霊能気功家象師匠が日本中の霊氣神氣を集めるべく占術を駆使して造られた空間を霊視で巡るスピリチュアル巡礼ツアーである。宇宙の創造主の神意を賜り、魂の浄化を体現し、その清浄な氣によって運命運勢運気を上昇に導くのである。
2019年4月25日木曜日
上田北野神社(東京都日野市)
東京都日野市上田480にある上田北野神社である。
北野神社であるので、本家は京都の北野天満宮で、当然、祭神は菅原道真である。
なにしろものが学問の神様であるから、ありがたいありがたいと拝めば、おつむのちょーしがよくなるかもしれないので、毎年の恒例で暖かくなると脳の異常を感じるあたしは入念にお礼を申し述べたのである。
まあ、脳が異常だと感じる場合は、神頼みよりも医者に行った方がいいのはいうまでもないことであるが、やらないよりはマシのモットーにのっとり一応拝んどくわけである。
菅原道真公に向かって一応呼ばわりである。
創建年代は不明であるが、平野紋弥家邸の屋敷神として創建されたてなことであるので、もとは平野さんという個人の家に招請されたのが始まりということである。
現在地に遷座された年代も不明である。
社格は明治4年村社に設定されたつーことである。
明治十八年には上田村の鎮守神とされ、氏子数は十一戸であったが、大正十四年に覆殿・拝殿・鳥居を築造したのである。
小さいながらも、明治二年以来八坂神社の神職が祭儀を行うという由緒正しい神社である。
上田市の住宅街の真ん中にこの神社があったのである。
神社とみれば参拝せずにおられないのは霊能者としてのお役目である。
霊能なんてそこはかとないしょぼいあれこれは、数限りない銀河とブラックホールに加えて多元宇宙なんて宇宙の仕組みからみると実にナンセンスであるが、まあ、この世がすべて幻想であるとしても、人としてこの世に現されたことによる楽しみのひとつであるのはありがたい限りである。
どんな些細な霊場にも想念が集まり蓄積して、霊氣神氣の波動はいやがうえにも体内の素粒子に影響を与えるのである。
祓い給い清め給え神ながら守り給い幸わえ給え。
ああ、神はなぜに我をこのようなものに造られたのか。
しらんがな。
春はどうもいかんな。
だから医者に行きなさい。
やかましわ。
スピリチュアル 精神世界
2019年3月26日火曜日
浄智寺(北鎌倉)
浄智寺は北鎌倉駅から徒歩で5~6分ほどにある臨済宗円覚寺派の寺院である。
創建は1283年(弘安6年)で、開基は北条師時である。
鎌倉五山第4位で山号は金宝山(きんぽうざん)である。
ちなみに鎌倉五山は、第一位・建長寺、第二位・円覚寺、第三位・寿福寺、第四位・浄智寺、第五位・浄明寺である。
ううむ、オチが浮かばないので、さっさと次にいくのである。
浄智寺の入口である。
正面奥が高麗門てな形式の惣門であるが、この雰囲気だけでも境内の大きさが想像に難くないのである。
当時の鎌倉幕府の権威がひしひしと伝わるあれこれの寺社の広大さであるなあ、てな感動も心の奥底にしまい込んで、いざ惣門をくぐるわけである。
何を言ってるんでしょうか。
さて、惣門から入口を見るとこんなである。
寺社マニアとしてはあちこちから矯めつ眇めつして、その雰囲気やおもむきを楽しむわけである。
ううむ、どうも今一つおもしろくなるポイントがわからん。
惣門の次に、上の写真の正面奥に見える鐘楼門てな名前の山門があるのであるが、動画はこの鐘楼門からのロケである。
鐘楼門をくぐるといよいよ仏殿である。
仏殿はいわゆる本堂であるが、その前では団体さんがガイドのおじさんからあれこれ案内解説を受けているのである。
ついでにあたしも混じってあれこれを聞いてみたが、仏縁にも関わらず、残念ながらまったく内容が入ってこないので、ここでは割愛である。
これは仏様が聞かなくてもよろしいとおっしゃってるのであろうと勝手に解釈して、自らの自堕落をあっちに置いとくわけである。
