2019年3月26日火曜日

浄智寺(北鎌倉)



浄智寺は北鎌倉駅から徒歩で5~6分ほどにある臨済宗円覚寺派の寺院である。

創建は1283年(弘安6年)で、開基は北条師時である。

鎌倉五山第4位で山号は金宝山(きんぽうざん)である。

ちなみに鎌倉五山は、第一位・建長寺、第二位・円覚寺、第三位・寿福寺、第四位・浄智寺、第五位・浄明寺である。

ううむ、オチが浮かばないので、さっさと次にいくのである。


浄智寺の入口である。

正面奥が高麗門てな形式の惣門であるが、この雰囲気だけでも境内の大きさが想像に難くないのである。

当時の鎌倉幕府の権威がひしひしと伝わるあれこれの寺社の広大さであるなあ、てな感動も心の奥底にしまい込んで、いざ惣門をくぐるわけである。

何を言ってるんでしょうか。


さて、惣門から入口を見るとこんなである。

寺社マニアとしてはあちこちから矯めつ眇めつして、その雰囲気やおもむきを楽しむわけである。

ううむ、どうも今一つおもしろくなるポイントがわからん。


惣門の次に、上の写真の正面奥に見える鐘楼門てな名前の山門があるのであるが、動画はこの鐘楼門からのロケである。

鐘楼門をくぐるといよいよ仏殿である。

仏殿はいわゆる本堂であるが、その前では団体さんがガイドのおじさんからあれこれ案内解説を受けているのである。

ついでにあたしも混じってあれこれを聞いてみたが、仏縁にも関わらず、残念ながらまったく内容が入ってこないので、ここでは割愛である。

これは仏様が聞かなくてもよろしいとおっしゃってるのであろうと勝手に解釈して、自らの自堕落をあっちに置いとくわけである。


仏殿の曇華殿(どんげでん)である。

とにもかくにも、この仏殿にお参りして、明日の健康と発展を願うわけであるが、いつものごとく神仏にお願いごとなんて不始末を犯すととんでもない神罰仏罰が下るので、ここは心を鬼にして「ありがたいありがたい」と唱えるばかりである。

だれだって、頼まれごとは嫌であるし、神仏とはいえ、「金持ちになれますように」なんて願った日には、「金貸してくれ」と同義であるということを知らなければならないのである。

逆にお礼を言われれば、誰だって悪い気はしないわけであるから、別になにもしてもらった覚えがなくても、「ありがたいありがたい」と言っとけば、もしかしたら気を良くしてなんかくれるかもしれないのである。

おいおい。


さて仏殿内におられる御本尊は阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来の三世仏であるが、もちろん、いずれも仏陀の化身である。

仏様におかれましても、能力を分担して、いわゆる分業でご利益を下さるわけである。

お一人で全部まかなうのは、いかに全能の仏様といえどもそこは手抜きが出てしまうとも限らんので、役割別に縦割り行政となっているわけである。

しまいに怒られるから、やめなさい。



本堂からは廊下と通って書院つくりの客殿に行けるのであるが、もちろん、許可なく内部を歩き回ると通報されるので、お外からの鑑賞である。


客殿は茅葺屋根のおもむきもよろしいもので、境内の建物をこころ行くまで鑑賞するのもマニアの楽しみのひとつである。


散策路の途中にあるポンプ井戸である。

井戸マニアのあたしらの専門用語ではガシャポン井戸ともいうのであるが、もちろん水をくみ上げる時にガシャポンガシャポンというからであるのは言うまでもないことである。

誰が井戸マニアだ。



上智寺境内にある布袋尊である。

周囲を回っておつむやおなかをなでなでする人が多いのである。

おつむやおなかがこの形状であるのでなでなでしたいのが人情であるが、あたしはなでなでしないのである。


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2019年3月11日月曜日

武蔵御嶽神社の大口真神社



まあ、我が家の恒例のひとつで、毎年この時期に、青梅市御岳山にある武蔵御嶽神社(むさしみたけじんじゃ)に大口真神(おおぐちまがみ)のお札をいただきに参拝するのである。

以前は神社の御師さんが山を下りてお札を配りに来たのであるが、跡継ぎがいなくなって、逆にあたしが山を登ってお札をいただきに行くのである。


このお札を蔵や勝手口や物置などの入口に貼って、災いや怪しい侵入者を追い払うわけである。

まあ、大口真神の通称がおいぬ様であるが、本来はニホンオオカミを神格化したものであるので、「わん」と吠えてどろぼーや災厄を追い払うのかどーかは定かでないのである。

しかし、これまでどろぼーもこれといった災厄もないので、「わん」と吠えて、たちどころに追い払っていただいているのかもしれないのである。


通年は、毎年四月に入ってからの参拝であるので、花も見ごろで、参道は参拝客と犬と登山縦走の皆さんが大賑わいであるが、今年は都合でこの日が3月8日金曜日で気温が8度前後のせいか参拝客もまばらである。

ちょうどこの日は拝殿内で雅楽演奏と神楽舞をご鑑賞できる春季大祭の行われる日であったのであるが、受付時間の11時までに到着できなかったので実に残念である。

動画で流れる祝詞はその祭礼のものであるが、祭礼には受付で1000円払ってどなたも参加できるので、来年は必ずや11時までに到着することを心に深く誓ったのである。

来年まで覚えてるわけねーのである。


まあ、とにもかくにも拝殿に詣でてから、奥にある大口真神社(おおぐちまがみしゃ)までロケを敢行して、その霊氣神氣を心行くまで堪能して、この先一年の災難除けと運気上昇は確約されたわけである。

勝手に確約して怒られないのかと思う向きもあろうが、何事もやらないよりはマシであるのは言うまでもないことであるので拝んどけ拝んどけである。


さらに、大口真神社の手前にある常磐堅磐社(ときわかきわしゃ)にもご参拝申し上げて、さらに運気は天にも昇る勢いである。

常磐堅磐社は崇神天皇・景行天皇・安閑天皇・清和天皇と狭依比売神ほか96柱を祭り、諸国一宮祭神といわれ、実に霊験あらたかであろうことは推測に難くない、神様満杯のお社である。

一神教とは違って、多神教の日本神道は実に楽しみの多いしゅーきょーである。

そら多勢に無勢で、神様だって多い方がご利益が多いのは理の当然である。


まあ、人の運気なんてもんはお亡くなりになってみなけりゃわからんわけであるが、死んでしまえば運気もへったくれもないので、結局、どーでもいいわけである。

いずれにしても自分の意思とは無関係にあれこれ決まり、否応なくあれこれが勝手に進行するのであるから、何事も諦めて、なるように流されて生きることが肝要である。

そうはいっても、わかっちゃいるけど無駄な悪あがきがやめられないのが人生で、まあ、その悪あがきが人生の楽しみでもあるわけである。



参道の途中に樹齢600年と言い張る御岳の神代欅(みたけのじんだいけやき)てな巨大な欅の大木があって、その欅の手入れが行われていたのであるが、これが絶壁に足場を組んで植木屋さんあるいはトビの皆さんが数人登って大騒ぎである。

あたしゃ高所恐怖症であるので、下から見てるだけでも目が回りそうである。

だから、あたしにトビや植木屋さんてな職業はどーやってもこーやっても無理である。

人間の職業に向き不向きがあるのが、この一事からもよーくわかるわけであるが、しかし、その向き不向きがなかなかわからない上に、向いてない職業が好きである場合が多々あるので、これが世の中の大半の人の人生がうまくいかない原因である。

もちろん大きなお世話である。

あたいがたいありがたい。

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