2013年7月22日月曜日

川崎大師平間寺



平間寺(へいけんじ)は神奈川県川崎市にある真言宗智山派の大本山で、川崎大師(かわさきだいし)の通称で知られる寺院であるのである。

山号は金剛山で院号は金乗院(きんじょういん)であるのである。

なにしろ川崎大師と言い張るだけに、当山に奉安する御本尊は、弘法大師空海上人の御尊像であるのである。

高尾山薬王院、成田山新勝寺とともに関東三本山のひとつである。

へー、高尾山薬王院つーのはけっこうなお寺さんであったのね。

まあ、人気の高尾山のお気楽なハイキングコースにあるので、お気楽なお寺かと思うと、そーではなくて、関東三大本山てなごりっぱな寺院であったわけであるが、まあ、だからなんだといわれるとお答えのしようもないので、まあ、なんだ、あのね、そのね、ううう、詰まってしまった。

尊賢(そんけん)を開山とし、平間兼乗(ひらま かねのり)を開基とするのであるのである。

尊賢(1345-1416)は南北朝-室町時代の僧であるが、平間兼乗についてはいろいろ逸話があって、めんどくさいので、各自調査の上「あー、なるほど、こんな人だったのね」とお楽しみいただきたいのである。

1813年(文化10年)に徳川幕府第11代将軍、家斉が厄除に訪れた事から厄除け大師として広まり、毎年の正月には初詣の参拝客で大変な賑わいとなり、2006年の初詣客は272万人となり、全国3位、神奈川県1位を記録したのであるのである。

まあ、あたしも子供の頃に何度か、この川崎大師に初詣に行ったことがあるのであるが、そらもうすんごい人出で、この動画の冒頭の門前町仲見世の参道は押すな押すなの満員電車状態で、本堂にはおまわりさんが何人も張り付いて、遠くからどんどんお賽銭を投げるのでそれが床に落ちて、その床に落ちたお賽銭をパクろうとしたりする不心得なやからを見張ったりしてたのである。

とんとこ飴のとんとことんとこの包丁の音はその頃も快調にとんとことんとこ響いて、実に心もうきうきあそこもむきむきだったのであるが、そのとんとことんとこはこの日も健在で、仲見世参道入口では左右両サイドの店が対抗でとんとことんとこであるのであるが、仲見世の途中のとんとこ飴の飴屋さんはまだ午前中であったせいかやる気がないのか、とん、とこ、ぐらいの低調なとんとこで、手抜き丸出しで川崎大師の仲見世のとんとこ飴の名折れであるのであるとんとことんとこ。

当寺への参詣客を輸送する目的で1899年1月21日(初大師の縁日)に開業した大師電気鉄道は、現在の京浜急行電鉄の基となったつーことであるが、この日もJR川崎駅から京急川崎駅までとんとこ歩いてお電車でお越しなったのである。

この日は全国風鈴市であったので、人出も大変なもので、大門では猿回しのおねーさんがお猿さんをみごとにあやつってご商売にせいを出しておられらて、大人気であったのである。

本堂に参拝すると人出の気の波動も相まって、怒涛の律動振動バイブレーションで、あたしの全身60兆の細胞の振動は素粒子レベルで須弥山の彼方へ飛翔するのであるのである。

何を言ってるのかあたしにだってわからんが、とにかくこのお寺さんに行くと元気になるのである。

しかし、心がけによっては元気にならない場合もあるので、あなたの心を正して正々堂々公明正大に真正面から疾風怒濤の振動波動を丹田に受け止めなければならないのである。

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2013年6月15日土曜日

宝登山神社



宝登山神社(ほどさんじんじゃ)は、埼玉県秩父郡長瀞町の宝登山山麓にある神社であるのである。

祭神は、神日本磐余彦尊 (かんやまといわれひこのみこと、神武天皇)、大山祗神 (おおやまづみのかみ)、火産霊神 (ほむすびのかみ)の三柱であるのである。

社伝によれば、創建は景行天皇41年(111年)であるのである。

旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社であるのである。

別表神社(べっぴょうじんじゃ)とは、神社本庁が定めた、神社本庁が包括している一部の神社のことである。

昭和21年(1946年)2月2日の神社の国家管理の廃止に伴い、公的な社格の制度(近代社格制度)が廃止されたため、それに代わるものとして昭和23年(1948年)に定められたつーことである。

社格制度廃止後は、伊勢神宮を除き、全ての神社は対等の立場であるとされたのであるが、旧の官国幣社や一部の規模の大きな神社については、神職の進退等に関して一般神社と同じ扱いをするとあれこれ不都合があることから、「役職員進退に関する規程」において、特別な扱いをすることと定めているのである。

