もあるのである。

高さは45m、根回り13.6mであるつーことであるが、あたしが測ったわけではないのはもちろんであるのである。

まあ、いわゆる御神木であるので、霊能紀行作家としての御役目上、滞り無く二礼二拍一礼して、な~む~と拝んだのであるが、神社でな~む~は完全に間違えているのである。


拝殿の隣にも大杉があるのであるが、こちらは御神木てもなく天然記念物ではないので、な~む~はしなかったのである。

だからな~む~は違うったら。

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2014年9月24日水曜日

富士御室浅間神社



富士御室浅間神社本殿である。

冨士御室浅間神社(ふじおむろせんげんじんじゃ)は、山梨県南都留郡富士河口湖町にある富士山最古といわれる神社で、全国にある浅間神社の一社である。

祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)であ、旧称小室浅間明神である。

旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社である。

いつもながら別表神社がなんのことかわからんのであるが、お暇な人はお調べ頂いて、「なーるほど!そーだったのか!」と感動して感涙していただきたいと思うが、感涙するほどでないかもしれないということをあらかじめお知らせしてご挨拶に代えさせていただくのである。

もちろん尺稼ぎの与太話であるが、それもこれもこの世の習いで人生の悲哀をことごとく感じるよしなしごとと思召しいただいて、ううう、ごめんよごめんよ、こんなあたしで申し訳ない。

まあ、それで、境内は本宮と里宮からなり、本宮である山宮は富士山吉田口登山道の二合目に鎮座し、この山宮の境内は富士吉田市の中にある富士河口湖町勝山の飛び地であるのである。

富士山山中に最初に勧請された神社とされ、里宮は河口湖畔の勝山に鎮座するのである。

「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録され、本殿は国指定重要文化財でもあるのである。

現在の本殿は、慶長17年(1612年)に徳川家の家臣の鳥居成次によって建てられたものであるが、その後4回の大改修を経て、昭和48年(1973年)に富士山二合目から里宮に移築されたのであるのである。

まあ、これ、下部温泉に物見遊山に行く途中の通りがかりに、「おお、神社がある、これはひとつお参りして本日の霊気の糧としようではないか」つーことで、てきとーにご見学なさったのであるが、意外や意外の立派な経歴履歴由緒の神社で「あーら、びっくりね」つーぐらいの国指定重要文化財であるのである。

由緒があるだけに、本殿の前には牛さんもおられるのである。


神使の撫牛つーことであるので、充分になでなでしたのである。



冨士御室浅間神社の里宮である。

958年(天徳2年)村上天皇が、崇敬者の礼拝儀祭の便を図るため、河口湖畔の当地へ建立し、現在の建物は、明治22年に再建したものである。

この里宮の方にお守り売り場なんかがあり、なんかわけのわからん像があったりして、こちらが本殿かと思う作りであるので、参拝者も皆さんがこちらにお参りしてるのである。


この意味不明な像はいったいなんなんだかわからんが、ありがたいご利益があるかもしれないので、もちろん一応拝んどくのである、なむなむ。


これは百福の龍宝珠てなことであるので、なにしろ百も福が来るかもしれないので、充分に拝んでおくのである、なむなむ。

しまいに誰かに叱られるのである。

まあ、とにもかくにも、いろいろあれこれ参拝できて、文武天皇3年(699年)に藤原義忠によって創建という開闢以来1300年有余の参拝者の思いの霊気神気を受け、あたしの氣もそぞろ高まり、これで今後の人生は至る処に青山ありになること必定であるのである。

何を行ってるのか自分でもわからんのである。

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2014年9月21日日曜日

下部温泉の熊野神社



山梨県の下部川沿いにある下部温泉にある熊野神社である。

温泉街の中心である源泉館の横の鳥居をくぐると参道という名の路地があるのである。


路地は温泉旅館の倉庫も兼ねているらしく、棚にダンボールも積んであって、いろいろと情緒満載であるの。

その路地をしばらく行くと、階段になりさらに鳥居があるのである。

まあ、神社に階段は付き物であるのであるが、これが、意外や意外の急な階段がつづら折りで行けども行けども続くのである。

とにかくロケであるので、カメラマン兼ディレクターとしての使命感から途中で止まるわけにも行かないので、同じスピードで登り続けなければならないので、これが、登り始めてみると、けっこうなあらいやんであるのである。

