霊能気功家象師匠が日本中の霊氣神氣を集めるべく占術を駆使して造られた空間を霊視で巡るスピリチュアル巡礼ツアーである。宇宙の創造主の神意を賜り、魂の浄化を体現し、その清浄な氣によって運命運勢運気を上昇に導くのである。
2014年9月21日日曜日
下部温泉の熊野神社
山梨県の下部川沿いにある下部温泉にある熊野神社である。
温泉街の中心である源泉館の横の鳥居をくぐると参道という名の路地があるのである。
路地は温泉旅館の倉庫も兼ねているらしく、棚にダンボールも積んであって、いろいろと情緒満載であるの。
その路地をしばらく行くと、階段になりさらに鳥居があるのである。
まあ、神社に階段は付き物であるのであるが、これが、意外や意外の急な階段がつづら折りで行けども行けども続くのである。
とにかくロケであるので、カメラマン兼ディレクターとしての使命感から途中で止まるわけにも行かないので、同じスピードで登り続けなければならないので、これが、登り始めてみると、けっこうなあらいやんであるのである。
まあ、そこはそれ、日頃から運動運動また運動という、運動マニアとしての脚力体力心肺機能のおかげで、楽勝である。
それでも、ようやく神社境内にたどり着いたときは、「ああ、しんど」と思ったわけであるから、これを読んで、おいらもひとついってみようなんて軽い気持ちで登り始めると、肥満でさらに脚力が衰えてる人は、翌日になって筋肉痛でえらい目に合うので、トレーニングを積んでから挑戦していただきたいといらぬお世話を喚起する次第である。
この神社は、昔、温泉の効能でいらなくなった松葉杖などを奉納したというのであるが、ケガが治っても、リハビリを充分にしないと這って登らないといけないのである。
まあ、それだけ元気になったという感謝をこめて、この無慈悲な高さの階段を登ってお礼参りをしたということであると思うが、人一倍体力のあるあたしが大変であるのであるから、いくら効き目のある温泉で療養しても、これをいきなり登るのはどーかと思うねあたしゃ。
まあ、とにかく温泉療養と併用して毎日登れば、健康になること請け合いであるので、この神社のご利益は計り知れないものがあるのであるが、ボクサーか野球選手のトレーニング以外にはそんな酔狂なことをする人がいるとも思えないので、境内のお掃除をする人もいないらしいてな感じである。
境内には能舞台なんかもあって、かつての好況時代の下部温泉の賑いの一端が見えてくるのであるが、現在の窮地が見えてくるのも寂しい限りであるのである。
つまり、神を思う時間も余裕もない状況であるわけである。
神を祭り、先祖を供養するというのは余裕を表すことでもあるのである。
しかし、史上最大最強の霊能者である大神の使いの象師匠が参拝したからには、この神社も生まれ変わることは必定であるので、霊気神気が燦々と降り注ぐこと請け合いである。
ホントかよ。
スピリチュアル 精神世界
2014年5月30日金曜日
浅草神社
浅草神社(あさくさ じんじゃ)は、東京都台東区浅草の浅草寺本堂右隣にある神社で、通称に三社権現(さんじゃ ごんげん)、三社さまと呼ばれるているのである。
土師真中知(はじのあたいなかとも)、檜前浜成(ひのくまはまなり)・武成(たけなり)を主祭神とし、東照宮(徳川家康)・大国主命を合祀し、この三柱の霊をもって「三社権現」と称されるようになったのであるのである。
漁師である檜前浜成・武成の兄弟と僧侶である土師真中知を主祭神とするため江戸一格の低い神社と言われつーことであるのであるが、漁師がいなければお魚を食うことができないし、僧侶がいなければそーしきも出せないのであるから、三柱の主祭神には誠に持って失礼な話であるのである。
人にはそれぞれ御役目があって生まれてくるのであるから、格の低いも高いもないのである。
大人気の浅草寺の由来もに檜前兄弟が漁の際に観音像を見つけ、土師真知がそれを祭ったことによるものであるのであるから、この三者をエライとする浅草神社はエライのであるつーことろあたしは敢えて力説するわけである。
あたしは浅草神社の見方であるのである。
