2014年10月16日木曜日

諏訪神社(香取市佐原)



この諏訪神社(すわじんじゃ)は、千葉県香取市佐原新宿にある神社で、佐原の大祭秋祭りで知られるのである。

祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)で、天正年間に信濃国諏訪大社から勧請され分霊として鎮座しているのである。

現在の社殿は嘉永6年(1853年)に造営されたという実に由緒も歴史もあるご立派な神社であるのである。

まあ、これ、秋の佐原の大祭のロケのために来たついでに寄ったみたないことになってるのであるが、この諏訪大社に参拝することが本筋であるのはもちろんであるのである。

それでも、神社には大祭観光の皆さんがそれなりに訪れていて、祭りの賑わいがそこかしこに感じられ、ああ、明日から大型台風やってくるというのに、こんな晴天に恵まれて、なんてあたしは運気がよろしいのかと感心することうううなんだそのほれあれだオチがでないのである。

それでまあ、とにもかくにも、佐原駅から途中で酒屋さんの試飲のお神酒を頂いたりしながら歩いて10分ぐらいで鳥居にたどり着いて、さて、お楽しみの神社の石段についたのであるが、石段の上を見上げると果てしない石段が続いていて、なんでこんなに石段を石段したんだと石段に恨みつらみをぶつけたくなるぐらいの急峻な高さであるのである。

まあ、そうはいっても神社参拝の石段登りは神道修行の基本であるので、ありがたいありがたいとカメラを回しながら登り始めたら、三段構えの127段であるので、これがけっこうハードな石段で、思った以上の急坂であるのである。

途中からお神酒の威力も含めて息が切れてきて、しかし、ハアハアと息切れの音が入ったのでは気功太極拳意拳合気道空手柔道で鍛えた筋肉自慢のあたしの名折れになるので、息をできるだけしないよう登ったら、酸欠で目が回ってきて、それでも強引にがまんがまんと登り切ったて、息を止めてご参拝申し上げて、カメラを止めて、脇にある参拝休憩所の長椅子に倒れこんだのである。

神社の階段を登る時は息を止めるとえらいことになるので、良い子の皆さんはけっして真似をしないようにご注意を申し上げる次第であるのであるが、そんなアホなことをする人がいるとは思えないので蛇足馬足豚足であるのである。

スピリチュアル   精神世界

2014年10月7日火曜日

高尾山薬王院・本堂・本社(権現堂)・仏舎利奉安塔



高尾山薬王院本堂である。

高尾山薬王院有喜寺(たかおさんやくおういんゆうきじ)は、東京都八王子市高尾町2177の高尾山にある寺院で、真言宗智山派の関東三大本山のひとつであるのである。

薬王院本堂に至るまでの参道の男坂百八段の石段は結構な急峻で、おねーさんが途中でへばって動けなくなってるのである。

もちろんあたしは健脚が売りの修験道行者であるので、とんとんとんと男坂百八段の石段を爆走して楽勝でご来院遊ばしたのである。

誰が修験道行者だ。

ちゃんちゃん。

ううう、つまらん、死にそうだ。

本堂には開山本尊・薬師如来と中興本尊・飯縄権現が祀られているのである。

現在の堂宇は1901年(明治34年)に建立されたもので、彩色は施されていないが、彫刻で装飾され入母屋造で堂内には護摩壇があるつーことであるが、動画でごらんの通りであるのであるのである。

ううむ、つらつらと脳裏を鑑みるに、こんな一口知識を羅列してもだーれも読んでるとは思えんが、まあ、もしかしたら物好きもいるかもしれないので、書いておくのである。



続いて、本社(権現堂)である。

本社前の石段も百段あるのである。

動画ではそれを一気に登ってるわけであるが、脚力自慢のあたしを持ってしても、この速度で登ると脚に来るのである。

神社のご利益は石段また石段というところでもあるのである。

これを毎日登ってお参りすれば、いやがおうでもご健康は成就なされるのである。

薬王院の中心となる本社で、権現堂だけに本尊として飯縄権現を祀る神社であるので、社殿の前には鳥居があるのである。

寺院の中にある神社という形態は神仏分離以前の神社の姿の一つの典型例といえるわけであるが、他にはあたしの守り神である豊川稲荷が有名であるのである。

現在の社殿は1729年(享保14年)に本殿が建立され、1753年(宝暦3年)に幣殿と拝殿が建立され、のちの1805年(文化2年)・1965年(昭和40年)・1998年(平成10年)に大改修を行なっているつーことであるよあーたこれがだからなんだなんて言わないでね。