その対象となる神社が同規程の別表に記載されていることから、「別表に掲げる神社」(別表神社)と呼ばれるのであるつーことであるのであるが、まあ、そんなことであるのであるつーことでご理解いただければ幸いと存ずるのである。

秩父神社・三峯神社とともに秩父三社のひとつであるのである、

宝登山山頂には奥宮が鎮座するのであるが、時間の都合で奥宮には行かなかったのであるのである。

社伝によれば、景行天皇41年(111年)、天皇の皇子・日本武尊による東征の際、尊が遥拝しようと山頂に向っていると巨犬が出てきて道案内をした。

その途中、東北方より猛火の燃えて来るのに遭い、尊の進むことも退くこともできない状態になってしまった。

すると巨犬が猛然と火中に飛び込み火を消し止め、尊は無事頂上へ登り遥拝することができたのである。

尊は巨犬に大いに感謝したところ、巨犬はなも名乗らずに背を向けて、忽然と姿を消したのである。

このことから「火止山」の名が起き、のちに「宝登山」となったつーことであるのである。

巨犬は大山祇神の神犬であった事を知り、防火守護のため火産霊神を拝し、その後山麓に社殿を建て三神を鎮祭したのであるのである。

これが当社の起源であるとされるつーことであるのである。

2011年5月に発行の「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン(フランス語版第2版)」において、1つ星に選定されたつーことであるが、ううむ、これについてはなんともいえないところであるのであるが、その理由については深く突っ込むと差し障りが多すぎてナニであるのであるので、大人の采配でうやむやにしておくのである。

秩父鉄道秩父本線の長瀞駅から徒歩で約8分つー好立地にあるのであるが、あたしは不動産屋ではないのである。

あたしはお車でご来臨の運びとなったのであるが、大きな駐車場もあるので、送るまでお越しの方も安心であるのである。

駐車場の前にはお土産屋さんもあって、甘酒やおコーヒーなんかもお召し上がりになれるのである。

これが意外や意外の大きな神社で、神社マニアには境内社もいろいろあって、お楽しみ満載であるのである。

本殿の裏には「大和武尊みそぎの泉」てなものもあるのであるが、塀を乗り越えて水浴びしたりしてるのを見つかると、当然、通報されておおもめになるので、水垢離マニアの人は止むに止まれぬ欲求をじっとこらえて我慢しないといけないのである。

つーことで、宝登山山麓周囲の森林樹木の気も相まって、大和武尊の禊水垢離以来の神気の蓄積はさすがに厚みがあり、じっくりと味わえばそこかしこに波動がしみこんで、あなたの気道はいやがうえに開き、人体60兆の細胞の活性化をこよなく賞味できるのである。

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2013年6月7日金曜日

聖神社(銭神様)



金運ご利益の銭神様が鎮座する聖神社であるのである。

聖神社(ひじりじんじゃ)は、埼玉県秩父市黒谷に鎮座する神社である。

秩父盆地の中央部やや北寄りに聳える簑山から南西にかけて延びた支脈である和銅山山麓に鎮座し、簑山を水源とする川が流下する社前は和銅沢(旧称銅洗沢)と称されているのである。

慶雲5年(708年)に自然銅が発見され、和銅改元と和同開珎鋳造の契機となった神社とされたのである。

社格は旧村社であるのである。

祭神は金山彦命、国常立尊、大日孁貴尊(天照大神)、神日本磐余彦命(神武天皇)の4柱に元明金命(げんめいこがねのみこと。元明天皇)を合祀しているのであるのである。

和同開珎ゆかりの神社てなことから「銭神様」とも呼ばれ、金運隆昌の利益にあやかろーつーよーな参拝者も多いのであるが、もちろんあたしもその一人であるのは当然であるのである。

本堂の横には和同開珎のどでかい作りもんがあって、一見ものすごくインチキ臭い神社であるのであるが、ところがこれが、とんでもなく由緒正しい神社で、創建は社伝によれば和銅元年(708年)つーことであるから、これ、1300年以上になんなんとする歴史を記憶した神気の波動であるのである。

本殿の左には掲示板があり、宝くじに当たった皆さんの感謝のお言葉が何百と数知れず貼ってあるのである。

さすがは銭神様と言い張るだけにその御利益はなみなみならぬ威力があるつーことであるわけである。

あー、ありがたやありがたや、これで、あたしも一攫千金、左うちわの悠々自適大富豪になれること必定であるのである。

つーことは、あたしも宝くじに当たるのは神のお約束つーことで高額当選したらば、感謝のお言葉を貼りに来なければならないわけであるかもしれないのであるが、行かないとバチが当たるてなことはどこにも書いてないので、どーしたもんかとお悩みになるわけである。

しかし、当たるか当たらないかわからないもんを真剣に悩んでも意味がないじゃねーか言われればごもっともであるが、ネタがないのでいろいろこれでも苦労なされているわけである。