仏殿の曇華殿(どんげでん)である。
とにもかくにも、この仏殿にお参りして、明日の健康と発展を願うわけであるが、いつものごとく神仏にお願いごとなんて不始末を犯すととんでもない神罰仏罰が下るので、ここは心を鬼にして「ありがたいありがたい」と唱えるばかりである。
だれだって、頼まれごとは嫌であるし、神仏とはいえ、「金持ちになれますように」なんて願った日には、「金貸してくれ」と同義であるということを知らなければならないのである。
逆にお礼を言われれば、誰だって悪い気はしないわけであるから、別になにもしてもらった覚えがなくても、「ありがたいありがたい」と言っとけば、もしかしたら気を良くしてなんかくれるかもしれないのである。
おいおい。
さて仏殿内におられる御本尊は阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来の三世仏であるが、もちろん、いずれも仏陀の化身である。
仏様におかれましても、能力を分担して、いわゆる分業でご利益を下さるわけである。
お一人で全部まかなうのは、いかに全能の仏様といえどもそこは手抜きが出てしまうとも限らんので、役割別に縦割り行政となっているわけである。
しまいに怒られるから、やめなさい。
本堂からは廊下と通って書院つくりの客殿に行けるのであるが、もちろん、許可なく内部を歩き回ると通報されるので、お外からの鑑賞である。
客殿は茅葺屋根のおもむきもよろしいもので、境内の建物をこころ行くまで鑑賞するのもマニアの楽しみのひとつである。
散策路の途中にあるポンプ井戸である。
井戸マニアのあたしらの専門用語ではガシャポン井戸ともいうのであるが、もちろん水をくみ上げる時にガシャポンガシャポンというからであるのは言うまでもないことである。
誰が井戸マニアだ。
上智寺境内にある布袋尊である。
周囲を回っておつむやおなかをなでなでする人が多いのである。
おつむやおなかがこの形状であるのでなでなでしたいのが人情であるが、あたしはなでなでしないのである。
スピリチュアル 精神世界
2019年3月11日月曜日
武蔵御嶽神社の大口真神社
まあ、我が家の恒例のひとつで、毎年この時期に、青梅市御岳山にある武蔵御嶽神社(むさしみたけじんじゃ)に大口真神(おおぐちまがみ)のお札をいただきに参拝するのである。
以前は神社の御師さんが山を下りてお札を配りに来たのであるが、跡継ぎがいなくなって、逆にあたしが山を登ってお札をいただきに行くのである。
このお札を蔵や勝手口や物置などの入口に貼って、災いや怪しい侵入者を追い払うわけである。
まあ、大口真神の通称がおいぬ様であるが、本来はニホンオオカミを神格化したものであるので、「わん」と吠えてどろぼーや災厄を追い払うのかどーかは定かでないのである。
しかし、これまでどろぼーもこれといった災厄もないので、「わん」と吠えて、たちどころに追い払っていただいているのかもしれないのである。
通年は、毎年四月に入ってからの参拝であるので、花も見ごろで、参道は参拝客と犬と登山縦走の皆さんが大賑わいであるが、今年は都合でこの日が3月8日金曜日で気温が8度前後のせいか参拝客もまばらである。
ちょうどこの日は拝殿内で雅楽演奏と神楽舞をご鑑賞できる春季大祭の行われる日であったのであるが、受付時間の11時までに到着できなかったので実に残念である。
動画で流れる祝詞はその祭礼のものであるが、祭礼には受付で1000円払ってどなたも参加できるので、来年は必ずや11時までに到着することを心に深く誓ったのである。
来年まで覚えてるわけねーのである。
まあ、とにもかくにも拝殿に詣でてから、奥にある大口真神社(おおぐちまがみしゃ)までロケを敢行して、その霊氣神氣を心行くまで堪能して、この先一年の災難除けと運気上昇は確約されたわけである。