まあ、そこはそれ、日頃から運動運動また運動という、運動マニアとしての脚力体力心肺機能のおかげで、楽勝である。

それでも、ようやく神社境内にたどり着いたときは、「ああ、しんど」と思ったわけであるから、これを読んで、おいらもひとついってみようなんて軽い気持ちで登り始めると、肥満でさらに脚力が衰えてる人は、翌日になって筋肉痛でえらい目に合うので、トレーニングを積んでから挑戦していただきたいといらぬお世話を喚起する次第である。

この神社は、昔、温泉の効能でいらなくなった松葉杖などを奉納したというのであるが、ケガが治っても、リハビリを充分にしないと這って登らないといけないのである。

まあ、それだけ元気になったという感謝をこめて、この無慈悲な高さの階段を登ってお礼参りをしたということであると思うが、人一倍体力のあるあたしが大変であるのであるから、いくら効き目のある温泉で療養しても、これをいきなり登るのはどーかと思うねあたしゃ。

まあ、とにかく温泉療養と併用して毎日登れば、健康になること請け合いであるので、この神社のご利益は計り知れないものがあるのであるが、ボクサーか野球選手のトレーニング以外にはそんな酔狂なことをする人がいるとも思えないので、境内のお掃除をする人もいないらしいてな感じである。

境内には能舞台なんかもあって、かつての好況時代の下部温泉の賑いの一端が見えてくるのであるが、現在の窮地が見えてくるのも寂しい限りであるのである。

つまり、神を思う時間も余裕もない状況であるわけである。

神を祭り、先祖を供養するというのは余裕を表すことでもあるのである。

しかし、史上最大最強の霊能者である大神の使いの象師匠が参拝したからには、この神社も生まれ変わることは必定であるので、霊気神気が燦々と降り注ぐこと請け合いである。

ホントかよ。


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2014年5月30日金曜日

浅草神社



浅草神社(あさくさ じんじゃ)は、東京都台東区浅草の浅草寺本堂右隣にある神社で、通称に三社権現(さんじゃ ごんげん)、三社さまと呼ばれるているのである。

土師真中知(はじのあたいなかとも)、檜前浜成(ひのくまはまなり)・武成(たけなり)を主祭神とし、東照宮(徳川家康)・大国主命を合祀し、この三柱の霊をもって「三社権現」と称されるようになったのであるのである。

漁師である檜前浜成・武成の兄弟と僧侶である土師真中知を主祭神とするため江戸一格の低い神社と言われつーことであるのであるが、漁師がいなければお魚を食うことができないし、僧侶がいなければそーしきも出せないのであるから、三柱の主祭神には誠に持って失礼な話であるのである。

人にはそれぞれ御役目があって生まれてくるのであるから、格の低いも高いもないのである。

大人気の浅草寺の由来もに檜前兄弟が漁の際に観音像を見つけ、土師真知がそれを祭ったことによるものであるのであるから、この三者をエライとする浅草神社はエライのであるつーことろあたしは敢えて力説するわけである。

あたしは浅草神社の見方であるのである。

何を行ってるのかいまひとつ自分でも判然としないのであるが、社殿は浅草寺の本堂のすぐ隣りの東側にあり、現存の社殿は徳川家光の寄進で慶安2年(1649年)に完成したもので、昭和36年に拝殿・幣殿・本殿が国の重要文化財に指定されているのである。

5月17日の例大祭は有名な三社祭(さんじゃまつり)であるのである。

この浅草神社は、浅草寺の正面向かってすぐ右隣りに鎮座しておられるのである。

参拝したこの日は休日ということもあって、浅草寺はあちこちの国からはるばるお越しの外国人観光客も含めた参拝客でごった返しの大賑わいであったのであるが、その参拝客は浅草神社にはあまり流れてこなくて、閑寂として、別世界のようであるのである。

雷門から浅草寺までの仲見世と本堂に参拝客が押し寄せて、その後は、付近の商店街に抜けてしまう感じで、直ぐとなりに並列しているにも関らす浅草神社に訪れる人はほとんどいないのである。

どうも浅草といえば雷門、仲見世、浅草寺というのがイメージで、昨今は、一昔前には劇場が立ち並び大賑わいだった六区も含めて、その他の地区には観光客が流れないのである。

本殿の右横には三社祭に担がれる神輿が展示してある神輿庫があるのであるが、3月の示現会と5月の三社祭の時期に扉が開かれ神輿を見ることができるのである。

この日はちょうど示現会の時期であったので、神輿庫は開かれていて、あたしはよーく神輿をご覧遊ばしたのであるが、残念ながら動画を撮り忘れてしまったのでUpはなしであるので、なんのこっちゃであるのである。