まあ、とにもかくにも金運財運に恵まれるご利益満載の神社であるので、あだやおろそかに動画を見てはいけいないのはゆーまでもないことであるので、あなたの身体魂魄の全エネルギーを集中して、この金運は波動を余すところなく受けて、DNAのスイッチをポンと入れて、今後の黄金人生の出発点としていただきたい。

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2013年5月8日水曜日

秩父神社



秩父神社(ちちぶじんじゃ)は、埼玉県秩父市番場町1-1にある神社であるのである。

最寄駅は秩父鉄道秩父本線の秩父駅から徒歩3分で、さらには西武鉄道西武秩父線の西武秩父駅からも徒歩15分とゆー絶好の立地であるが、べつにアパート、マンションを借りるわけではないので、不動産屋さん的にはどーでもいいかもしれないのである。

式内社、武蔵国四宮で、旧社格は国幣小社であり、現在は神社本庁の別表神社であるのであるが、神社マニア以外の読者にはなんのことかさっぱりわからないかもしれないし、なんの興味もないかもしれないのである。

秩父地方の総鎮守であり、三峯神社・宝登山神社とともに秩父三社の一社であるつーことであるのであるが、これは観光物見遊山の人には必見の情報であるので、秩父観光においでになるご予定のある方はメモして控えていただきたいところであるのであるが、いつもながら大きなお世話であるかもしれないのである。

12月の例祭「秩父夜祭」で知られるのであるが、12月の夜中に秩父で祭りとゆーのは、これ、とんでもなくさぶいのは確実であるので、あたしゃ絶対に行きたくないのであるが、そんなことを言っては仮にも霊能紀行家としての本分にもとるので、なかったことにしていただきたいのである。

祭神は、八意思兼命(やごころおもいかねのみこと・政治、学問、工業、開運の祖神)、知知夫彦命 (ちちぶひこのみこと・秩父地方開拓の祖神)、天之御中主神 (あめのみなかぬしのかみ・北辰妙見として鎌倉時代に合祀)、秩父宮雍仁親王(ちちぶのみやすひとしんのう・昭和天皇の弟宮、昭和28年に合祀)であるのである。

てなことで、伊勢神宮大参拝巡礼行脚に続いてはるばる車を飛ばして秩父の地まで、仕事をほっぽり出して、あたしゃいったい何をやってるんだてな反省もそこそこに物見遊山霊場探索神社探訪であるのである。

ううむ、右手の指が上手く動かんが、昨日なんかしたかしらん?

特段、何をした覚えもないのであるが、日頃の神仏に対する不敬不遜のタタリかもしれないとは思うが、まあ、あまりにもあちこちで涜神の限りであるので、もう、なんのタタリなのか判別もつかないありさまであるのである。

涜神はとくしんと読むのであるが、まあ、意味は各自で辞書を紐解いて、少しでも日本語に親しんでいただきたいと思う今日このごろであるのであるが、また、尺稼ぎのネタを拾ってると思われても癪なので釈に笏するのである。

それで、この日は4月であったのであるが、時期はずれに真冬並みの寒波襲来で、寒風吹きすさんで、観光客参拝客はほとんどいなくて、実に神気の厳しさを味わえる厳かなロケとなったのである。

どんな寒さ冷たさも、これ霊能修行修祓の一環であるので、神使としての本分を忘れず薄着で肌身に寒風を受けて、ああ、これで、明日もあたしゃ、うううう、指が動かん、さらには痙攣してる、いかん、これは艮の金神様がお怒りであるのであるなあ、ていてい。

つーことで、神罰もタタリもなんのその、秩父大神の神気を受けて、あたしの波動はさらに高みへ飛翔せんとその翼をばーたばたと羽撃くのであるてなことで締めといしたいのである、いててて、今度はいてーぞ、ああ、神さま許して。

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2013年5月3日金曜日

神明神社(鳥羽市)石神さん



三重県鳥羽市相差(おおさつ)に鎮座する神明神社であるのである。

そうね、伊勢市の伊勢神宮からは車で山道をぐるぐる回って、1時間ちょっとかかるのである。

神明神社(しんめいじんじゃ)は、天照大神を主祭神とし、伊勢神宮内宮(三重県伊勢市)を総本社とする神社であるのである。

つまりこの鳥羽市の神明神社も伊勢神宮内宮のご祭神を分祀したものであるわけであるのである。

神明社(しんめいしゃ)、皇大神社(こうたいじんじゃ)、天祖神社(てんそじんじゃ)などともいい、通称として伊勢神宮と同様に「お伊勢さん」と呼ばれることもあるのであるつーことであるのである。

