2014年3月29日土曜日

浅草寺



浅草の浅草寺(せんそうじ)である。

大混雑であるが、別にこれは正月元旦の初詣ではないのである。

3月21日の春分の日であるので、まあ、休日ではあるのであるが、ごらんの通りのとんでもない人出で、最近あちこちの国でマナー最悪と話題のちゅーごくじん観光客の皆さんを中心に世界各国諸外国の人も入り乱れて、大混雑であるのである。

仲見世大通りなんかは、ごった返して、歩くのも困難な状況であるが、まあ、なんだね、やっぱり日本一の観光地かね。

そのごった返した中でも、皆さん楽しげに店頭に並んで煎餅だの人形焼だのを買ってお楽しみであるのである。

あたしはもちろん並ぶのがだいっきらいなので、並んでなんかやらないのであるが、仲見世を抜けた先にテキ屋さんのたこ焼きの露店があったので、露店マニアのあたしはすぐにたこ焼きを買って食ったらタコもでかくて美味かったのである。

なんでかしらん、テキ屋さんのたこ焼きは大変美味いのである。

しかし、これは象さんのご飯ではないので、たこ焼きの写真はないのである。

浅草寺は、東京都台東区浅草二丁目にある東京都内最古の寺で、山号は金龍山であるのである。

なにしろ最古であるので、そらもう、すごいのである。

本尊は聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)であり、元は天台宗に属していたつーことであるが第二次世界大戦後独立し、現在は聖観音宗の総本山となっているつーことであるのである。

有名な浅草寺の創建草創の由来故事は、推古天皇36年(628年)ごろに、宮戸川(現・隅田川)で漁をしていた檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(たけなり)てな兄弟の網に小さな仏像がかかり、。この像を拝した兄弟の主人・土師中知(はじのなかとも)あるいは土師真中知(はじのまなかち)てなどちらかのお名前のややこしいお方が出家し、自宅を寺に改めて供養したつーことである。

この網にかかった小さな仏像が浅草寺本尊の聖観音(しょうかんのん)像であり、浅草寺の始まりつーことであるのである。

観音像は高さ1寸8分(約5.5センチ)の金色の像と伝わるが、絶対的秘仏とされ、33年に一度のご開帳の際もモノホンではなくレプリカであるため、その存在さえあるんだかないんだか、その実体は一般には明らかでないつーことであるのである。

まあ、ご本尊があってもなくても、この怒涛の人並みにもまれて、本堂にて参拝すれば群衆の発する波動振動に周囲の霊気神気はさらに増幅されて、あたしの尾骨仙骨にどどんと振動爆裂するのである。

この尾骨仙骨がむずむずぷるぷるぶるぶる振動を始めて、どかんと開いてあらいやんが小周天の極意であり、クンダリニー・ヨーガの極意であるのである。

さて、尾骨仙骨を振動させるには、なにはともあれ、あなたの素直な心根を浅草寺本堂から発する波動に向けて、あなたの精神がその振動に共鳴することが必要であるのであるが、爆裂したからといって超人にもならんし神にもならんしお亡くなりになったりもしないのである。

激烈怒涛に気が出て、出すぎて具合が悪くなって、同じ部屋に居る人もその気にあたって具合が悪くなったりして、収まるとただの人に戻るのである。

がっかりね。

ホントのこと言っちゃだめだろ。

どーすんだこれ。

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2014年3月3日月曜日

杉桙別命神社(すぎほこわけのみことじんじゃ)



河津町観光案内図に来宮神社(きのみやじんじゃ)と書いてあるし、道案内の立看にも来宮神社と書いてあるので、あたしゃすっかり来宮神社かと思っていたのであるが、それは通称で杉桙別命神社(すぎほこわけのみことじんじゃ)が正式名であるつーことであるのである。

杉桙別命神社(すぎほこわけのみことじんじゃ)は、静岡県賀茂郡河津町にある神社で、式内社で、近代社格制度では郷社であるつーことであるのである。

近代社格制度つーのは明治維新後に、延喜式による社格にならって新たに作られた社格制度であるが、第二次世界大戦後にGHQによる神道指令によって廃止された制度であるので、意味があるのかないのかはあなた次第であるのである。

古くは「桙別明神」、「木野(大)明神」、「来宮(大)明神」、「木野神社」、「木之神社」、「鬼崎(きのさき)明神」などと呼ばれており、現在でも「河津来宮神社」と俗称され、「来宮」の古社名や後述する「鳥精進酒精進」を伝承することから、キノミヤ信仰を有する神社とされているのであるつーことであるのであるあるあるううういかん神のタタリでどこか壊れたってなんでもかもかんでも笑いを取らんと気がすまんのかい。