まあ、とにもかくにも、浅草寺草創由来の三者を神として祭った浅草神社の拝殿の前に立ち、じっくりとその波動を受け、あなたの明日の英気を養っていただきたい。

ああ、ありがたいありがたい。

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2014年3月29日土曜日

浅草寺



浅草の浅草寺(せんそうじ)である。

大混雑であるが、別にこれは正月元旦の初詣ではないのである。

3月21日の春分の日であるので、まあ、休日ではあるのであるが、ごらんの通りのとんでもない人出で、最近あちこちの国でマナー最悪と話題のちゅーごくじん観光客の皆さんを中心に世界各国諸外国の人も入り乱れて、大混雑であるのである。

仲見世大通りなんかは、ごった返して、歩くのも困難な状況であるが、まあ、なんだね、やっぱり日本一の観光地かね。

そのごった返した中でも、皆さん楽しげに店頭に並んで煎餅だの人形焼だのを買ってお楽しみであるのである。

あたしはもちろん並ぶのがだいっきらいなので、並んでなんかやらないのであるが、仲見世を抜けた先にテキ屋さんのたこ焼きの露店があったので、露店マニアのあたしはすぐにたこ焼きを買って食ったらタコもでかくて美味かったのである。

なんでかしらん、テキ屋さんのたこ焼きは大変美味いのである。

しかし、これは象さんのご飯ではないので、たこ焼きの写真はないのである。

浅草寺は、東京都台東区浅草二丁目にある東京都内最古の寺で、山号は金龍山であるのである。

なにしろ最古であるので、そらもう、すごいのである。

本尊は聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)であり、元は天台宗に属していたつーことであるが第二次世界大戦後独立し、現在は聖観音宗の総本山となっているつーことであるのである。

有名な浅草寺の創建草創の由来故事は、推古天皇36年(628年)ごろに、宮戸川(現・隅田川)で漁をしていた檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(たけなり)てな兄弟の網に小さな仏像がかかり、。この像を拝した兄弟の主人・土師中知(はじのなかとも)あるいは土師真中知(はじのまなかち)てなどちらかのお名前のややこしいお方が出家し、自宅を寺に改めて供養したつーことである。

この網にかかった小さな仏像が浅草寺本尊の聖観音(しょうかんのん)像であり、浅草寺の始まりつーことであるのである。

観音像は高さ1寸8分(約5.5センチ)の金色の像と伝わるが、絶対的秘仏とされ、33年に一度のご開帳の際もモノホンではなくレプリカであるため、その存在さえあるんだかないんだか、その実体は一般には明らかでないつーことであるのである。

まあ、ご本尊があってもなくても、この怒涛の人並みにもまれて、本堂にて参拝すれば群衆の発する波動振動に周囲の霊気神気はさらに増幅されて、あたしの尾骨仙骨にどどんと振動爆裂するのである。

この尾骨仙骨がむずむずぷるぷるぶるぶる振動を始めて、どかんと開いてあらいやんが小周天の極意であり、クンダリニー・ヨーガの極意であるのである。

さて、尾骨仙骨を振動させるには、なにはともあれ、あなたの素直な心根を浅草寺本堂から発する波動に向けて、あなたの精神がその振動に共鳴することが必要であるのであるが、爆裂したからといって超人にもならんし神にもならんしお亡くなりになったりもしないのである。

激烈怒涛に気が出て、出すぎて具合が悪くなって、同じ部屋に居る人もその気にあたって具合が悪くなったりして、収まるとただの人に戻るのである。

がっかりね。

ホントのこと言っちゃだめだろ。

どーすんだこれ。

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2014年3月3日月曜日

杉桙別命神社(すぎほこわけのみことじんじゃ)



河津町観光案内図に来宮神社(きのみやじんじゃ)と書いてあるし、道案内の立看にも来宮神社と書いてあるので、あたしゃすっかり来宮神社かと思っていたのであるが、それは通称で杉桙別命神社(すぎほこわけのみことじんじゃ)が正式名であるつーことであるのである。

杉桙別命神社(すぎほこわけのみことじんじゃ)は、静岡県賀茂郡河津町にある神社で、式内社で、近代社格制度では郷社であるつーことであるのである。

近代社格制度つーのは明治維新後に、延喜式による社格にならって新たに作られた社格制度であるが、第二次世界大戦後にGHQによる神道指令によって廃止された制度であるので、意味があるのかないのかはあなた次第であるのである。