神社本庁によると日本全国に約5千社あるとされているのであるが、どなたかの飯田放題の一説では約1万8,000社てなことであるので、いわゆる言ったもんがちであるのである。

一方、岡田荘司つー誰だかさっぱり知らない人によれば、祭神で全国の神社を分類すれば、伊勢信仰に分類される神社は、全国2位(4425社)であるということであるのであるが、まあ、マニア以外にはどーでもいいことかもしれないのであるが例によって一応言っとくのである。

祭神の天照大神(あまてらすおおみかみ)は、太陽を神格化した神であり、皇室の祖神(皇祖神)とされているため、農耕儀礼と密接に結びつき神明神社は広く信仰を集めたわけであるのである。

古代においては王家の氏神として、天皇、皇后、皇太子以外の奉幣は禁止されたが、中世に入り朝廷が衰微するに伴い、伊勢神宮の信者を獲得し各地の講を組織させる御師が活躍し、王家にとってのみの氏神から日本全体の鎮守としての存在へと神社の性格は大きく変わったつーことであるのである。

また、布教とともに各地の有力者による神領(御厨)の寄進が行われ、その地に伊勢神宮の祭神が分霊され、神明神社が広範囲に分布することとなったのであるが、1,800もあったのではありがたみにかけるつーご意見もあるかもしれないのであるなんてことは間違っても言ってはいけないのは言うまでもないことであるのであるていてい。

特に神仏習合の教説において神道側の最高神とされたことなどにより近世に至り一般民衆の間にも伊勢信仰が盛んになると、新田開発の際に神明神社を創建することが盛んになったつーことであるのである。

その祭事はほぼ伊勢神宮と同じであり、神使も鶏であるのである。

まあ、余談であるが、鳥居の起源説のひとつとして、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から誘い出すために鳴かせた「常世の長鳴鳥(とこよのながなきどり)」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を置いたことが起源であるとすることから、鶏が神使つまり神の使い眷属であるわけであるから、その眷属神としての鶏さんがうろうろなさってるところを意味するものであるということが言えるわけであるがあたしが天照大御神ねーさんに直接聞いたわけではないのであくまでも霊界通信御筆先の神のお告げの口から出まかせであるのは無論のことであるのである。

神明神社の鳥居の形は主にいわゆる「神明鳥居」であり、素朴な形式で全体的に直線的であり、その建築様式は神明造であることが多いのであるは当たり前といえばあたりまえであるというご意見は当然多々あると思うのを考察に入れても一応言っとくのであるなんだこれ困った。

なお、「神明」という言葉は天照大神のことを指すほか、単に「神」という意味でも用いられるのであるが、例えば「天地神明に誓う」の「神明」は後者の意味であるのであるが、ううう、これ、蛇足だろうねえあなた。

明治時代に全国の神社の調査が行われたが、その神社の氏子に神社の祭神について質問した所、氏子も何の神が祭られているかを知らず、「神」というつもりで「神明」と答えたら、天照大神を祀る神明神社ということにされたという例も少なくないつー話もあるぐらいあのねのねであるのである。

さて、この鳥羽市相差(おおさつ)の神明神社には25柱の神が祀られているのであるが、その中の一つに参道にある小さな社石神さんと親しまれている女神があるのであるがへー女神だったのかとあたしはここに来ていまさらながらわかったのでこんな神域探訪はどーなんでしょーかとみずからのいいかげんさにうううだめだ。

ご祭神は、神武天皇の母 玉依姫命(たまよりひめのみこと)で、海女たちが古くから「女性の願いならひとつは必ず叶えてくれる」と密かにお参りを続けていたのであるが、いつの間にやら全国から参拝客の絶えることがない社になって、25柱の神が祀られてしまうほどに押しも押されもしないが境内でおしくら饅頭だってできるごりっぱな神社と相成ったのである。

まあ、この神明神社までの門前町参道は住宅街であるのであるが、車一台がやっと通れる程度の道幅で、そこをバスを降りた団体の観光客の皆さんがぞろぞろ歩いてご参拝なさるので、その細い道には付近の皆さんが農産品や海産物を並べて売ってたり、おばさんがサザエの壺焼を焼いて売ってたりするので、まあ、なんつーのか、なかなかよろしい雰囲気であるのであるが、あたしはサザエのつぼ焼きを食いたかったのであるが、焼いてるのを待ってるのがめんどくさいので食わなかったので実に残念といえば残念で、ああ、少し我慢して食えばよかったとくいしんぼーを人生の課題することに多少の悔いがのこる参拝となったのであるがおいおいあんたは神さまよりサザエのつぼ焼きかいとツッコミをいれられるのを覚悟でボケをかましてみるわけであるってううむいかんなこれでは読者がますます呆れて読まなくなるのが必定であるのであらいやんあなたってアレなのねであるのであるあああ神さまだずげで。

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