主祭神は杉桙別命(すぎほこわけのみこと)で、さらに五十猛命(イソタケルノミコト)と少彦名命(スクナビコナ)を相殿に祀るのであるが、延喜式神名帳では1座となっているので、本来は杉桙別命1柱を祀るものであったと思われるのであるのである。


拝殿左にある楠(くすのき)は(樹高約24m、幹周14mの楠)は昭和初期(20世紀前葉)時点で樹齢1,000年以上と推定され、昭和11年(1936年)に国の天然記念物に指定されたのである。

古くより来宮様の大クスと呼ばれ、神木として崇められてきたつーことであるが、かつて河津には7本の大楠があり、明治時代中頃まで河津郷七抱七楠(ななかかえななくす)と呼ばれていたが、現存しているのはこの1本だけであるのである。

また、参道入口付近と、拝殿右前にも楠の大木があるのであるが、それは天然記念物に指定されていないのであるのである。

なお、伊豆半島北部にある熱海市の来宮神社にも、阿豆佐和気神社の大クスという有名な天然記念物に指定された楠の大木があり、似た名称で呼ばれるため混同しやすいのであるが違うのであるつーことであるのである。。


境内には山神社と秋葉山神社の拝殿があるので、あたしはもちろんご参拝申し上げて、どちらも山が付くので、ざっくりと登山の際にご利益があるに違いないつーことで登山の安全を祈願したのはゆーまでもないことであるが、あたしは登山の趣味はないので無意味かもしれないのであるがなんでもお願いしておけば神様だって悪い気はしないのである。

また、式内社の佐々原比咩命(さわらひめのみこと)神社に比定される姫宮神社を合祀所管するのであるが、それは同敷地内にはなく、河津駅とこの杉桙別命神社の中間あたりに鎮座しているつーことであるが、河津町観光案内図にも明記されてないし、今回は仕事がご多忙で日帰り旅行てなことで時間の都合上探してるお時間もないので、主祭神である笹原姫命ちゃんには大変失礼ながら参拝なされなかったのである。

まあ、いずれにしても、杉桙別命神社には、河津川の土手の河津桜並木のカワズザクラ満開の時期であるので、河津桜まつりに訪れた観光客がツアー添乗員の旗とともにどやどやとお参りしたりして、境内もそれなりに賑わっているのであるが、これが、河津桜まつりが終わったあとは、うちの近所の神社のようにだーれも来なくなるのかもしれないのである。

そんなこんなで神社本殿拝殿の前に立ち、二礼二拍一礼すれば、あなたもあたしも気道は満杯、活力満点で浮世の荒波を乗り越えて人生をこれでもかとお楽しみいただけること必定であるが、それには身体を開いてその波動を魂の芯で受け止めねばならないのである。

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2014年2月26日水曜日

御霊神社(鎌倉市)



鎌倉極楽寺からの道行で御霊神社の看板を見て、おんりょうじんじゃと読むのかと道々思っていたのであるが、おんりょうでは陰陽師を呼ばなくては行けないので、ううむ、これはちがうなと気がついたのである。

人間は記憶による思い込みで個々の世界が構築されているので、まあ、言ってみれば人生すべてが勘違いみたいなもんであるのである。

つーことで、御霊神社(ごりょうじんじゃ)は神奈川県鎌倉市にある神社で旧社格は村社であるのである。

村社とは旧制度の社格の中で、郷社(ごうしゃ)の下、無格社の上てな社格であるのである。

多くは村の鎮守の社などが列格され、社掌(しゃしょう)が置かれていたつーよーなことである。

社掌は同様に旧制度においての神職の職名で、府県社・郷社で社司の下に属し、村社・無格社では祭祀(さいし)をつかさどり、庶務を管理したのである。

まあ、てなことで、旧制度においては、下から2番めてな格の神社であるわけであるが、鎌倉という一大観光地ということもあってか、正月元旦の初詣は大賑わいであるのである。

鎌倉市にはこの名前をもつ神社が2か所あるつーよーなことであるが、この御霊神社は鎌倉市坂ノ下にある、鎌倉権五郎神社(かまくらごんごろうじんじゃ)として知られている神社であるのである。

主祭神は鎌倉権五郎景政であるのである。

鎌倉景政(かまくらかげまさ/平 景政・たいらのかげまさ)は、平安時代後期の武将で、父は桓武平氏の流れをくむ平景成とするつーことであるが、平景通の子とする説もあり、通称は権五郎で、名は景正とも書くのであるのである。

ごんごろうであってげんごろうではないので、あたしのよーに何事も勘違いする向きはお気をつけ遊ばさなくてはならないのであるが、もちろん蛇足であるのである。

そうは言っても、「けづめ」てなことで足が残っている種類(ニシキヘビやボアの仲間)の蛇もいるので、この表現は必ずしも正しい訳ではないんのであるが、どーでもいいのはゆーまでもないことであるのである。

もうゆめろ?

