2015年5月25日月曜日

甲斐善光寺御開帳



甲斐善光寺(かいぜんこうじ)は山梨県甲府市善光寺にある浄土宗の寺院で、山号は定額山(じょうがくざん)で、正式名称は定額山浄智院善光寺(じょうがくざんじょうちいんぜんこうじ)であるのである。

ちなみに、信州の善光寺は宗派に属しておらず、単立寺院であるのである。

甲斐善光寺の本尊は秘仏・善光寺式阿弥陀三尊像は国指定重要文化財であるのである。

善光寺式阿弥陀三尊(ぜんこうじしきあみださんぞん)は、日本最古の仏像と伝承される信州善光寺の本尊を模した一光三尊形式の阿弥陀如来像のことで、善光寺式如来とも呼ばれるのである。

この、南北朝時代 (中国)の金銅仏を源流に持つ善光寺式阿弥陀三尊像は、鎌倉時代以降に日本各地で盛んに制作されたため、日本各地に善光寺や新善光寺と名乗る寺院が点在することとなったのである。

また、山門と本堂も同様に国指定文化財であるのである。

長野県長野市にある善光寺をはじめとする各地の善光寺と区別するため甲斐善光寺(かいぜんこうじ)と呼ばれることが多く、甲州善光寺(こうしゅうぜんこうじ)、甲府善光寺(こうふぜんこうじ)とも呼ばれているのであるつーことであるが、あたしの愛車のカーナビでは甲府善光寺となっていたので、気の迷いでこの甲斐善光寺に行く場合は、甲府善光寺で検索した方がよろしいかもしれないのである。

まあ、それで、善光寺と言えば今年は7年に1度の御開帳であるが、それをドローン墜落のニュースで見たので、神社仏閣マニアのあたしとしては、ううむ、いろいろとその場しのぎでマニアになるのね、まあ、とにかく、取るものもとりあえず御開帳を拝見しようてなことで善光寺に行こうと思ったのであるが、東京から日帰りで行くには長野の善光寺は遠すぎるので、この甲斐善光寺にご来駕の運びとなったのである。

まあ、この御開帳は長野の善光寺だけかというと、これが六善光寺同時御開帳ということで、信州善光寺、甲斐善光寺、関善光寺、飯田善光寺、善光寺東海別院、岐阜善光寺という、六ケ所で同時開催であるのである。

まあ、要するに本尊が善光寺如来である寺は全部御開帳でも問題がないといえばないわけである。

しかし、これを毎年やってるとインパクトがなかろうつーよーなことで7年に1度ということだよね、きっと、うん。

おいおい、仏様に向かってタメグチかよ。

それで、甲斐善光寺の駐車場についてみたらば、檀家檀徒役員総出で道案内、駐車場整理で大忙しであるのである。

途中の露天のおばさんも駐車場までの路の案内をしてるのである。

まあ、7年に1度であるから、気合が入るとは思うが、この日は平日であったので、参道の露天もシートが被ったままで、参拝客はそれほどでもないのである。

それで、参道から本堂までロケを敢行して、その先、堂内もロケを敢行しようとしたら、堂内は撮影禁止であるのである。

堂内に入るときに入り口で500円払って、垂れ幕の中の秘仏ご開帳の様子をつぶさにご覧になったのであるが、あたしはマナーを守ることに命をかける真面目な社会人であるので、もちろんアホな小僧のようにドローンを飛ばして盗撮なんてことはせずに、浄土宗だけになむなむとお唱えして放屁なされて退散したのである。

放屁は生理現象であるので、仏様もご理解していただけることと存じ上げ奉るのである。

そのあと、長野の善光寺にもある、真っ暗な床下の通路を降りて、奥の鍵を触ってくるというわけのわからないアトラクションも楽しんだのであるが、後ろからも人が来るので、放屁はなされなかったのである。

仏様とちがい、人間様の鼻先で放屁すると、「うう、くっさー」と文句を言われるのである。

ううむ、最低のネタで笑いを取りに行ってるのである。

まあ、そんなことはともかく、動画の後半で本堂前に立つ回向柱が本堂内の秘仏に五色の糸でつながっているので、それを拝めば秘仏に参拝したのと同じ御利益があるのである。

もちろん動画の回向柱を参拝しても同じ効果であるのはゆーまでもないことであるので、ありがたいありがたいとなむなむすればいいわけである。

要は仏縁であるのである。

まあ、平日でこのぐらいだから土日はすごいだろうね、てなことを考えながら、参道の途中にあるかぶとやさんてな信玄餅を売ってる土産物店の店先のテント席でコーヒーとぶどうジュースと高菜漬けのおやきを食ったのである。


大変おいしゅうございましたのである。

おいおい、なんなんだ、霊気神気はどしたんだ?