古くは「桙別明神」、「木野(大)明神」、「来宮(大)明神」、「木野神社」、「木之神社」、「鬼崎(きのさき)明神」などと呼ばれており、現在でも「河津来宮神社」と俗称され、「来宮」の古社名や後述する「鳥精進酒精進」を伝承することから、キノミヤ信仰を有する神社とされているのであるつーことであるのであるあるあるううういかん神のタタリでどこか壊れたってなんでもかもかんでも笑いを取らんと気がすまんのかい。

主祭神は杉桙別命(すぎほこわけのみこと)で、さらに五十猛命(イソタケルノミコト)と少彦名命(スクナビコナ)を相殿に祀るのであるが、延喜式神名帳では1座となっているので、本来は杉桙別命1柱を祀るものであったと思われるのであるのである。


拝殿左にある楠(くすのき)は(樹高約24m、幹周14mの楠)は昭和初期(20世紀前葉)時点で樹齢1,000年以上と推定され、昭和11年(1936年)に国の天然記念物に指定されたのである。

古くより来宮様の大クスと呼ばれ、神木として崇められてきたつーことであるが、かつて河津には7本の大楠があり、明治時代中頃まで河津郷七抱七楠(ななかかえななくす)と呼ばれていたが、現存しているのはこの1本だけであるのである。

また、参道入口付近と、拝殿右前にも楠の大木があるのであるが、それは天然記念物に指定されていないのであるのである。

なお、伊豆半島北部にある熱海市の来宮神社にも、阿豆佐和気神社の大クスという有名な天然記念物に指定された楠の大木があり、似た名称で呼ばれるため混同しやすいのであるが違うのであるつーことであるのである。。


境内には山神社と秋葉山神社の拝殿があるので、あたしはもちろんご参拝申し上げて、どちらも山が付くので、ざっくりと登山の際にご利益があるに違いないつーことで登山の安全を祈願したのはゆーまでもないことであるが、あたしは登山の趣味はないので無意味かもしれないのであるがなんでもお願いしておけば神様だって悪い気はしないのである。

また、式内社の佐々原比咩命(さわらひめのみこと)神社に比定される姫宮神社を合祀所管するのであるが、それは同敷地内にはなく、河津駅とこの杉桙別命神社の中間あたりに鎮座しているつーことであるが、河津町観光案内図にも明記されてないし、今回は仕事がご多忙で日帰り旅行てなことで時間の都合上探してるお時間もないので、主祭神である笹原姫命ちゃんには大変失礼ながら参拝なされなかったのである。

まあ、いずれにしても、杉桙別命神社には、河津川の土手の河津桜並木のカワズザクラ満開の時期であるので、河津桜まつりに訪れた観光客がツアー添乗員の旗とともにどやどやとお参りしたりして、境内もそれなりに賑わっているのであるが、これが、河津桜まつりが終わったあとは、うちの近所の神社のようにだーれも来なくなるのかもしれないのである。

そんなこんなで神社本殿拝殿の前に立ち、二礼二拍一礼すれば、あなたもあたしも気道は満杯、活力満点で浮世の荒波を乗り越えて人生をこれでもかとお楽しみいただけること必定であるが、それには身体を開いてその波動を魂の芯で受け止めねばならないのである。

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2014年2月26日水曜日

御霊神社(鎌倉市)



鎌倉極楽寺からの道行で御霊神社の看板を見て、おんりょうじんじゃと読むのかと道々思っていたのであるが、おんりょうでは陰陽師を呼ばなくては行けないので、ううむ、これはちがうなと気がついたのである。

人間は記憶による思い込みで個々の世界が構築されているので、まあ、言ってみれば人生すべてが勘違いみたいなもんであるのである。

つーことで、御霊神社(ごりょうじんじゃ)は神奈川県鎌倉市にある神社で旧社格は村社であるのである。

村社とは旧制度の社格の中で、郷社(ごうしゃ)の下、無格社の上てな社格であるのである。

多くは村の鎮守の社などが列格され、社掌(しゃしょう)が置かれていたつーよーなことである。

社掌は同様に旧制度においての神職の職名で、府県社・郷社で社司の下に属し、村社・無格社では祭祀(さいし)をつかさどり、庶務を管理したのである。

まあ、てなことで、旧制度においては、下から2番めてな格の神社であるわけであるが、鎌倉という一大観光地ということもあってか、正月元旦の初詣は大賑わいであるのである。

鎌倉市にはこの名前をもつ神社が2か所あるつーよーなことであるが、この御霊神社は鎌倉市坂ノ下にある、鎌倉権五郎神社(かまくらごんごろうじんじゃ)として知られている神社であるのである。