ハイハイ。

御霊神社の正確な創建は不明であるが、この神社は鎌倉幕府開府よりも90年以上も前に鎌倉にあった平氏五家の祖を祀る神社とし五霊神社と呼ばれていた神社であったのが、いつしか、五家のうちの一家である鎌倉権五郎景政公だけを祀るようになり御霊神社となったつーことである。


拝殿右横にある収蔵庫では、入り口の前の料金徴収箱に100円の拝観料を奉納して、面掛行列のお面を見ることができるのであるので、もちろんあたしも大枚100円を奉納奉天してご覧になったのである。

景政公の命日とされる9月18日の例大祭にはそのお面をかぶった氏子さん達による「面掛行列」が行われ、県の無形文化財に指定されているのである。

総勢10人で前の8人が爺、鬼、異形、鼻長、烏天狗、翁、火吹男、福禄寿の面をつけ、その後に黒紋付の裾模様におかめの面をつけた産婆が続くつーことであるが、この日は正月元旦であったので、そんなことはまったくやってないのはゆーまでもないことであるのである。

また同日行われる鎌倉神楽は市指定文化財でもあるのであるつーよーな、実に歴史的有所も含めて、なかなか、香ばしい神社であるのである。

それで、まあ、この動画は正月元旦の初詣のときのロケであるので、雰囲気も目出度く、今後の黎明を感じさせるさわやかな波動が押し寄せてくるわけであるが、それを受けることができたものは幸いであるのである。

祓い給へ清め給へ守り給へ幸はへ給へ。

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2014年2月23日日曜日

虚空蔵堂(鎌倉市)



虚空蔵堂は本来の名を「明鏡山円満院星井寺」といい、極楽寺切通(極楽寺坂)の入口にあるのである。

虚空蔵堂は奈良時代の高僧である行基が彫った虚空蔵菩薩が祀られている御堂といわれ、その霊跡であるつーことであるのである。

聖武天皇の時代、行基が全国行脚の途中で、頭脳聡明、記憶力アップに絶大なる効果があるてな虚空蔵求聞持法を修して、虚空蔵菩薩真言を「のーぼーあきゃしゃぎゃらばやおんありきゃまりぼりそわかあああああああっ」と百萬遍お唱えしてたら、井戸の中に三つの明星が光り輝き、夜も付近を照らしたと騒ぎたて、この現象が七夜も続いたと言い張って、村人の力を借りて、井戸水を汲み出してみると黒く輝く石があったそーであるが、行基は「虚空蔵菩薩が石になって降りてこられた」との考えが浮かんだと主張したのである。

まあ、なにしろ、時の高僧がそんなことを言って騒いでいるので、科学も何もない時代のことであるので、近隣を騒然とさせ、そのことは、都の聖武天皇の耳にも入り、行基に虚空蔵菩薩の像を彫って祀るように命じたつーことであるのである。

まあ、考えが浮かんだのであるので、いってみれば思い込みであるので、脳の錯覚と言ってしまえばそれまでであるが、この時代に脳科学もへったくれもないのであるから、いたしかたのないことで、なにしろ当時の知識人でもあるえらいぼーさんであるから、そら、思いつきでも錯覚でも妄想でも幻覚でもホラでも影響力は大きくて、現在までこの虚空蔵堂は貴重な歴史的資料ということも含めて、世話人護持会他あまたの熱心な地域の信仰者により存続保存されているわけである。

しゅーきょーに関わる奇跡てなものはだいたいが、脳の錯覚、あるいは幻覚、あるいは妄想、あるいはホラ、あるいはプラシーボ効果てなもであるのであるが、まあ、そーいっちゃ身も蓋もないので、これをロマンと捉えて、この世浮世を楽しむのが人生のコツ極意お楽しみであるのであるのである。

ううむ、大霊能者による神のお告げとお告げと称して信仰を集めるべくネット教団象気功を展開する象師匠としては、実に矛盾偏屈変竹林珍竹林な解説であるが、そこはそれ、お笑い教団としての御役目もあるので、なんでも笑ろとけ笑ろとけであるのである。

まあ、とにもかくにも、虚空蔵求聞持法をこれでもかと修し、虚空蔵菩薩真言を百万遍二百万編唱えて、記憶力アップにつとめて、とーだいきょーだい、さらには、はーばーどいえーるけんぶりっじを目指していただきたいが、そんな暇があったらお勉強したほうが、その方面にご使用になる脳神経細胞が活性化するのであるのはゆーまでもないことであるのである。