何を行ってるのかいまひとつ自分でも判然としないのであるが、社殿は浅草寺の本堂のすぐ隣りの東側にあり、現存の社殿は徳川家光の寄進で慶安2年(1649年)に完成したもので、昭和36年に拝殿・幣殿・本殿が国の重要文化財に指定されているのである。
5月17日の例大祭は有名な三社祭(さんじゃまつり)であるのである。
この浅草神社は、浅草寺の正面向かってすぐ右隣りに鎮座しておられるのである。
参拝したこの日は休日ということもあって、浅草寺はあちこちの国からはるばるお越しの外国人観光客も含めた参拝客でごった返しの大賑わいであったのであるが、その参拝客は浅草神社にはあまり流れてこなくて、閑寂として、別世界のようであるのである。
雷門から浅草寺までの仲見世と本堂に参拝客が押し寄せて、その後は、付近の商店街に抜けてしまう感じで、直ぐとなりに並列しているにも関らす浅草神社に訪れる人はほとんどいないのである。
どうも浅草といえば雷門、仲見世、浅草寺というのがイメージで、昨今は、一昔前には劇場が立ち並び大賑わいだった六区も含めて、その他の地区には観光客が流れないのである。
本殿の右横には三社祭に担がれる神輿が展示してある神輿庫があるのであるが、3月の示現会と5月の三社祭の時期に扉が開かれ神輿を見ることができるのである。
この日はちょうど示現会の時期であったので、神輿庫は開かれていて、あたしはよーく神輿をご覧遊ばしたのであるが、残念ながら動画を撮り忘れてしまったのでUpはなしであるので、なんのこっちゃであるのである。
まあ、とにもかくにも、浅草寺草創由来の三者を神として祭った浅草神社の拝殿の前に立ち、じっくりとその波動を受け、あなたの明日の英気を養っていただきたい。
ああ、ありがたいありがたい。
スピリチュアル 精神世界
2014年3月29日土曜日
浅草寺
浅草の浅草寺(せんそうじ)である。
大混雑であるが、別にこれは正月元旦の初詣ではないのである。
3月21日の春分の日であるので、まあ、休日ではあるのであるが、ごらんの通りのとんでもない人出で、最近あちこちの国でマナー最悪と話題のちゅーごくじん観光客の皆さんを中心に世界各国諸外国の人も入り乱れて、大混雑であるのである。
仲見世大通りなんかは、ごった返して、歩くのも困難な状況であるが、まあ、なんだね、やっぱり日本一の観光地かね。
そのごった返した中でも、皆さん楽しげに店頭に並んで煎餅だの人形焼だのを買ってお楽しみであるのである。
あたしはもちろん並ぶのがだいっきらいなので、並んでなんかやらないのであるが、仲見世を抜けた先にテキ屋さんのたこ焼きの露店があったので、露店マニアのあたしはすぐにたこ焼きを買って食ったらタコもでかくて美味かったのである。
なんでかしらん、テキ屋さんのたこ焼きは大変美味いのである。
しかし、これは象さんのご飯ではないので、たこ焼きの写真はないのである。
浅草寺は、東京都台東区浅草二丁目にある東京都内最古の寺で、山号は金龍山であるのである。
なにしろ最古であるので、そらもう、すごいのである。
本尊は聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)であり、元は天台宗に属していたつーことであるが第二次世界大戦後独立し、現在は聖観音宗の総本山となっているつーことであるのである。
有名な浅草寺の創建草創の由来故事は、推古天皇36年(628年)ごろに、宮戸川(現・隅田川)で漁をしていた檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(たけなり)てな兄弟の網に小さな仏像がかかり、。この像を拝した兄弟の主人・土師中知(はじのなかとも)あるいは土師真中知(はじのまなかち)てなどちらかのお名前のややこしいお方が出家し、自宅を寺に改めて供養したつーことである。
この網にかかった小さな仏像が浅草寺本尊の聖観音(しょうかんのん)像であり、浅草寺の始まりつーことであるのである。
観音像は高さ1寸8分(約5.5センチ)の金色の像と伝わるが、絶対的秘仏とされ、33年に一度のご開帳の際もモノホンではなくレプリカであるため、その存在さえあるんだかないんだか、その実体は一般には明らかでないつーことであるのである。
