2013年4月3日水曜日

住吉神社(東京都中央区)



住吉神社(すみよしじんじゃ)は、日本の東京都中央区佃にある神社である。

旧社格は郷社で、祭神は住吉三神(底筒之男命、中筒之男命、表筒之男命)、息長足姫命(神功皇后)、東照御親命(あずまてるみおやのみこと、徳川家康)であるのである。

住吉神社(すみよしじんじゃ)は、主に住吉三神を祀る神社で、日本全国に約600社あり、この佃の住吉神社もそのひとつであるわけである。

隅田川の堤防沿いの遊歩道ジョギングコースから住吉神社までの参道があり、まあ、あたし同様に物見遊山でうろうろする月島佃島観光客の散歩散策コースでもあるのである。

あたしの生家の近所にも住吉神社があって、なんとなく懐かしさで涙も溢れてくるのであるが、もちろん嘘泣きであるので、涙を拭くこともなく本殿拝殿の前に詣でて、ううう、珈琲飲んだらドーパミンがドバーと出たのかなんなのか、急に鎌倉に刺し身を食いに行きたくなったが、そんなことをしてると仕事がわやになるので、ぐぐっと我慢して、まあ、兎にも角にも、あたし同様物見遊山観光客のおじさまおばさまお二人連れと連れ立って隅田川遊歩道から鳥居をくぐってとんとんと階段を降りて参道に歩を進めると、どこから現れたのかあどけない女の子の姿をした座敷わらしが路地から現れてあたしの横をすり抜けて走り去ったのである。

言いたい放題であるのである。

しかし、これ、読んでる人いるのかね。

まあ、見れば一目瞭然言わずもがなである動画に文章ってのも、なんか意味が無いような気もするのであるが、そこはそれ、名にし負う作家小説家象師匠としては書かずにおれるか書きたいやりたい入れたい出したいあらこんなにたくさんあなたってすごいのねうふんつーぐらいの文章ちゅーどくマニアふりーくであるので、どーしても書きすぎて長くなりすぎて当節昨今の長文読解力欠如のぱーの皆さんに敬遠されること夥しく甚だしい結果になっていることは火を見るより明らかであるかもしれないのであるのである。

ううむ、火を見るより明らかって、いったい何の火なんだ?

こんなことまでいちいち食いついてるから、文章がさらに長くなって収集がつかなくなるのである。

それで、住吉神社であるのである。

まあ、この佃の住吉神社の周りは、その周囲に林立する近代的な高層マンションビルとは一線を画する、いわゆる佃島の雰囲気ふんぷんと香る香ばしい地域界隈であるのである。

なにしろ座敷わらしが路地を疾駆する美しい情景にもお目にかかれるという、心も緩み身も緩む、ああ、こんな下町に暮らせたらあたしの心も、もっと瑞々しい潤いに満ちた思い入れをたくさん持ってあの世に旅立てることであったろうと、おいおい、出棺の挨拶かよ、つーぐらいのありがたさで波動の周波数も下がり、天国極楽の脳波となるのである。

まあ、なんでも気持ちよくなれば剴切この上ないことであるのであるが、ううむ、剴切ってなんだ?

剴切(がいせつ)「ぴったりとあてはまること。このうえなく適切なこと。」

ほほう、なるほど、文章の脈絡から剴切は実に剴切であるわけであるなあ。

なんでこんな言葉が出てくるのかね。

住吉神社住吉三神のご利益は計り知れない威力があるのである。

つまり、これ、あたしの脳裏の壁龕に、20歳前後のみぎりに闇雲に多読した篇帙の語彙が聚合されており、それが、住吉三神の波動で脳が賦活化されて、ときおり、星霜遼遠の彼方に廃忘されていたものが突として迸発するわけである。

書いてる本人にも意味がわからないのである。

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