主祭神は鎌倉権五郎景政であるのである。

鎌倉景政(かまくらかげまさ/平 景政・たいらのかげまさ)は、平安時代後期の武将で、父は桓武平氏の流れをくむ平景成とするつーことであるが、平景通の子とする説もあり、通称は権五郎で、名は景正とも書くのであるのである。

ごんごろうであってげんごろうではないので、あたしのよーに何事も勘違いする向きはお気をつけ遊ばさなくてはならないのであるが、もちろん蛇足であるのである。

そうは言っても、「けづめ」てなことで足が残っている種類(ニシキヘビやボアの仲間)の蛇もいるので、この表現は必ずしも正しい訳ではないんのであるが、どーでもいいのはゆーまでもないことであるのである。

もうゆめろ?

ハイハイ。

御霊神社の正確な創建は不明であるが、この神社は鎌倉幕府開府よりも90年以上も前に鎌倉にあった平氏五家の祖を祀る神社とし五霊神社と呼ばれていた神社であったのが、いつしか、五家のうちの一家である鎌倉権五郎景政公だけを祀るようになり御霊神社となったつーことである。


拝殿右横にある収蔵庫では、入り口の前の料金徴収箱に100円の拝観料を奉納して、面掛行列のお面を見ることができるのであるので、もちろんあたしも大枚100円を奉納奉天してご覧になったのである。

景政公の命日とされる9月18日の例大祭にはそのお面をかぶった氏子さん達による「面掛行列」が行われ、県の無形文化財に指定されているのである。

総勢10人で前の8人が爺、鬼、異形、鼻長、烏天狗、翁、火吹男、福禄寿の面をつけ、その後に黒紋付の裾模様におかめの面をつけた産婆が続くつーことであるが、この日は正月元旦であったので、そんなことはまったくやってないのはゆーまでもないことであるのである。

また同日行われる鎌倉神楽は市指定文化財でもあるのであるつーよーな、実に歴史的有所も含めて、なかなか、香ばしい神社であるのである。

それで、まあ、この動画は正月元旦の初詣のときのロケであるので、雰囲気も目出度く、今後の黎明を感じさせるさわやかな波動が押し寄せてくるわけであるが、それを受けることができたものは幸いであるのである。

祓い給へ清め給へ守り給へ幸はへ給へ。

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2014年2月23日日曜日

虚空蔵堂(鎌倉市)



虚空蔵堂は本来の名を「明鏡山円満院星井寺」といい、極楽寺切通(極楽寺坂)の入口にあるのである。

虚空蔵堂は奈良時代の高僧である行基が彫った虚空蔵菩薩が祀られている御堂といわれ、その霊跡であるつーことであるのである。

聖武天皇の時代、行基が全国行脚の途中で、頭脳聡明、記憶力アップに絶大なる効果があるてな虚空蔵求聞持法を修して、虚空蔵菩薩真言を「のーぼーあきゃしゃぎゃらばやおんありきゃまりぼりそわかあああああああっ」と百萬遍お唱えしてたら、井戸の中に三つの明星が光り輝き、夜も付近を照らしたと騒ぎたて、この現象が七夜も続いたと言い張って、村人の力を借りて、井戸水を汲み出してみると黒く輝く石があったそーであるが、行基は「虚空蔵菩薩が石になって降りてこられた」との考えが浮かんだと主張したのである。

まあ、なにしろ、時の高僧がそんなことを言って騒いでいるので、科学も何もない時代のことであるので、近隣を騒然とさせ、そのことは、都の聖武天皇の耳にも入り、行基に虚空蔵菩薩の像を彫って祀るように命じたつーことであるのである。

まあ、考えが浮かんだのであるので、いってみれば思い込みであるので、脳の錯覚と言ってしまえばそれまでであるが、この時代に脳科学もへったくれもないのであるから、いたしかたのないことで、なにしろ当時の知識人でもあるえらいぼーさんであるから、そら、思いつきでも錯覚でも妄想でも幻覚でもホラでも影響力は大きくて、現在までこの虚空蔵堂は貴重な歴史的資料ということも含めて、世話人護持会他あまたの熱心な地域の信仰者により存続保存されているわけである。

しゅーきょーに関わる奇跡てなものはだいたいが、脳の錯覚、あるいは幻覚、あるいは妄想、あるいはホラ、あるいはプラシーボ効果てなもであるのであるが、まあ、そーいっちゃ身も蓋もないので、これをロマンと捉えて、この世浮世を楽しむのが人生のコツ極意お楽しみであるのであるのである。