まあ、ご本尊があってもなくても、この怒涛の人並みにもまれて、本堂にて参拝すれば群衆の発する波動振動に周囲の霊気神気はさらに増幅されて、あたしの尾骨仙骨にどどんと振動爆裂するのである。
この尾骨仙骨がむずむずぷるぷるぶるぶる振動を始めて、どかんと開いてあらいやんが小周天の極意であり、クンダリニー・ヨーガの極意であるのである。
さて、尾骨仙骨を振動させるには、なにはともあれ、あなたの素直な心根を浅草寺本堂から発する波動に向けて、あなたの精神がその振動に共鳴することが必要であるのであるが、爆裂したからといって超人にもならんし神にもならんしお亡くなりになったりもしないのである。
激烈怒涛に気が出て、出すぎて具合が悪くなって、同じ部屋に居る人もその気にあたって具合が悪くなったりして、収まるとただの人に戻るのである。
がっかりね。
ホントのこと言っちゃだめだろ。
どーすんだこれ。
スピリチュアル 精神世界
2014年3月3日月曜日
杉桙別命神社(すぎほこわけのみことじんじゃ)
河津町観光案内図に来宮神社(きのみやじんじゃ)と書いてあるし、道案内の立看にも来宮神社と書いてあるので、あたしゃすっかり来宮神社かと思っていたのであるが、それは通称で杉桙別命神社(すぎほこわけのみことじんじゃ)が正式名であるつーことであるのである。
杉桙別命神社(すぎほこわけのみことじんじゃ)は、静岡県賀茂郡河津町にある神社で、式内社で、近代社格制度では郷社であるつーことであるのである。
近代社格制度つーのは明治維新後に、延喜式による社格にならって新たに作られた社格制度であるが、第二次世界大戦後にGHQによる神道指令によって廃止された制度であるので、意味があるのかないのかはあなた次第であるのである。
古くは「桙別明神」、「木野(大)明神」、「来宮(大)明神」、「木野神社」、「木之神社」、「鬼崎(きのさき)明神」などと呼ばれており、現在でも「河津来宮神社」と俗称され、「来宮」の古社名や後述する「鳥精進酒精進」を伝承することから、キノミヤ信仰を有する神社とされているのであるつーことであるのであるあるあるううういかん神のタタリでどこか壊れたってなんでもかもかんでも笑いを取らんと気がすまんのかい。
主祭神は杉桙別命(すぎほこわけのみこと)で、さらに五十猛命(イソタケルノミコト)と少彦名命(スクナビコナ)を相殿に祀るのであるが、延喜式神名帳では1座となっているので、本来は杉桙別命1柱を祀るものであったと思われるのであるのである。
拝殿左にある楠(くすのき)は(樹高約24m、幹周14mの楠)は昭和初期(20世紀前葉)時点で樹齢1,000年以上と推定され、昭和11年(1936年)に国の天然記念物に指定されたのである。
古くより来宮様の大クスと呼ばれ、神木として崇められてきたつーことであるが、かつて河津には7本の大楠があり、明治時代中頃まで河津郷七抱七楠(ななかかえななくす)と呼ばれていたが、現存しているのはこの1本だけであるのである。
また、参道入口付近と、拝殿右前にも楠の大木があるのであるが、それは天然記念物に指定されていないのであるのである。
なお、伊豆半島北部にある熱海市の来宮神社にも、阿豆佐和気神社の大クスという有名な天然記念物に指定された楠の大木があり、似た名称で呼ばれるため混同しやすいのであるが違うのであるつーことであるのである。。
境内には山神社と秋葉山神社の拝殿があるので、あたしはもちろんご参拝申し上げて、どちらも山が付くので、ざっくりと登山の際にご利益があるに違いないつーことで登山の安全を祈願したのはゆーまでもないことであるが、あたしは登山の趣味はないので無意味かもしれないのであるがなんでもお願いしておけば神様だって悪い気はしないのである。
また、式内社の佐々原比咩命(さわらひめのみこと)神社に比定される姫宮神社を合祀所管するのであるが、それは同敷地内にはなく、河津駅とこの杉桙別命神社の中間あたりに鎮座しているつーことであるが、河津町観光案内図にも明記されてないし、今回は仕事がご多忙で日帰り旅行てなことで時間の都合上探してるお時間もないので、主祭神である笹原姫命ちゃんには大変失礼ながら参拝なされなかったのである。