いやいや、そこが霊能しろーと極貧赤貧びんぼー人思考の勘違い筋違いであるのである。

笑うことが除霊浄霊となり、しいては運気上昇の枢要となるのである。

運気を改善するためにはとにかく笑うことである。

しかし、本堂や拝殿の前でいきなり「わははははははははははははははははーっ」と大笑いすると警察か救急車を呼ばれるので注意しなければならないのある。

楽しんでいただけましたでしょうか。

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2015年4月29日水曜日

ぶどう寺大善寺(甲州市)



真言宗智山派柏尾山大善寺(かしおさんだいぜんじ)は、山梨県甲州市勝沼町にある寺院である、

ぶどう寺大善寺とも呼ばれるのである。

参拝当日は境内整備の工事中で、神社仏閣の最大のご利益お楽しみである参道石段を軽やかに上がっている途中の仁王門の下あたりでショベルカーから降りた業者のおじさんに「あいすみません」とご挨拶されたのであるが、こちらはなにしろロケの真っ最中であるので、ご返事はご遠慮申し上げて、本堂である薬師堂までとんとんと石段を踏んで、本堂である薬師堂の前に立ったら、右の本堂入口から作務衣のおばさんがこちらを覗いていたのであるが、なにしろロケの真っ最中であるので、ご挨拶はご遠慮申し上げて、カメラを回して撮影を続行したのである。

本尊は薬師如来で、ぶどう薬師てなご愛嬌のある別名もあるのであるが、秘仏として祭壇の厨子の中に納められ、五年に一度扉が開かれご開帳となるのであるが、最近では、平成25年10月1日~8日に御開帳が行われたつーことである。

創建については詳細は定かでないが、寺院伝承によれば、奈良時代の養老2年(718年)に行基(天智天皇7年・668年)- 天平21年2月2日・749年2月23日)さんが甲斐の国を訪れたとき、勝沼の柏尾にさしかかり、日川の渓谷の大石の上で修行したところ、満願の日、夢の中に、手に葡萄を持った薬師如来が現れ、行基さんはその夢を喜び、早速夢の中に現れたお姿と同じ薬師如来像を刻んで安置したのが今日の柏尾山大善寺であると言いはっているので、まあ、夢であるから、いってみれば行基さんの幻覚妄想の類いなわけであるが、とにもかくにも、以来、行基さんは薬園をつくって法薬の葡萄の作り方を村人に教えたので、この地に葡萄が 栽培されるようになり、これが甲州葡萄の始まりだと 伝えられているつーことであるので、まあ、葡萄の薬効といえば糖質とビタミンCであろうから、体力回復免疫力向上てな薬効は充分にあるので、まあ、ものごとは幻覚妄想でも役に立つことがないではないという香ばしい例であるわけである。

それで、大善寺をご見学ご参拝するには、拝観料として駐車場の前にある受付でお一人様500円を払うと駐車場入場のカードがもらえて、それをカード挿入口に差し込むと、ゲートが開いて、駐車場に入れるのである。

なかなか、いい制度である。

駐車の前にお布施という名の寺院管理費を払ってしまうわけである。

ううむ、お布施を「払う」というのは仏事に対して穏やかな表現ではないが、古来より「地獄の沙汰もカネ次第」と言うがごとくであるので、お賽銭でも拝観料でも、とにかくカネを払っとけば間違いないのである。

住職はもとより仏様だってカネもらって悪い気はしないのはゆーまでもないことである。

もちろん現実的には、国宝や重要文化財などの美術品を含めた寺の維持費と、寺院関係者の生活費の一部のためであるのは、いい大人であるあたしはこよなく理解しているので、なんら文句はさらさらないのもゆーまでもないことである。


本堂(薬師堂)は国宝である。

しかし、本堂内は撮影禁止であるので、残念ながら、本堂内の木造の日光菩薩・月光菩薩の両立像を始めとした数々の国指定重要文化財の仏像の皆さんは掲載できないので、ご利益に預かりたい方ははるばる甲州市勝沼のインターチェンジを降りてすぐの大善寺までお越しいただきたいということでお願いするわけであるが、べつにあたしは大善寺からいくばくかのせんでんりょーをもらってるわけではないということは津津浦浦までご理解の程をううむあれだそのまあいいや。

