2013年2月18日月曜日

タイ・バンコクのセントラルワールドプラザ前のガネーシャ



タイ・バンコクのセントラル ワールド プラザ広場の一角の伊勢丹前にあるガネーシャの祠(ほこら)であるのである。

隣にはトリムルティ・Trimurti(三神一体・ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァは一体であるという近世以降の考え)の祠もあるのである。

まあ、祠つーとお地蔵さんや庚申さんてな仏像あるいは神像を祀った、道端にあるごく小さな小屋てな感じであるが、このセントラルワールドプラザ前広場のガネーシャとトリムルティの社殿は、祭壇や象さんの像などの飾り物を含めたその周囲の状況からすると、日本人的感覚では祠というよりは神社てな言い方がしっくりくるような規模であるのである。

しかし、日本の神社のような神社としての敷地があるわけではなく、デパートの敷地の一部にガネーシャ像の入れ物が置いてあるてなことであるわけであるので、やっぱり祠かね。。

まあ、英訳では祠はShrine(神社)あるいはSmall Shrineとなっているので、神社が神の社(やしろ)であるという本来の意味からすれば、神社でもよろしいわけである。

ううむ、ものすごくどーでもいいのである。

ガネーシャ(गणेश, gaNeza)は、ヒンドゥー教の神の一柱で、その名はサンスクリットで「群衆(ガナ)の主(イーシャ)」を意味するのであるのである。

同じ意味でガナパティ(गणपति, gaNapati)とも呼ばれるのであるのである。

また現代ヒンディー語では短母音の/a/が落ち、同じデーヴァナーガリー綴りでもガネーシュ、ガンパティ(ガンパチ)などと発音され、日本風ではガナバチイとなるのである。

まあ、これ、いずれにしても表記をカタカナにしただけであって、本来の発音と違うのは言うまでもないことであるのでこだわってもしょーがないの、お好きに発音していただきたいのである。

英語風に訛ればガーネッシュ(Ganesh)などともなるのであるが、それもこれも聞いた人の母国語によって、聞こえ方がさまざまであるので、お好きに発音していただきたいわけである。

ガネーシャは太鼓腹の人間の身体に 片方の牙の折れた象の頭に4本の腕を持つ神であるのである。

障害を取り去り、また財産をもたらすと言われ、学問の神であるとともに商業の神ともされるのであるので、タイの商業地域の中核の一つのセントラルワールドプラザ前の広場の一角に商売繁盛売上倍増の役割を担って鎮座ましましておられるわけである。

インドのマハラシュトラ州を中心にデカン高原一帯で多く信仰され、またご存知の通り日本でも歓喜天として信仰を集める人気の神様であるのである。

また、ガネーシャの像の中には杖を持っているものもおり、この杖は「アンクーシャ」と呼ばれている。

アンクーシャは象を御するための引掛け棒てなことであるが、ガネーシャが自分の象頭にアンクーシャを引っ掛けたりするてな支離滅裂なことをするのかどうかは、本人に聞いてみないことにはわからないのである。

ヴィナーヤカ(Vinayaka、無上)、ヴィグネーシュワラ(Vigneshwara、障害除去)、ガネーシャ(Ganesha、群集の長)、ガナパティ(Ganapati、群集の主)との神名を持つのであるつーことであるのである。

これはヒンドゥー教でよくみられるように複数の神名を持つのは、複数の神格が統合されたためと考えられるわけであるのである。

元来は障害神であったのが、あらゆる障害を司る故に障害を除去する善神へと変化したつーことであるのである。

ありとあらゆる障碍を除くことから、新しい事業などを始めるにあたって信仰され、除災厄除・財運向上のご利益でも信仰を集めているのである。

また智慧・学問の神でもあり、学生にも霊験豊かとされ、祈祷を始めとして、あらゆる開始にあたってまずガネーシャに祈りを捧げると良いとされるので、このセントラルワールドプラザのガネーシャにも合格祈願学問成就を願う学生さんとみられる皆さんが多数お参りなされているのである。