勝手に確約して怒られないのかと思う向きもあろうが、何事もやらないよりはマシであるのは言うまでもないことであるので拝んどけ拝んどけである。
さらに、大口真神社の手前にある常磐堅磐社(ときわかきわしゃ)にもご参拝申し上げて、さらに運気は天にも昇る勢いである。
常磐堅磐社は崇神天皇・景行天皇・安閑天皇・清和天皇と狭依比売神ほか96柱を祭り、諸国一宮祭神といわれ、実に霊験あらたかであろうことは推測に難くない、神様満杯のお社である。
一神教とは違って、多神教の日本神道は実に楽しみの多いしゅーきょーである。
そら多勢に無勢で、神様だって多い方がご利益が多いのは理の当然である。
まあ、人の運気なんてもんはお亡くなりになってみなけりゃわからんわけであるが、死んでしまえば運気もへったくれもないので、結局、どーでもいいわけである。
いずれにしても自分の意思とは無関係にあれこれ決まり、否応なくあれこれが勝手に進行するのであるから、何事も諦めて、なるように流されて生きることが肝要である。
そうはいっても、わかっちゃいるけど無駄な悪あがきがやめられないのが人生で、まあ、その悪あがきが人生の楽しみでもあるわけである。
参道の途中に樹齢600年と言い張る御岳の神代欅(みたけのじんだいけやき)てな巨大な欅の大木があって、その欅の手入れが行われていたのであるが、これが絶壁に足場を組んで植木屋さんあるいはトビの皆さんが数人登って大騒ぎである。
あたしゃ高所恐怖症であるので、下から見てるだけでも目が回りそうである。
だから、あたしにトビや植木屋さんてな職業はどーやってもこーやっても無理である。
人間の職業に向き不向きがあるのが、この一事からもよーくわかるわけであるが、しかし、その向き不向きがなかなかわからない上に、向いてない職業が好きである場合が多々あるので、これが世の中の大半の人の人生がうまくいかない原因である。
もちろん大きなお世話である。
あたいがたいありがたい。
スピリチュアル 精神世界
2019年2月2日土曜日
東慶寺(北鎌倉)
東慶寺(とうけいじ)は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗円覚寺派の寺院である。
山号は松岡山で、寺号は東慶総持禅寺である。
東慶寺でもらったパンフレットの寺伝によると、弘安8年(1285年)に時宗夫人の覚山志道尼(かくさんしどうに)によって開創され、以来明治に至るまで本山を持たない独立した尼寺であったのであるが、現在は円覚寺末寺の男僧の寺である。
後醍醐天皇皇女が護良親王の菩提を弔うために入寺し5世用堂尼とたったことから御所寺、松岡御所と称せられ、江戸時代には豊臣秀頼息女が20世天秀尼となり、縁切寺法を徳川幕府に認めさせ、松岡御所は一段と格式のある寺となったのであるつーことである。
群馬県の満徳寺(まんとくじ)と共に江戸幕府寺社奉行も承認する縁切寺として知られ、当時は正式に女性の離婚に対する家庭裁判所の役割も果たしてということである。
もうわかりましたから、このへんで。
来る前には勝手になんとなくこじんまりしたお寺さんのイメージを抱いていたのであるが、これが意外や意外の広大な敷地で、入口から山門までがこの通りの距離である。
山門で拝観料をお支払いするのであるが、無人で、勝手に箱に200円を入れて、置いてあるパンフレットを勝手にもらうのである。
もちろん無人とはいえ拝観料をごまかすなんてえのは、富豪気功家象師匠の沽券にも股間にもかかわることであるので、ロケの前に、気前よく2個の100円玉を、例によって「つりはいらねえよ」と景気よくお支払いしたのは言うまでもないことである。
だいぶ前に公開された某映画で、縁切りのために女性が階段を駆け上がって駆け込む山門は、この写真の奥に見える山門であったのは論を俟たないところであるが、現地のロケなのかセットなのかは定かでないのも論を俟たないところである。