本堂ではちょうど、副住職と思われる方丈様がご祈祷中で、その御札をいただくと思われるおじいさんが祭壇と両サイドの脇間の重要文化財の仏像のあれこれご見学中であるので、あたしもついでにご住職のお経を聞いて、日頃の悪行三昧の浄化をお願いしようと思ったら、大黒さんと思われる多少ご肥満気味のおばさまが「初めてですか?」とゆーので、「始めてです」と申し上げると、「大善寺は甲州一の古刹です」というくだりから始まって、大善寺の歴史から成り立ちをずーっとご説明遊ばすので、正座して聞いてたら、ジーンズがきつくて、「ううう、これは困った、目の前では方丈さんが真剣にお経をがなり立ててるし、おばちゃんも真剣に説明してるし、ジーンスの膝が出てわやだろうし、いったいどーしたらいいだ、これはいったいなんのタタリなんだ」と思ってたら、ようやく説明が終わって、「本堂内の仏様を御覧ください」とおっしゃられるので、まだ気合充分のお経読経の真っ最中で殺気走った太鼓の音も勇ましい中、方丈様の前を「はい、ごめんなさいよ」と横切って、祭壇の内陣・脇間の仏様をじっくりとご見学の上、さらに祭壇の裏の通路に安置された由緒のある石だの仏様だのを「ありがたいありがたい」と心にもないことを心に思いながらささっとご参拝なされたのである。



境内にあるお清めの水である。

お清めだけに、まあ、つまりは手水舎であるので、参拝の前に手を洗って口を漱いでお清めするわけであるが、ロケを先行して順序が逆になってしまったのである。

まあ、とにかくお清めしないとらちがあかないので、撮影終了後に作法に従いお清めしたのである。

しかし、仏様に参拝してからお清めでは、仏様に極めて失礼なわけであるが、まあ、他意はないので、仏様にはそこんところをひとつご了解いただいて、仏罰を当てることはお控えいただくようお願いして、帰りに、受付のある玄関から客殿に入って、池泉鑑賞式庭園を拝見なされたのである。



江戸時代(寛永末)につくられたこの庭園は、高野山の普門院、鳥取の興禅寺と共に江戸時代の日本三名園と云われる池泉鑑賞式庭園で、滝、築山石組みを行い、下側に池泉を掘った典型的な江戸初期の庭園で、庭の西側に巨岩を置き、東側には滝が流れ、鶴石、亀石を配した池があり、客殿からの眺めは、まさに蓬莱山に入った気持ちがするのであるてなことであるが、まあ、とにもかくにも、撮影を済ませて、縁側のソファーに座って心を澄ませて庭園を眺めていたら、隣の客室におばさんが掃除機を持ってこられて、ものすごい勢いでバタンバタンと大音響で障子を閉めたので「わあ、びっくり、蓬莱山に入った気持ちもへったくれもないではありませんか」と思ったのであるが、そこはそれ、天下の大人物大丹田で鳴る象師匠であるので悠然と構えて心の動揺は一寸の間も垣間見せることはないのは無論であるのである。

文章が読みにくいしでたらめだなんて苦情はこの際あちらの方に放り投げておいて、この程度の音で驚くのはあたしの修行ができていないとゆーことが歴然であるので、さらに心を澄ませてお庭を拝見なされていたのであるが、掃除機の音が喧しいのでそそくさとご退散申し上げようと思ったのであるが、ふとみると、客殿には厄除け弁財てな神様が祭ってあるので、カムヤライの御役目としてはつつがなくお参りしたのである。



ああ、ありがたいありがたい。

なんでも、ありがたがっとけば、この世もあの世も丸く収まるのである。

ありがたいありがたいの気持ちを何事にもいつ時にも持ち続けることができれば、人生は実に楽にスムーズに成り行くのであるが、これがね、わかっちゃいるけどやめられないのも人生であるのである。


ついでに、客殿の一隅には、稽古用の槍や刺股・弓などが飾ってあるのであるが、これは武具として置いてあるのではなく、本来は寺の格式を表すものであるつーことである。

あたしは弓もたしなむので、古い弓はどんなもんかねと持ってみようと思ったら、「手をふれないでください」と書いてあったので、弓取り式はしなかったのである。

相撲かよ。


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2015年4月4日土曜日

五所神社(湯河原町)



神奈川県足柄下郡湯河原町に鎮座する五所神社は、当社の社伝によれば、今からおよそ千三百有余年前第三十八代天智天皇の御代加賀の住人二見加賀之助重行らの手によってこの地方が開拓されたとき土肥郷の総鎮守として祀られたつーことである。

