霊能気功家象師匠が日本中の霊氣神氣を集めるべく占術を駆使して造られた空間を霊視で巡るスピリチュアル巡礼ツアーである。宇宙の創造主の神意を賜り、魂の浄化を体現し、その清浄な氣によって運命運勢運気を上昇に導くのである。
2013年3月29日金曜日
永代寺
永代寺(えいたいじ)は、東京都江東区にある高野山真言宗の寺院で、正式名は大榮山金剛神院永代寺であるのである。
本尊は象気功の元締めでもある歓喜天で、開基は長盛法印であるのである。
当寺は1624年(寛永元年)、長盛法印の開山により永代島に創建されたのであるのである。
元禄16年(1703年)、1回目の成田不動の「出開帳」が富岡八幡宮の別当であったこの永代寺で開かれたのが深川不動堂の始まりであるてなことであるのである。
江戸における成田不動の出開帳は安政3年(1856年)まで、江戸時代を通じて12回行われたが、そのうち1回を除いて、この深川永代寺が会場となったつーことであるぐらいのえらいお寺さんであるのである。
江戸時代には富岡八幡宮の別当寺として栄えたのであるが、しかし、その後、明治初年の神仏分離により廃寺となったつーことであるのである。
旧境内跡地は現在の深川公園や深川不動堂などになっており、それ以前の永代寺は深川一帯でも指折りの広大な寺院であったのであるのである。
その後、1896年(明治29年)に旧永代寺の塔頭(たっちゅう)の吉祥院が名称を引き継ぎ、再興されたのが現在の永代寺であるのである。
塔頭は、本来、禅寺で、祖師や大寺・名刹の高僧の死後、その弟子が師の徳を慕って、塔(祖師や高僧の墓塔)の頭(ほとり)、または、その敷地内に建てた小院であるのである。
それから転じて、寺院の敷地内にある、高僧が隠退後に住した子院のことも塔頭と呼ぶようになったのであるのである。
当地の地名・門前仲町(もんぜんなかちょう)は、もともとはこの旧永代寺の門前という事で名付けられたのであるつーことであるのである。
この永代寺は深川不動堂の参道門前町であるご利益通りの中程にあるのである。
見過ごされそうに小さなお寺さんであるが、本来はこのあたり一帯が永代寺の敷地であったわけであるので、あだやおろそかにしてはいけない由緒ある寺院であるのであるが、参拝客観光客はとにもかくにも深川不動堂にその足先が向いていて、永代寺にはお参りする人は稀であるのである。
しかし、そこはそれ、大霊能力異能力テレパシースキャナーのアンテナをぐりんぐりんと振り立ててお歩きになってる象師匠であるのであるから、この永代寺の横を通りかかった時にビビッとただならぬ電波お花畑を受信して、即座に境内に歩を進め、「ああ、やはりあなたの霊派であったか」と感嘆の吐息を漏らすこと数秒、直ちに歓喜天秘法大呪を修祓してううう、修祓はお祓いだが、まあ、なんでも仏縁であるので、やらないよりはやったほうがいいだろうつーことで、十八道契印浄三業から普供養まで十八の手印をあまさず印して、さらには歓喜天印をもってして「ナム・ビナヤカシャ・カシティモカシャ・タダヤタ・オン・ナヤカナヤカ・ビナヤカビナヤカ・タラヤカ・フリタラヤカ・カムカシッティ・カムカ・カチッタ・ソワカ」の歓喜天大呪も軽やかに秘法の海に身を投じて修法三昧の境地をこよなく三昧だけに三所攻めの指も軽やかにあそこもここもああんしてそんなことしたらだめようふふと感嘆したのである。
歓喜天であるから、そんなこともあんなこともありがたいわけであるので、そんなこともあんなこともありがたいありがたいとあなたのお心に留め置いて修法するのがよろしいのである。
ちなみに修法は「しゅうほう」ではなく「しゅほう」と読むのが正しいのである。
歓喜天は作法に甚だ厳しい天尊であるので、些細なことでもうっかり間違えたりすると天罰神罰覿面てなことであなたのこれからの人生は災厄災難だらけにならないとも限らんので、ひとことご注意申し上げた次第であるが、あら怖い。
え?お前が一番怖い?
はてさて、さあ、なんのことでしょうか、思い当たりませんが。
まあ、とにもかくにも、象気功の元締め、象の大神様のご霊験を受けて、人生が思うように運ばないあなたの波動を修正して、今後の人生の礎(いしずえ)を新たに組み直して頂きたい。
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