ううむ、大霊能者による神のお告げとお告げと称して信仰を集めるべくネット教団象気功を展開する象師匠としては、実に矛盾偏屈変竹林珍竹林な解説であるが、そこはそれ、お笑い教団としての御役目もあるので、なんでも笑ろとけ笑ろとけであるのである。

まあ、とにもかくにも、虚空蔵求聞持法をこれでもかと修し、虚空蔵菩薩真言を百万遍二百万編唱えて、記憶力アップにつとめて、とーだいきょーだい、さらには、はーばーどいえーるけんぶりっじを目指していただきたいが、そんな暇があったらお勉強したほうが、その方面にご使用になる脳神経細胞が活性化するのであるのはゆーまでもないことであるのである。

つーよーな由緒正しい由来を持つ虚空蔵堂であるので、もちろんあたしは心の中で疾風怒濤の素早さで虚空蔵菩薩真言を百万遍お唱えしたのである。

効果があるかないかは、このみごとな魅惑の文体で展開する文章を読めば歴然であるが、ぜんぜん効果がないじゃんと言われれば、返す言葉がないのである。

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2014年2月21日金曜日

常栄寺 ~ぼたもち寺~(鎌倉市)



常栄寺(じょうえいじ)は神奈川県鎌倉市にある日蓮宗の寺院であるのである。

山号は慧雲山(えうんざん)で、「ぼたもち寺」てな通称で知られるつーことであるのである。

常栄寺は妙本寺の右手を数分歩いた路地沿いにあるのであって、これが実に楚々としている小さなお寺であるのであるが、入り口の山門を見ると思いっきり「ぼたもち寺」と書いてあるので、「なんなのかねこれは?」つーことで、カメラを回したのである。

日蓮さんは法華経を唯一の経典とし、まあ、当時は今で言う新興宗教であるので、それを広めるため、1271年頃、辻説法と称して他の宗派の批判批評てなことを言いまくってたら、当たり前であるがあちこちから反感を買ってあれこれ迫害を受けていたわけである。

そんなこんなで、しまいには敵対宗派の讒言箴言により役人にとっつかまって神奈川県藤沢市片瀬南東部にある腰越の龍ノ口の刑場に連れて行かれるつー龍の口の法難てな事件の際、常栄寺のある場所に当時住んでいた桟敷(さじき)の尼と呼ばれる媼(おうな・老女)が、胡麻の餅を捧げたことから「ぼたもち寺」いう呼び名で親しまれているつーことであるのである。

それで、その法難の際に日蓮さんの首を跳ねようとしたらば、嵐が起こり、閃光とともに刀が折れたてな嘘だかホントだかわからん種々の奇跡により日蓮が処刑を免れたつーよーな言い伝えから、その奇跡はぼたもちのせいだねきっとつーことで「御首継ぎに胡麻の餅」といわれる由来となったてなことであるが、まあ、この種の話は尾ひれに尾ひれがつくので、何が真実かはともかくとして、まあ、そーゆーことであるのである。

この桟敷の尼と呼ばれる老女は、将軍宗尊親王の近臣、印東次郎左衛門尉祐信の妻で、夫婦とも日蓮さんに帰依入道していたそーであるが、桟敷の尼は88歳の長寿を全うし、法名を妙常日栄といい、常栄寺の名の由来となったつーことである。

夫婦の墓はいまでも境内にあり桟敷大明神として勧請され、桟敷の尼がぼたもちをささげた際に使用されたといわれる木鉢がいまも常栄寺に保管されているつーよーな大変由緒のあるお寺さんであるのである。

寺の創建は1606年で、開基は日祐法尼、開山は日詔上人で、本尊は三宝祖師であるのである。

三宝とは仏( 釈迦如来)、法(法華経)、僧(日蓮上人)であり、それをひとつの本尊としたものが三宝祖師つーのであるつーことであるが、ふーん、なるほどね、なんて不遜なことを言ってると仏罰が当たることは必定であるので、ありがたいありがたいと三顧の礼を持って帰依するのが正しい対処のしかたであるのはゆーまでもないことであるのである。

ううう、三顧の礼ではお釈迦さんも日蓮さんもあたしより格下になってしまう。

これではどこかのホラ吹き教祖と同じではありませんか。

まあ、どこの教祖かは事細かに申し上げられませんが、おの付く大法螺吹きであるのはゆーまでもないことであるのであるよあーたこれがはははだめだなこれは。

ううむ、文章がどんどんいいかげんになって、能無しの書いた文章のようになってるのである。

しまった、あたしも能無しだった。

オチが着いたところで、現在でもその法難のあったとされる9月12日に御法難会(ごほうなんえ)が行われ、常栄寺より片瀬龍口寺の祖師像に胡麻の餅が供えられ、常栄寺では当日、参拝者には緑茶と厄除けのぼたもちが振る舞われるつーことであるのである。