境内から山門を見てもこの広さで、通路の両側にあれこれの建物があり、整備も手入れも行き届いているのである。
本来は四季を通して境内に花が咲き乱れるのをご鑑賞できる楽しみを売りとしているが、当日が正月の2日という厳寒の時期であったので、枯れ木の枝ぶりと枯れ野を心行くまで堪能できるのである。
パンフレットによるとここは菖蒲畑で、建物は白蓮舎てなお名前の立礼席(りゅうれいせき)の茶室である。
立礼席は、裏千家十一世玄々斎が創案した作法で、椅子に腰掛けて行うお点前である。
しらんがな。
境内のほぼほぼ中央に泰平殿と呼ばれる東慶寺本堂があり、入口はがらりと開け放たれているので、どなたも心ゆくまで本堂内をご観覧できるのである。
本堂内には波羅蜜と扁額がかかり、ライトアップされた奥にご本尊の釈迦如来が神々しく光り輝いているのである。
ぐぐっと寄ってみると、本尊の左には二十世天秀尼像が鎮座し、右には開山覚山尼像と五世用堂尼像が鎮座しておられるのである。
ううむ、興味がないので、これ以上どうしていいかわからない。
この建物は単なる住職のお住いに見えるが、東慶寺の書院である。
当初の書院は、1634年(寛永11年)に徳川忠長屋敷から移築されたものだったが、1923年(大正12年)の関東大震災で倒壊したため、現在の建物は、その当時の間取りで大正期に再建されたものである。
誰か読んでる人いるのかね。
境内の通路の奥に鎮座する釈迦如来像である。
もちろん、ありがたいありがたいと連呼して、やらないよりはマシのご利益をあれこれしたのは言うまでもないことである。
なんでもおがんどけおがんどけである。
それを仏縁というのである。
なにもしないよりは、仏に縁があるわけである。
ものすごく根拠が希薄である。
大きなお世話である。
右の建物は松ヶ丘宝蔵である。
ここには重要文化財の聖観音菩薩立像や東慶寺文書、初音蒔絵火取母、葡萄蒔絵螺鈿聖持箱をはじめとして、多くの文化財が展示されているのであるが、ご鑑賞は要予約である。
もちろん予約などしてるわけがないので、お外からのご鑑賞である。
これも仏縁である。
なむなむ。
おまえ、まったくのアレだろ。
茶室の寒雲亭(かんうんてい)の門である。
前述したとおり、当日は正月の2日であるので、正月飾りがかけてあるのである。
寒雲亭は裏千家茶人・千宗旦が建てたのを始まりとする裏千家で最も古い茶室である。
もちろん中に入るには、あれこれの手続きが必要であるので、これもおお外からの門のご鑑賞である。
まあ、この門の屋根の苔の具合いがなんともそこはかとない風情を醸し出しているのである。
だから、しらんがな。
さて、このなんの変哲もない石は、神社仏閣でときおり見かける「さざれ石」である。
なにしろ国歌にも歌われるさざれ石であるので、この石にすごい言われがあるのか、出入りの植木屋さんがもってきたのかはさておいて、それがなんであれ、ありがたいありがたいと連呼して、おげんどけおがんどけであるのはあたしのモットーである。
モットーかよ。
てな一人ツッコミでお楽しみであるが、実はこのモットーが象気功の神髄で、なんでもありがたいのであるから、この世は極楽である。
困難苦難でさえありがたいのであるから、常によろしいホルモンが大放出で、細胞は大喜びである。
こじつけかよ。
うるせえよ。
この石というのか石碑というのか、これはいったいなんだろうと寄ってみると、なんか書いてあるのである。
「女作者はいつも、おしろいをつけてゐる この女の書くものはたいがい、おしろいの中からうまれてくるのであろう」てなことが書いてあるのである。
調べてみると、東慶寺に墓のある作家の田村俊子さんの碑であるらしいのであるが、あたしゃ俊子さんの作品をお読み申し上げたことがない上に、さらには、これから読むこともないので、すまん。
俊子さんには、とりあえずあやまって、ありがたいありがたいとなむなむしたのは言うまでもないことである。