まあ、日本で言うと商売繁盛の稲荷さんと学問成就合格祈願の天満宮を合わせたご利益であるわけである。

象の頭を持つ理由の神話として、もっとも有名なものは、パールヴァティーが身体を洗って、その身体の汚れを集めて人形を作り命を吹き込んで自分の子供を生んだのであるが、パールヴァティーの命令で、ガネーシャが浴室の見張りをしている際に、シヴァが帰還した。ガネーシャはそれを父、あるいは偉大な神シヴァとは知らず、入室を拒んだ。シヴァは激怒し、ガネーシャの首を切り落として遠くへ投げ捨ててしまったあとにパールヴァティーに会い、それが自分の子供だと知ったシヴァは、投げ捨てたガネーシャの頭を探しに西に向かって旅に出かけても見つけることがでず、そこで旅の最初に出会った象の首を切り落として持ち帰り、ガネーシャの頭として取り付け復活させたつーことで、これが、ガネーシャが象の頭を持っている所以とされるのであるが、ちょっとトイレ。

まあ、それで、最も有名なマントラは、以下のものである。

Aum Shri Ganesha Namah

Aum Gam Ganapati Namah

マントラを唱える前には、手足を清潔に身を清めてから着座し、数回の調息を行ってから実施するようにしていただきたいつーことであるのである。

それでマントラは、108回、もしくは念珠の1周分もしくはそれ以上の周回分を唱えるのであるのである。

ガネーシャのマントラは、あらゆる悪・障碍・悪霊を退け、財産・智慧・成功をもたらすとされるのであるのであるから、これもう、天下無敵、極楽往生、あなたもあたしもあそこはキリマンジャロてなぐらいりがたーいご利益満載であるのである。

日本密教(台密・東密)の天台宗・真言宗ではガネーシャを起源に持つ歓喜天(聖天)が天部の護法神、鎮守神として信仰されるのである。

歓喜天(かんぎてん、Skt:Vinayaka、गणपति Ganapati、もしくは ナンディケーシュバラ nandikesvara 歓喜自在天)は、仏教の守護神である天部の一つであるのであるつーよーなことであるのである。

また、聖天(しょうでん、しょうてん)、大聖歓喜天、大聖歓喜大自在天、大聖歓喜双身天王、象鼻天(ぞうびてん)、天尊(てんそん)。あるいはVinayaka、Ganapatiを音写して、毘那夜迦(びなやか)、誐那缽底(がなぱてい)ともいうのであるのであるが、音写であるので、むりやり当てはめただけで、古代ヒンディー語の本来の発音とは似ても似つかないかもしれないのはご理解いただきたいわけである。

歓喜天を祀る代表的な寺院は、生駒(いこま)聖天・宝山寺、待乳山(まつちやま)聖天・本龍院、妻沼(めぬま)聖天・歓喜院が日本三大聖天として有名であるのである。

まあ、あたしは東京地方のお住まいであるので、神のお告げ啓示神示お光を賜りあまねくこの世に降り注ぐ御筆先である象源教教祖としてのお役目柄、待乳山聖天には何度も足を運び、大根をお供えして日頃の守護鎮守のお礼をこれでもかと奉唱なされておられるのである。

歓喜天の真言つまりマントラは、サンスクリットのアルファベット表記では、

Om hrih gah hum svaha 「ओम्(ॐ ) ह्रीः (十一面観世音菩薩の種字) गः(歓喜天の種字) हुं (軍荼利明王の種字) ह्री」

であるのである。

まあ、種字の発音の是非は置いといて、アルファベットをローマ字読みすると、「オーム ヒリフ ギャフ フーム スヴァーハ」てなことであるのである。

まあ、元はもちろん古代サンスクリットの発音であったものがヨーロッパに伝わりアルファベットになり、中国に伝われば漢字になり、さらに中国から日本に伝わりカタカナになるころには、「オン キリク ギャク ウン ソワカ」あるいは「オン キリ ギャク ウン ソワカ」とお馴染みの歓喜天の真言になるのである。