はてさて、この日は正月元旦であったので、緑茶もぼたもちも振る舞われなかったのであるが、まあ、本堂の前あたりで、霊がけけけと笑ったことは気にしないで、かの大法力の持ち主とほまれも高い日蓮さんを助けるぐらいの霊力をい持つぼたもちの霊験の波動をあなたの霊能アンテナでこよなく受けて、あなたの法難災難厄難を除けて頂きたい。

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2014年2月19日水曜日

成就院(鎌倉市)



成就院(じょうじゅいん)は、神奈川県鎌倉市にある真言宗大覚寺派の寺院で、山号は普明山、寺号は法立寺であるのである。

本尊は不動明王であり、アジサイの寺としても知られるのであるのである。

まあ、鎌倉にはアジサイ寺と異名をとる明月院てなお寺もあるのであるが、その他に長谷観音の長谷寺もアジサイで有名であるのである。

しかし、このロケは正月元旦であるので、アジサイはまったく咲いてなくて、まあ、言ってみればなんのこっちゃであるかもしれないのであるが、あたしはアジサイマニアではないので、べつに文句はないのである。

鎌倉七口の一つである極楽寺坂切通しの途中に位置し、弘法大師・空海和尚が諸国巡礼の折、百日間にわたり、密教マニア膵炎いや水煙いやこれでもない垂涎おおこれだこれだ、とにかくそいつらいや失礼その皆さんがよだれをだーらだーら垂らして喜ぶあこがれの虚空蔵求聞持法(虚空蔵菩薩の真言を百万回唱える修行)を行ったところと伝えられるのである。

まあ、とにかく、正月元旦の初詣のついでの鎌倉神社仏閣巡り物見遊山とはいえ、いやはや、すんごいところを見つけたもんである。

さすがは天下の十三仏真言におけるチャクラ覚醒効果解説者象師匠であるのである。

空海和尚があたしをここにいざない導いてくれたとしか思えないのであるが、空海和尚に聞いて見るわけにもいかないので、定かではないのである。

まあ、とりあえず、虚空蔵菩薩真言、のーぼーあきゃしゃぎゃらばやおんありきゃまりぼりそわかああああああああっ、と心のなかで絶叫したのであるが、この寺のご本尊はもう一方の雄である不動明王であるのでその真言、のーまくさんまんだーばーざらだんせんだーまーかろしゃーだーそわたやうんたらーたーかんまんんんんんんんんんっ、と心の中で絶叫したのはゆーまでもないことである。

なんで心の中かとゆーと、動画の冒頭でも、山門の石段から降りてきた年端の行かないお子様にも「あ、ビデオ撮ってる」と看破されてるのであるから、これが、スマホを構えたおっさんがわけのわからんことを大声で喚きながら歩いていたら通報されておまーりさんに連れて行かれないとも限らないからであるのである。

大霊能者象師匠といえども、世間様の風向きを見ながら処世を施さなければならないのは、お釈迦さんの「あたしの死後は周りに迎合しててきとーに生きなさいね」との遺言にも合致していることであるのである。

まあ、真言の効果については象気功本文をお読み頂くほかはないわけであるが、お釈迦さんが呪を禁じているのは仏教通の方はご存知の通りであるのである。

呪とは呪術、呪法、平たくゆーと「まじない」てなことであり、えーごのMagicつーことであるのである。

真言はもちろん呪であるのである。

ちゃんちゃん。

いや、そーではなくて、成就院の霊気波動を受ければ、これがね、なんだね、元気になるのである。

「嘘つけ、ぜんぜん元気にならんぞ」なんて人は、もちろん修行信心が足りないのである。

命がけで朝から晩まで夜も寝ずに昼寝して不動明王真言を百万回唱えてみてごらんなさい。

しまいにはあたしみたいに身体のどこかが爆発して、おつむが壊れて入院するから。

ちゃんちゃん。

このブログはいったい何が目的なんだ。

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2014年2月16日日曜日

八雲神社(鎌倉市)