しまいに誰かにものすごく怒られそうな気がするが、無理にでも笑いを取ろうとするのは、お笑いネット芸人の習性であるのでしょーがないのである。
とにもかくにも、人間は意図的に笑いをとれるようになって一人前である。
こんなんで誰が笑うんだ?。
そう言われるとぐうの音も出ません。
東慶寺の鐘楼である。
みりゃわかるのである。
これが鐘楼以外のものに見えたら病院に行かなくてはならないのである。
東慶寺の鐘楼は大正5年に建てられ、大正12年の関東大震災で唯一倒壊しなかった建築物である。
さすがは釈迦如来のご利益であるが、これが唯一ということは、その他は全滅ということであろうから、ううむ、どうなんだろうか。
掘り下げるのややめよう。
楽しんでいただけましたでしょうか。
無理だろ。
スピリチュアル 精神世界
2019年1月22日火曜日
明月院(北鎌倉)
明月院(めいげついん)は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗建長寺派の寺院で、山号は福源山、本尊は聖観音である。
寺伝によると、今から約850年前の永暦元年(1160年)に山内首藤経俊により名月庵が建立され、あれこれの経緯の末、中興開山(初代住職)は密室守厳(みっしつしゅごん)禅師である。
まあ、北鎌倉といえば明月院というぐらいテレビ番組でもネタにされる名刹である。
明月院はあじさい寺と別名があるわけであるが、この日は正月の二日であるので、あじさいの枯れ枝の枝ぶりのみのご鑑賞である。
渾身の動画で山門から参道のあじさいのみごとな枯れ枝をじっくりとご鑑賞いただけるはずであったが、おりからの逆光で何がなんだかわからんカメラワークである。
これが入口であるが、知らないおじさんが仁王立ちである。
大柄なおじさんであるので、さしもの不世出の気功の大達人の不肖象師匠も「ロケの邪魔だからあっちいけ」てなことを申しあげると、逆切れされて大立ち回りにならないとも限らんので、まだかなーまだかなーと立ち去るのを待ってから撮り直しである。
この世をなめらかに生き抜く極意は、避ける、逃げる、謝る、である。
殴られれば痛いし、逆にうっかり殴ったりして相手が倒れて頭を打ってご死亡なされたりすると、国家による長期間の監禁状態はもとより、民事による賠償金もえらいことになるし、新聞テレビメディアに写真入りで登場して、家族親族は外も歩けない始末にならないとも限らないのである。
あたしはバカではないのでバカなことはやらない主義である。
当たらずさわらず近寄らずが人生の奥儀であると確信しているわけである。
虎穴に入らずんば食われない、である。
虎児なんか得ても親虎に食われちまえばなんのこっちゃである。
どいひーな展開で、いったいどこに霊氣神氣があるんだという抗議のあれこれも聞こえてきそうな雲行きであるが、かならずや行く手に光明が光り輝くのは必然の成り行きである。
意味のわからんゴタクはともかく、入口を入ると総門という名の料金所があり、ここで拝観料500円をふんだくられる、いや失礼、お支払いすると晴れて境内をご鑑賞できるのである。
もちろん、株成金大富豪の象師匠であるから、「ほれ、とっとけ、つりはいらん」と景気よく500円玉1個を差し出したのはいうまでもないことである。
つっこまないでね、お願い。
動画はこの総門を入ってからのロケである。
横に拝観口という名の旧料金所があるのである。
旧料金所をなんで取り壊さないのかといぶかる向きもあろうが、それもこれも悠久の歴史の1ページとして明月院旧料金所という史跡とするためか、取り壊す費用の捻出がままならないのか、真偽は永遠の謎に包まれたまま象師匠の足取りも軽く境内に突入したわけでである。
日本語がめちゃくちゃである。
方丈と扁額がかかってるのが本堂である。