本社は入母屋造の本殿と拝殿を幣殿で繋いだ、いわゆる権現造で、江戸時代後期の代表的な神社建築であるのである。

1952年(昭和27年)に東京都指定有形文化財に指定されたのであるのである。

またまた一口知識のご開陳であるが、尺を埋めてるだけなんてことを思ったりすると飯縄権現様の祟りでろくなことにならんのはゆーまでもないことであるのである。



続いて、仏舎利奉安塔である。

仏舎利(ぶっしゃり)とは、入滅した釈迦が荼毘に付された際の遺骨及び棺、荼毘祭壇の灰塵を指し、「舎利」は遺骨または遺体を意味する梵語シャリーラ(śarīra)の音写であるのであるが、この「梵語」というのがサンスクリットなのかパーリ語なのかは調べるのがめんどくさいので定かではないので、お好きな方は心ゆくまでお調べになってお楽しみ頂きたいのであるが、あたし的にはどーでもいいのであるのはゆーまでもないことであるのである。

この塔はあたしの故郷タイ王国から寄贈された仏舎利を祀り、仏舎利塔の前に飯綱大権現の像が建っているのである。

誰がタイ人だ。

ちゃんちゃん。

だからちゃんちゃんはやめなさい。

使い回しもやめろ。

スピリチュアル   精神世界

2014年10月1日水曜日

龍泉寺(精進湖)



龍泉寺は山梨県甲府市上曽根町にある曹洞宗の寺院であるのである。

当寺院の本堂と庫裏は河口湖町指定有形文化財であるのである。

江戸時代初期に馬山託存によって開かれたつーことであるので、実に由緒歴史のある立派なお寺さんであるわけであるが、お布施が少ないのか、周囲は手入れが行き届いていない感じであるのである。

伝承によると開かれたのは江戸時代初期であるが、その後34回に渡って移転して、江戸時代の中期の宝永年間(1751年~1765年)の大火で消失し、現在の本堂と庫裏はそのご再建されたものであるつーことである。

仏道(本堂)には木造龍泉寺開山像と龍泉寺伝聖観音菩薩坐像が安置されているつーことであるが、本堂の扉は閉まってるので、見ることはできないのである。

境内墓地には精進湖を世界中にご紹介あそばして、富士山麓観光開発の祖となった英国人のハリー・ウイリアム・ホイットウォーズ(帰化後の日本名・星野芳春)の墓があるつーことであるが、めんどくさいので見に行かなかったのである。

龍泉寺は富士五湖のひとつの精進湖畔の国道139号線から細い枝道を5分ほど歩くと、国指定天然記念物の精進の大杉で有名な精進諏訪神社と並んであるのである。

まあ、なんだ、これって意味があるのかどーなのかわからんが、まあ、町の小さなパワースポットを開発するという立派な志があるわけであるが、誰も期待していないのかもしれないのである。

それで、龍泉寺はとても観光客が入ってくるとは思えないような、いってみれば路地の奥にあるのであるが、隣の精進諏訪神社と並んであるので、あたしが行った時にもツアーのおじさんおばさんがどやどやと添乗員に連れられてついでにお参りしているのである。

まあ、一日にどのくらい観光客が来るのかはわからんが、精進湖畔からの参道には店もないので、賑わいはまったくないのである。

おそらく土日休日にはもっと観光客がそれなりに訪れるのかもしれんが、あたしは土日休日はできるだけ車での遠出は避けるので、想像の域を出ることはないのはもちろんである。

スピリチュアル   精神世界

2014年9月26日金曜日

精進諏訪神社



精進湖畔から5分ほど歩くと、諏訪神社があるのである。

この諏訪神社の天井には百人一首が描かれているつーことであるが、入り口が開いてないので、ご鑑賞することはできなかったのである。

諏訪神社は長野県の諏訪湖近くの諏訪大社を総本社とし、いわゆるその分社は全国に約25,000社あり、この精進湖の諏訪神社もそのひとつであるわけである。

また、諏訪神社を中心とする神道の信仰を諏訪信仰(すわしんこう)と言い、諏訪大社の祭神は諏訪大明神ともいわれる建御名方神とその妃・八坂刀売神であるのである。

他の諏訪神社もこの2神を主祭神とするほか、「諏訪大神」と総称することもあり、諏訪大社より祭神を勧請する際には薙鎌(なぎがま、ないかま)に神霊が移され、各神社ではこれを神体としているつーことであるので、もちろんこの精進湖の諏訪神社も同様に鎌を御神体としているわけである。

