2013年3月14日木曜日

東伏見稲荷神社



東伏見稲荷神社(ひがしふしみいなりじんじゃ)は東京都西東京市東伏見1-5-38に鎮座する神社であるのである。

京都の伏見稲荷大社の分霊を勧請して創建された神社であるのである。

分霊(ぶんれい、わけみたま)とは、神道の用語で、本社の祭神を他所で祀る際、その神の神霊を分けたものを指すのである。

分霊を他の神社に移すことを勧請(かんじょう)といい、神道では、神霊は無限に分けることができるつーよーな実に申し分の無い願ったり叶ったりの決め事法則原則により、分霊しても元の神霊に影響はなく、分霊も本社の神霊と同じ働きをするとされるつーことであるのである。

他の神社より祭神を勧請した神社を分祠(ぶんし)、分社(ぶんしゃ)、今宮(いまみや)などというのであるのである。

つまり、神社は無限に増殖するということであるのである。

それじゃ神社はウイルスかよなどと不遜なことをゆーと立ちどころに神罰厳罰が下って、一生にわたり苦役大荷物を背負わされることになったりするのは如何しても回避不能 であるので、そこはそれ仮にも神様であるので、世話になってもならなくても、敬意を全面にあらわしてありがたいありがたいと拝み倒さねばならないのはゆーまでもないことであるのである。

「仮にも」はさらに不敬不遜であるので、「お仮にも」に訂正してして誠心誠意をもって衷心より心を込めてお詫びを奏上申し上げるのである。

しまいにバチが当たって豊川稲荷神罰の再現にならんともかぎらんのでこのへんでネタ見せは終了とするのである。

くれぐれも神様に楯突いたりネタにしたりしてはいけないとゆーことを力説唱道してあなたの明日の方向性をお導きして御挨拶の一助とするのである。

日本語になってないのである。

なお、東伏見という地名はこの神社が出来てからついた地名で、それにあわせて西武新宿線の駅名も上保谷から東伏見に変更されたつーぐらいの威力のある神社であるのである。

祭神は京都伏見稲荷大社の祭神の中から、宇迦御魂大神(うかのみたまのかみ)、佐田彦大神(さたひこのおおかみ)、大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)の3柱を勧請し、この3座を「東伏見稲荷大神」と総称しているのであるのである。

境内は、「都民の日」制定30周年を記念して1982年10月1日に東京都によって選定された新東京百景のひとつに選ばれているぐらい朱色の社殿が境内の緑に映えて美しいのである。

なにしろ新東京百景であるのであるが、この日は節分の豆まきの用意で鉄パイプによる通路が設置されており、残念ながら新東京百景としてはいまひとつであるのである。

つーことで、まあ、たしかに景色としても綺麗な神社であるのである。

綺麗だからご利益があるかつーと、これがね、あるのである。

綺麗なものを見るとそれだけでも、よろしいホルモンが放出されて気持ちよくなるのである。

人生は何よりも健康つーことが目的であるのであるが、その健康には気持ちよくなる脳内ホルモンを放出するてなことが重要であるのである。

逆に気持ち悪くなる脳内ホルモンを放出するてえと、もちろん具合が悪くなって、それが続くとお病気になるのである。

だから、健康を求めるのであれば、とにもかくにも気持ちよくなるような状況をいかに作り出すことができるかということが、あなたの人生の方向性を決めるわけである。

人生をうまく運ぶか運ばないかは、気持ちよくなるような状況をいかに作り出すことができるかとう能力才能の如何ということであるのである。

そのひとつの方法が綺麗なものを見るということであるわけである。

さらにそのひとつの方法が適度に掃除をするということであるのである。

まあ、性格的に不浄乱雑不潔さらには醜穢醜悪な環境を好むマニアな人もいないではないので、それが気持ちいいといわれれば、まあ、それも一概に比定できないわけであるが、とにもかくにも、ふつーの感性感覚の範囲内の性格の皆さんは適度にお掃除整理整頓に心がけることが気持ちよくなるホルモンを放出させる環境を整えるということのひとつの方法であるわけである。

ううむ、なげーな。

どうも気が緩むと長くなるのがあたしのいけないアレであるのである。

まあ、てなことで、綺麗な東伏見稲荷神社の境内拝殿を拝して、さらには鎮座まします東伏見稲荷大神の皆さんに日頃の守りの感謝御礼を奏上して、あなたの波動をよろしい方向に調整していただきたい。

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