五所神社の由来は地元豪族土肥次郎実平が当地の五社を統合して建立したつーよーな説もあるのであるが、社伝にも神奈川県神社誌にもそのへんのことは言及していないのでどーだかわからんのである。

まあ、小さい神社も集めればご利益が倍増すると考えたのかなんなのかは定かでないが、五ヶ所の神社を回る手間が省けて、便利といえば便利であるのである。

同名の五所神社が日本各地に点在するわけであるが、祭神が五柱の場合が多いので、そんなことかもしれないであるが、この神社の祭神は天照大神、天忍穂耳尊、瓊瓊杵尊、彦火出見尊、鵜鸕草葺不合尊、誉田別尊、素盞嗚尊、伊弉諾尊、伊弉冊尊と盛りだくさんで、ご利益もさもありなんというぐらいのものかもしれないので、参拝して損はない立派な神社であるのである。


拝殿の右側に聳え立つ御神木の楠である。

樹齢約850年で昭和59年12月にかながわの名木百選に指定され、平成9年5月に町の天然記念物に指定されたのである。

樹齢は推定850年で樹高36mで胸高周囲8.2mであるのである。

立札には「神宿る木のくすのきに触れて神様の力をいただきましょう」てなことが書いてあるのであるが、やたらと触ると木が痛むだろうから、樹木保存の観点からあたしはナデナデしないのである。

まあ、シロートさんにはわからんことであるが、樹木の波動は触らんでも受けることができるのである。


続いて、同じく境内にある大イチョウである。

平成九年五月 町の天然記念物に指定され、これも、樹齢推定850年つーことであるから、御神木の楠と同時期に植えられたわけであるが、まあ、植えたのか、もともとそこに生えていたいのかは定かではないのである。

平成23年の台風で一部の枝が折れた為、危険回避の都合上、主幹上部を切り、高さを調整したので、本来の雄大な姿を見ることが出来ないつーことであるが、それでも楠とどちらが御神木なのかわからんぐらい立派なお姿であるのであるが、これも、触ると痛むだろうから、あたしはナデナデしないのである。

稀代の大霊能気功家であるあたしの場合は、木から氣をもらうよりも、樹木養生のために、御神木の楠とこの大イチョウも含めて神社境内の樹木に怒涛の氣を送ったのはゆーまでもないことである。

与えることが徳を積むことであるのである。

ありがたいありがたい。

しらんがな。

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2015年3月31日火曜日

福泉寺(熱海市)の首大仏



湯河原温泉街の千歳川沿いにある曹洞宗福泉寺の首大仏である。

千歳川は神奈川県と静岡県の県境にあり、福泉寺は静岡県側であるので、住所は静岡県熱海市泉191であるのである。

それで、まあ、首大仏とはいうが、首から上だけというわけではなく、胸から上の部分であるので、本来なら胸から上大仏と呼ぶのが正しいのであるが、どこの観光案内を見ても首大仏となっているのである。

寺には無料駐車場も完備されているので、そこに停めてじっくりと首大仏をご見学なされてよろしいわけであるが、別に観光客はおられなくて、自転車でこられた地元のおばさんが墓参りをなされておられたのである。

もちろん、地元のおばさんであるから、首大仏をご見学をなされることはなく、本堂にお参りしてから、手桶に水を入れて墓地の方向に歩いて行かれたのである。

もちろん、あたしは古今未曾有の大霊能者といえども、ここに先祖代々の墓があるわけでもない一般の観光客の扱いであるので、墓参りをせずに首大仏をご見学遊ばしたのである。

この首大仏は陶器製で、尾張藩の第2代藩主で名古屋城主徳川光友(とくがわ みつとも、寛永2年7月29日・1625年8月31日- 元禄13年10月16日・1700年11月26日)が、尾張藩の初代藩主で尾張徳川家の始祖である徳川義直(慶長5年11月28日・1601年1月2日-慶安3年5月7日・1650年6月5日)の側室であった母である歓喜院(法名)を弔うために造ったものであるつーことである。

この首大仏は、もとは名古屋城内にあったのであるが、戦後になってこの地に移されたつーことで、その他にも涙なしでは語れないご由緒伝説伝承が多々あるのであるが、めんどくさいので各自でお調べ頂いて「ほほう、そんな言われがあるのか、すごいなー」あるいは「んな、アホな」と感涙に咽んだり爆笑したりしてお楽しみいただきたいのである。