薙鎌は、長さ七尺程度(約210cm)の円柱の木棒を柄とし、刃を手前にした短い直刀を柄の先端に直角に付けた武器で、薙ぐ、突く、切る、刃を引っ掛けて相手を倒したり、お首をバッサリするなどしてご使用になるつーことであるが、要するにでかい鎌であるのである。

流派により長柄鎌、八重鎌とも呼ばれるそうであるが、これ以上深く突っ込んでも差し障りばかりでてきそうなので、これ以上マニアックに知りたい向きは、ネットで薙鎌と検索して画像などでお確かめいただいて、「へー」と感心していただきたい。


この諏訪神社の参道入り口の左側にある大杉は天然記念物であるので、一応写真に収めたのであるが、諏訪神社よりもこの大杉の方が有名であるのである。

通称「精進の大杉」と呼ばれるツーことであるが、別名「千年杉」てなよくある呼び名もあるのである。

高さは45m、根回り13.6mであるつーことであるが、あたしが測ったわけではないのはもちろんであるのである。

まあ、いわゆる御神木であるので、霊能紀行作家としての御役目上、滞り無く二礼二拍一礼して、な~む~と拝んだのであるが、神社でな~む~は完全に間違えているのである。


拝殿の隣にも大杉があるのであるが、こちらは御神木てもなく天然記念物ではないので、な~む~はしなかったのである。

だからな~む~は違うったら。

スピリチュアル   精神世界

2014年9月24日水曜日

富士御室浅間神社



富士御室浅間神社本殿である。

冨士御室浅間神社(ふじおむろせんげんじんじゃ)は、山梨県南都留郡富士河口湖町にある富士山最古といわれる神社で、全国にある浅間神社の一社である。

祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)であ、旧称小室浅間明神である。

旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社である。

いつもながら別表神社がなんのことかわからんのであるが、お暇な人はお調べ頂いて、「なーるほど!そーだったのか!」と感動して感涙していただきたいと思うが、感涙するほどでないかもしれないということをあらかじめお知らせしてご挨拶に代えさせていただくのである。

もちろん尺稼ぎの与太話であるが、それもこれもこの世の習いで人生の悲哀をことごとく感じるよしなしごとと思召しいただいて、ううう、ごめんよごめんよ、こんなあたしで申し訳ない。

まあ、それで、境内は本宮と里宮からなり、本宮である山宮は富士山吉田口登山道の二合目に鎮座し、この山宮の境内は富士吉田市の中にある富士河口湖町勝山の飛び地であるのである。

富士山山中に最初に勧請された神社とされ、里宮は河口湖畔の勝山に鎮座するのである。

「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録され、本殿は国指定重要文化財でもあるのである。

現在の本殿は、慶長17年(1612年)に徳川家の家臣の鳥居成次によって建てられたものであるが、その後4回の大改修を経て、昭和48年(1973年)に富士山二合目から里宮に移築されたのであるのである。

まあ、これ、下部温泉に物見遊山に行く途中の通りがかりに、「おお、神社がある、これはひとつお参りして本日の霊気の糧としようではないか」つーことで、てきとーにご見学なさったのであるが、意外や意外の立派な経歴履歴由緒の神社で「あーら、びっくりね」つーぐらいの国指定重要文化財であるのである。

由緒があるだけに、本殿の前には牛さんもおられるのである。


神使の撫牛つーことであるので、充分になでなでしたのである。



冨士御室浅間神社の里宮である。

958年(天徳2年)村上天皇が、崇敬者の礼拝儀祭の便を図るため、河口湖畔の当地へ建立し、現在の建物は、明治22年に再建したものである。

この里宮の方にお守り売り場なんかがあり、なんかわけのわからん像があったりして、こちらが本殿かと思う作りであるので、参拝者も皆さんがこちらにお参りしてるのである。


この意味不明な像はいったいなんなんだかわからんが、ありがたいご利益があるかもしれないので、もちろん一応拝んどくのである、なむなむ。


これは百福の龍宝珠てなことであるので、なにしろ百も福が来るかもしれないので、充分に拝んでおくのである、なむなむ。

しまいに誰かに叱られるのである。

まあ、とにもかくにも、いろいろあれこれ参拝できて、文武天皇3年(699年)に藤原義忠によって創建という開闢以来1300年有余の参拝者の思いの霊気神気を受け、あたしの氣もそぞろ高まり、これで今後の人生は至る処に青山ありになること必定であるのである。

何を行ってるのか自分でもわからんのである。

スピリチュアル   精神世界