どう考えても、元のマントラとは似ても似つかない別物であることはご理解いただけると思うのである。

まあ、だからね、てきとーでいいわけである。

ちなにみ大呪は、

「ナム ビナヤカシャ カシテイモカシャ タダヤタ オン ナヤカナヤカ ビナヤカ ビナヤカ タラヤカ フリタラヤカ カムカシッテイ カムカ カチッタ ソワカ」

であるのである。

これももちろんサンスクリットを漢字にしてさらにカタカナ変換であるので、元の発音とは別物であるのである。

まあ、仏教の開祖であるお釈迦様は「呪文てなもんはろくなもんじゃありませんから、そんなものをアホみたいにがなりたてちゃいけませんよ」てなことをおっしゃてたわけである。

しかし、まあ、どーせ元のものとは似ても似つかないものであるのであるからそんな固いことは置いといて、お好きな方はこの歓喜天の大呪を心ゆくまでアホみたいにがなりたてると、七代の運を一代にして使い切るてな、子孫に大迷惑なご利益をあなたが独り占めにできるかもしれないつーことを歓喜天秘法では言い張っておられるのであるのである。

でも、七代に渡る子孫の運を使い切ってしまうつーよーな自分さえ良ければいいてな無法乱暴であるので、子孫に迷惑をかけるのが嫌な人はお控えになった方がいいかもしれないのである。

てなことであるが、ご存知の通り、日本では荒々しく厳格な祟り神としての一面も持ち合わせているので、修行のできていない我々ぱーの衆生がいいかげんな気持ちで大呪を唱えたりすると逆に災いを呼び込んでしまうので、唱えるからには、身を清め、浴油供、華水供、酒供、菓子供等の供養法を妥協なく行い、命がけの決心の上に修法しなければならないつーよーなことであるので、実にめんどくさいっちゃめんどくさい神様であるのである。

まあ、タイではべつに命がけてな様子もなくて、皆さんが近くの露店屋台で売ってる献花や供物を供えて、願い事を拝み倒しておられるのである。

あたしはもちろん、待乳山聖天さんに参拝する時同様に、「あー、ありがたいありがたい、あんたはえらい!、いよっガネーシャ!世界一!、牙が一本折れてるところがイキだねー」と褒め倒したわけである。

まあ、なんでも褒めときゃ、誰でも嫌な気はしないのである。

ここがね、人生世渡り身過ぎ世過ぎの極意っちゃ極意であるのである。

悪意を示せば悪意が返り、好意を示せば好意が返ってくるのである。

悪意が返ればあなたの人生は暗転し、好意が返ればあなたの人生は好転するのである。

当たり前であるのである。

自分の周囲が悪意だらけで運気も最低でにっちもさっちも行かないなんて人は、ひとまず周囲をよいしょしてみることをお奨めするのである。

大嫌いな人間もよいしょしてみるのである。

これ、べつに口先だけであるので、金も時間も体力もかからないのである。

あたしみたいに相手の発する波動でその精神状態が事細かにわかるなんて人間はめったにいないので、たいていはその波動よりも、口先の方が気持ちいいので、気持ちいい相手には気持ちいい対応をするようになるのである。

神様仏様によいしょすることにより、脳の神経細胞ニューロンシナプス受容体の組成をその方向に向けるのである。

口先三寸で人生が逆転好転前転バク転宙返りするのであるから、やらない手はないのである。

つーことで、この世の隅々まで愛のむきむきめきめきもきもきあーきもいを降り注ぐことを使命とする偉大なる大霊能者象源教教祖象師匠の師匠筋にあたるガネちゃんの神気霊気波動をこの動画からいかんなく受けて、あなたの明日がうららかに腫れた青空天空の白い雲となるのかどうかは、あなたの日頃の心がけ次第であるのは言うまでもないことであるのである。

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