方丈とは禅宗寺院の住職の居室あるいは住職を指す言葉であるが、明月院では、かつては本堂が住居を兼ねていたということであるのかもしれないのである。
もちろん、当時院の関係者に聞いたわけではないし調べたわけでもないので、あくまでもあたしのアレのソレである。
本堂の右隣というのか次の間というのか、有名な悟りの間である。
明月院とググれば、アジサイとこのお部屋のお写真がでてくるのである。
さらに、本堂前には枯山水のお庭がしつらえてあるのであるが、カップルがなにやら仲良くお話していてむかつく、いや失礼、構図が今一つであるので、撮り直しである。
てなことで撮り直したが、たいして変わらんので、先ほどのカップルには非常に失礼な物言いとあいなってたわけである。
これ、ものすごく無駄だろ。
開山堂(宗猷堂)である。
1380年頃に建てられた「宗猷堂」(そうゆうどう)が、のちに開山堂と呼ばれるようになったのである。
堂内に祀られている明月院中興開山の密室守厳禅師の木彫の座像である。
守厳禅師も明月院が後世にこんなに有名になるとは思っていなかったであろうから、この世の習いはなるべくしてなりならないべくしてならないわけである。
なるようにしかならんのであるから、諦めが肝心であるし、さらには流されて生きる、好きなようにテキトーに生きる、ということを念頭に本年んもあれこれするわけである。
文章がテキトーかよ。
鎌倉幕府五代執権の北条時頼公墓所と立札のある時頼公の廟所である。
とにかく、入口で500円もふんだくられた、いや失礼、お支払いもうしあげたので、境内をくまなく見て回るわけである。
もちろんその500円であれこれのメンテナンスやお掃除やお庭の整備などが行われて、あたしら神も仏もない物見遊山の観光客も楽しめるわけであるから、文句を言うなんてのはおこがましい限りであるのはいうまでもないことである。
この時頼公のお位牌のある仏壇だってどなたかが日々お掃除なされておられるわけであるので、この世はもちつもたれつである。
なにいってんだかわからんのである。
鎌倉十井のひとつに数えられる「瓶の井(つるべのい)」である。
いわゆる井戸である。
古来より井戸は住居の生命線である。
ゆえに井戸に神が宿るわけであるが、その伝でいえば現代の生活では水道の蛇口に神が宿るので、この瓶の井も今は神が宿ってるとは言い難いかもしれないわけである。
異論も多々あるとは思うが、まあ、神てなものはだいたいがそんなところからの発祥であるのはいたしかたないわけである。
右側の座像は季節の花を膝に抱えた「花想い地蔵」である。
なにしろ花を想っているわけであるが、鼻を想っているわけではなさそうである。
つまるとだじゃれで逃げるところが落語家のさがである。
誰が落語家だ。
誰かなんとかしてくれ。
笑いのレベルがどんどん下がって、絶壁頭のふちを歩くような今日この頃である。
人間は笑いをとれてなんぼである。
笑いがとれなくなったらさっさと店じまいして、保険証の裏の臓器提供に軽やかにサインして少しでも社会に貢献しようとする心意気をうううあたしはどこかおかしいんでしょうか。
「桂橋(かつらばし)」である。
トントントンと上がって降りると運気が上がるてなことも書いてないのであるが、そのうちそんな話も出てくるかもしれないので、いちおう渡っておくのである。
いちおうかよ。
あじさいの絵馬に願いを書いて奉納する絵馬堂である。
まあ、とくに願いもないので、絵馬は奉納しないのである。
願いもオチもないのである。
もしかすると、おまえアホだろ。
さすがは明月院である、トイレも美しいのである。
なにしろ「月の広場」である。
明月院だけに。
明月院の前は「明月院通り」である。
明月院だけに。
明月院通りに沿って流れる「名月川」である。
明月院だけに。
もう、勘弁して。
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