つーよーな由緒正しい由来を持つ虚空蔵堂であるので、もちろんあたしは心の中で疾風怒濤の素早さで虚空蔵菩薩真言を百万遍お唱えしたのである。

効果があるかないかは、このみごとな魅惑の文体で展開する文章を読めば歴然であるが、ぜんぜん効果がないじゃんと言われれば、返す言葉がないのである。

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2014年2月21日金曜日

常栄寺 ~ぼたもち寺~(鎌倉市)



常栄寺(じょうえいじ)は神奈川県鎌倉市にある日蓮宗の寺院であるのである。

山号は慧雲山(えうんざん)で、「ぼたもち寺」てな通称で知られるつーことであるのである。

常栄寺は妙本寺の右手を数分歩いた路地沿いにあるのであって、これが実に楚々としている小さなお寺であるのであるが、入り口の山門を見ると思いっきり「ぼたもち寺」と書いてあるので、「なんなのかねこれは?」つーことで、カメラを回したのである。

日蓮さんは法華経を唯一の経典とし、まあ、当時は今で言う新興宗教であるので、それを広めるため、1271年頃、辻説法と称して他の宗派の批判批評てなことを言いまくってたら、当たり前であるがあちこちから反感を買ってあれこれ迫害を受けていたわけである。

そんなこんなで、しまいには敵対宗派の讒言箴言により役人にとっつかまって神奈川県藤沢市片瀬南東部にある腰越の龍ノ口の刑場に連れて行かれるつー龍の口の法難てな事件の際、常栄寺のある場所に当時住んでいた桟敷(さじき)の尼と呼ばれる媼(おうな・老女)が、胡麻の餅を捧げたことから「ぼたもち寺」いう呼び名で親しまれているつーことであるのである。

それで、その法難の際に日蓮さんの首を跳ねようとしたらば、嵐が起こり、閃光とともに刀が折れたてな嘘だかホントだかわからん種々の奇跡により日蓮が処刑を免れたつーよーな言い伝えから、その奇跡はぼたもちのせいだねきっとつーことで「御首継ぎに胡麻の餅」といわれる由来となったてなことであるが、まあ、この種の話は尾ひれに尾ひれがつくので、何が真実かはともかくとして、まあ、そーゆーことであるのである。

この桟敷の尼と呼ばれる老女は、将軍宗尊親王の近臣、印東次郎左衛門尉祐信の妻で、夫婦とも日蓮さんに帰依入道していたそーであるが、桟敷の尼は88歳の長寿を全うし、法名を妙常日栄といい、常栄寺の名の由来となったつーことである。

夫婦の墓はいまでも境内にあり桟敷大明神として勧請され、桟敷の尼がぼたもちをささげた際に使用されたといわれる木鉢がいまも常栄寺に保管されているつーよーな大変由緒のあるお寺さんであるのである。

寺の創建は1606年で、開基は日祐法尼、開山は日詔上人で、本尊は三宝祖師であるのである。

三宝とは仏( 釈迦如来)、法(法華経)、僧(日蓮上人)であり、それをひとつの本尊としたものが三宝祖師つーのであるつーことであるが、ふーん、なるほどね、なんて不遜なことを言ってると仏罰が当たることは必定であるので、ありがたいありがたいと三顧の礼を持って帰依するのが正しい対処のしかたであるのはゆーまでもないことであるのである。

ううう、三顧の礼ではお釈迦さんも日蓮さんもあたしより格下になってしまう。

これではどこかのホラ吹き教祖と同じではありませんか。

まあ、どこの教祖かは事細かに申し上げられませんが、おの付く大法螺吹きであるのはゆーまでもないことであるのであるよあーたこれがはははだめだなこれは。

ううむ、文章がどんどんいいかげんになって、能無しの書いた文章のようになってるのである。

しまった、あたしも能無しだった。

オチが着いたところで、現在でもその法難のあったとされる9月12日に御法難会(ごほうなんえ)が行われ、常栄寺より片瀬龍口寺の祖師像に胡麻の餅が供えられ、常栄寺では当日、参拝者には緑茶と厄除けのぼたもちが振る舞われるつーことであるのである。

はてさて、この日は正月元旦であったので、緑茶もぼたもちも振る舞われなかったのであるが、まあ、本堂の前あたりで、霊がけけけと笑ったことは気にしないで、かの大法力の持ち主とほまれも高い日蓮さんを助けるぐらいの霊力をい持つぼたもちの霊験の波動をあなたの霊能アンテナでこよなく受けて、あなたの法難災難厄難を除けて頂きたい。

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