八雲神社(やくもじんじゃ)は、牛頭天王(ごずてんのう)・スサノオ(スサノヲ、スサノオノミコト)を祭神とする祇園信仰の神社であるのである。

牛頭天王(ごずてんのう)は、日本の神仏習合における神で、京都東山祇園や播磨国広峰山に鎮座する神であるのである。

また、牛頭天王は蘇民将来説話に登場する神である武塔神(むとうしん、むとうのかみ)と同一視され、インドの釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされる祇園神という祇園信仰の神であるのである。

他に祇園信仰に基づく神社名称としては、八坂神社、祇園神社、広峯神社、天王神社、須賀神社、素盞嗚神社があるのである。

八雲神社の社名は日本神話においてスサノオが詠んだ歌「八雲立つ出雲八重垣妻籠に八重垣作るその八重垣を」の八雲に因むものであり、八雲神社の総本社は京都の八坂神社である。

他のスサノオを祀る神社と同様に、江戸時代までは「牛頭天王社」などと称していたが、明治の神仏分離により「牛頭天王」という社号が禁止されたため、祭神を牛頭天王と習合していたスサノオに変え、社名もスサノオに因んだ八雲神社に変更したものであるのであるが、まあ、時代の趨勢で神様も右往左往させられているわけである。

この時は正月元旦であったので、実におめでたい雰囲気も相まって、その神気霊気もおだやかでこころが和む波動であるが、本来は祭神がスサノオであるので、力の源が奮い起こされる波動を受けるのが本来であるのである。

その膨大な波動の波を受け止めるも受け止めないも、あなたの身体の開き方しだいであるが、別に手を広げて身体を開けと言ってるのではないのは当たり前のことであるのである。

開くのは意識であり、波動を受け止め、体内にその振動を共鳴させるべく意識レベルを上げることであるのである。

あなたの神はあなたの体内にあり、神の波動をいつても受け止める用意はできているのである。

左脳思考を義務付けられた浮世の習いで、あなたの脳がそれを阻んでいるだけのことであるのである。

開くのは実に簡単である、拝殿に向かい、二礼二拍一礼して「ありがたいありがたい」と思えばいいのである。

「ありがたいありがたい」と思った瞬間に、あなたの神は目の前の神と合神し、その波動はあなたの体内の波動となるのである。

「ありがたいありがたい」と思うことは目の前の事象に対して全面的に帰伏することであるのである。

つまり、目の前の神に全面的に帰伏(きふく)することが、開くということであるのである。

帰伏するとは、ギブアップするということであるのである。

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2014年1月4日土曜日

本覚寺(鎌倉)



鎌倉の本覚寺であるのである。

本覚寺(ほんがくじ)は、神奈川県鎌倉市にある日蓮宗の本山(由緒寺院)である。

山号は妙厳山で本尊は釈迦三尊像であるのである。

身延山の久遠寺にあった日蓮の遺骨を分骨したため「東身延」とも呼ばれるのである。

2014年元旦に初詣であるのである。

まあ、鎌倉の初詣といえば鶴岡八幡宮であるが、鶴岡八幡宮はとんでもない人出で、並んでもなーかなか本殿まで辿りつけないのである。

まあ、それで、鶴岡八幡宮ご神体である応神天皇、比売神、神功皇后には段葛(だんかずら)の大鳥居の前で軽やかに二礼二拍一礼してご挨拶を済ませ、鎌倉郵便局の裏の方にある本覚寺へと詣でたのである。

神社から寺社へと回遊するわけであるが、なにしろ日本は八百万(やほよろず)の神がひしめくお国柄であるので、お釈迦さんもクライストさんもムハンマドさんも拝んでしまうという、なんでも受け入れる世界にも稀な寛大な宗教観を有する国民性をあたしが代表して物見遊山の修祓修行であるのである。

まあ、世界に信者3000万人を誇るインターネットお笑い教団象源教教祖のあたしが神社や寺社に初詣というのもナンセンスな話であるが、象源教の教義は「こだわらない」つーことがお題目みたいなんもんであるので、なんでもいいっちゃいいわけであるのである。

本覚寺境内には夷堂があり、商売繁盛笹持ってこいてな今宮戎同様に大騒ぎで強欲我欲に塗れた衆生大衆に笹を販売、いや失礼、お授けになっているのである。

まあ、なにしろ正月だけに賑やかでいいやね。

心もウキウキあそこもムキムキメキメキモキモキであるが、あたしはさすがに教祖としての立場プライドがあるので、笹はお授け頂かなかったのである。

さてさて、つーことで、動画参拝の信者諸氏は、華やか豪快に溢れる霊気神気の波動を受けて、商売繁盛金運成就を旗印に怒涛の人生行路に漕ぎ出して頂きたい。

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