そんなこんなで胸から上大仏ならぬ首大仏をこれでもかと参拝ご見学なされたわけであるが、実に愛嬌のある大仏であるので、首大仏という恐ろしげな名称から想像されるイメージとはかけ離れためでたい波動を醸し出しているので、そうとうに臆病なスピマニアにも安心してご供養いただけるのである。

それでも、怖いという人には、あたしが「怖いの怖いのとんでけー」とやってあげるので、ここは一発勇気を出して、首大仏というの名の胸から上大仏をご拝見して、心から「ありがたいありがたい」と念じれば、あなたの脳波は穏やかな曲線を描いてニルヴァーナ涅槃の彼方へあれこれするのである。

たはは。

たははって。

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2015年3月28日土曜日

貴船神社 (真鶴町)



貴船神社(きぶねじんじゃ)は、神奈川県足柄下郡真鶴町にある神社である。

創建は人皇第59代宇多天皇の寛平元年(平安前期889年)6月15日という大変由緒ある立派な神社であるのである。

主祭神は大国主神・事代主神・少彦名神で、ご利益は開運招福・縁結び・交通安全である。

社伝では、寛平元年(889年)、三ツ石(真鶴岬)の沖に現れた木像12体と書状を社家平井家の祖先が発見し、社殿を建てて村の鎮守としたのに始まるつーことで、現在鎮座1105年を向かえておりますと言い張っておられるのである。

さらに、江戸時代までは「貴宮(きのみや)大明神」と称するなど、キノミヤ信仰が顕著だったのであるが、その後、明治元年までは「貴船大明神」と称し、氏子並びに近郷の人々より厚い信仰で結ばれていたのであるつーことであるが、明治元年(1868年)に貴船神社に改称したつーことである。

なお、貴船神社という社名については、京都市の貴船神社からの勧請ではないつーことであるので、この神社関係者氏子の皆さんの独自の命名による社名であるわけであるが、まあ、海に面した神社であるので、船を基軸とした社名になったのかどーなのかてなことは、神主さんが常駐しておられないので聞くわけにもいかず、定かではないのである。

また、旧御本殿は、現在の本殿の左側に旧本殿があり、現在は「祖霊社」として氏子の皆様の祖霊を御祀りしています。その並びには、石材関係者や商工業者等が奉賛する「山神社」 があり、境内にはその他に「参集殿」・「神輿舎」があり、本殿に向かって右側には今上陛下の御大典記念事業の一つとして本町産出の本小松石作りの「厄除厄祓門」と日参三千日を記念する「心願石」をはじめ北海道産の「さざれ石」などが配置されているのであるが、動画的にはきりがないので割愛させていただいたので、あしからずご了承いただきたいのである。

当神社の有名な例祭「貴船まつり」は、昭和二十三年に神奈川県指定無形文化財に指定され、古式にのっとり毎年七月二十七日・二十八日の両日に行われ、境内に陳列されている神輿を海上渡御する壮大なお祭りで、古くから「日本三船祭」として名高く、県内はもとより全国より押すな押すなの観光客参拝者で、この町も怒涛の大賑わいとなるつーことであるが、もちろんあたしはテレビのニュースの各地ネタで見たぐらいで、現場をご覧になったわけではないのである。

鳥居を潜り初の石段より御本殿迄の石段数は「108段」で、仏教でいうところの煩悩の数とちょうど同じ数であるつー事で、こじつけだなんてことを言わずに、当社では一段一段踏み祓う「禊(みそぎ)の石段」と称し、氏子の方のかなりの御高齢な方でも、また赤ちゃんを抱きながらの初宮詣においても、直接御本殿境内まで車の乗り入れが可能な現在でも、この石段をお昇り頂く姿をよくお見かけするつーことである。

もちろんあたしは車を石段下の郵便ポストの前に停めて登ろうと思ったら、鳥居の前の郵便局の職員のおねーさんが郵便物を取りに来たのである。

「あ、すいません、邪魔ですか」と聞いたら、「大丈夫です、でも、郵便局の裏から車で境内まで行けますよ」とご親切に教えて頂いたので、「ああ、そうですかー、それは楽ですねー、ありがとうございますー」とお礼を申し上げて、無視して石段を豪快に登ったのである。

それで、一気に登って、参拝して、境内から相模湾を垣間見せて、石段下の鳥居を望む景色もとれ高としたのである。

神社のご利益はなんといっても石段であるのである。

ありがたいありがたい。

かんべんしてくれよ、もう。

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