まあ、いずれにしても、杉桙別命神社には、河津川の土手の河津桜並木のカワズザクラ満開の時期であるので、河津桜まつりに訪れた観光客がツアー添乗員の旗とともにどやどやとお参りしたりして、境内もそれなりに賑わっているのであるが、これが、河津桜まつりが終わったあとは、うちの近所の神社のようにだーれも来なくなるのかもしれないのである。
そんなこんなで神社本殿拝殿の前に立ち、二礼二拍一礼すれば、あなたもあたしも気道は満杯、活力満点で浮世の荒波を乗り越えて人生をこれでもかとお楽しみいただけること必定であるが、それには身体を開いてその波動を魂の芯で受け止めねばならないのである。
スピリチュアル 精神世界
2014年2月26日水曜日
御霊神社(鎌倉市)
鎌倉極楽寺からの道行で御霊神社の看板を見て、おんりょうじんじゃと読むのかと道々思っていたのであるが、おんりょうでは陰陽師を呼ばなくては行けないので、ううむ、これはちがうなと気がついたのである。
人間は記憶による思い込みで個々の世界が構築されているので、まあ、言ってみれば人生すべてが勘違いみたいなもんであるのである。
つーことで、御霊神社(ごりょうじんじゃ)は神奈川県鎌倉市にある神社で旧社格は村社であるのである。
村社とは旧制度の社格の中で、郷社(ごうしゃ)の下、無格社の上てな社格であるのである。
多くは村の鎮守の社などが列格され、社掌(しゃしょう)が置かれていたつーよーなことである。
社掌は同様に旧制度においての神職の職名で、府県社・郷社で社司の下に属し、村社・無格社では祭祀(さいし)をつかさどり、庶務を管理したのである。
まあ、てなことで、旧制度においては、下から2番めてな格の神社であるわけであるが、鎌倉という一大観光地ということもあってか、正月元旦の初詣は大賑わいであるのである。
鎌倉市にはこの名前をもつ神社が2か所あるつーよーなことであるが、この御霊神社は鎌倉市坂ノ下にある、鎌倉権五郎神社(かまくらごんごろうじんじゃ)として知られている神社であるのである。
主祭神は鎌倉権五郎景政であるのである。
鎌倉景政(かまくらかげまさ/平 景政・たいらのかげまさ)は、平安時代後期の武将で、父は桓武平氏の流れをくむ平景成とするつーことであるが、平景通の子とする説もあり、通称は権五郎で、名は景正とも書くのであるのである。
ごんごろうであってげんごろうではないので、あたしのよーに何事も勘違いする向きはお気をつけ遊ばさなくてはならないのであるが、もちろん蛇足であるのである。
そうは言っても、「けづめ」てなことで足が残っている種類(ニシキヘビやボアの仲間)の蛇もいるので、この表現は必ずしも正しい訳ではないんのであるが、どーでもいいのはゆーまでもないことであるのである。
もうゆめろ?
ハイハイ。
御霊神社の正確な創建は不明であるが、この神社は鎌倉幕府開府よりも90年以上も前に鎌倉にあった平氏五家の祖を祀る神社とし五霊神社と呼ばれていた神社であったのが、いつしか、五家のうちの一家である鎌倉権五郎景政公だけを祀るようになり御霊神社となったつーことである。
拝殿右横にある収蔵庫では、入り口の前の料金徴収箱に100円の拝観料を奉納して、面掛行列のお面を見ることができるのであるので、もちろんあたしも大枚100円を奉納奉天してご覧になったのである。
景政公の命日とされる9月18日の例大祭にはそのお面をかぶった氏子さん達による「面掛行列」が行われ、県の無形文化財に指定されているのである。
総勢10人で前の8人が爺、鬼、異形、鼻長、烏天狗、翁、火吹男、福禄寿の面をつけ、その後に黒紋付の裾模様におかめの面をつけた産婆が続くつーことであるが、この日は正月元旦であったので、そんなことはまったくやってないのはゆーまでもないことであるのである。
また同日行われる鎌倉神楽は市指定文化財でもあるのであるつーよーな、実に歴史的有所も含めて、なかなか、香ばしい神社であるのである。
それで、まあ、この動画は正月元旦の初詣のときのロケであるので、雰囲気も目出度く、今後の黎明を感じさせるさわやかな波動が押し寄せてくるわけであるが、それを受けることができたものは幸いであるのである。
祓い給へ清め給へ守り給へ幸はへ給へ。
スピリチュアル 精神世界
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