2014年3月3日月曜日

杉桙別命神社(すぎほこわけのみことじんじゃ)



河津町観光案内図に来宮神社(きのみやじんじゃ)と書いてあるし、道案内の立看にも来宮神社と書いてあるので、あたしゃすっかり来宮神社かと思っていたのであるが、それは通称で杉桙別命神社(すぎほこわけのみことじんじゃ)が正式名であるつーことであるのである。

杉桙別命神社(すぎほこわけのみことじんじゃ)は、静岡県賀茂郡河津町にある神社で、式内社で、近代社格制度では郷社であるつーことであるのである。

近代社格制度つーのは明治維新後に、延喜式による社格にならって新たに作られた社格制度であるが、第二次世界大戦後にGHQによる神道指令によって廃止された制度であるので、意味があるのかないのかはあなた次第であるのである。

古くは「桙別明神」、「木野(大)明神」、「来宮(大)明神」、「木野神社」、「木之神社」、「鬼崎(きのさき)明神」などと呼ばれており、現在でも「河津来宮神社」と俗称され、「来宮」の古社名や後述する「鳥精進酒精進」を伝承することから、キノミヤ信仰を有する神社とされているのであるつーことであるのであるあるあるううういかん神のタタリでどこか壊れたってなんでもかもかんでも笑いを取らんと気がすまんのかい。

主祭神は杉桙別命(すぎほこわけのみこと)で、さらに五十猛命(イソタケルノミコト)と少彦名命(スクナビコナ)を相殿に祀るのであるが、延喜式神名帳では1座となっているので、本来は杉桙別命1柱を祀るものであったと思われるのであるのである。


拝殿左にある楠(くすのき)は(樹高約24m、幹周14mの楠)は昭和初期(20世紀前葉)時点で樹齢1,000年以上と推定され、昭和11年(1936年)に国の天然記念物に指定されたのである。

古くより来宮様の大クスと呼ばれ、神木として崇められてきたつーことであるが、かつて河津には7本の大楠があり、明治時代中頃まで河津郷七抱七楠(ななかかえななくす)と呼ばれていたが、現存しているのはこの1本だけであるのである。

また、参道入口付近と、拝殿右前にも楠の大木があるのであるが、それは天然記念物に指定されていないのであるのである。

なお、伊豆半島北部にある熱海市の来宮神社にも、阿豆佐和気神社の大クスという有名な天然記念物に指定された楠の大木があり、似た名称で呼ばれるため混同しやすいのであるが違うのであるつーことであるのである。。


境内には山神社と秋葉山神社の拝殿があるので、あたしはもちろんご参拝申し上げて、どちらも山が付くので、ざっくりと登山の際にご利益があるに違いないつーことで登山の安全を祈願したのはゆーまでもないことであるが、あたしは登山の趣味はないので無意味かもしれないのであるがなんでもお願いしておけば神様だって悪い気はしないのである。

また、式内社の佐々原比咩命(さわらひめのみこと)神社に比定される姫宮神社を合祀所管するのであるが、それは同敷地内にはなく、河津駅とこの杉桙別命神社の中間あたりに鎮座しているつーことであるが、河津町観光案内図にも明記されてないし、今回は仕事がご多忙で日帰り旅行てなことで時間の都合上探してるお時間もないので、主祭神である笹原姫命ちゃんには大変失礼ながら参拝なされなかったのである。

まあ、いずれにしても、杉桙別命神社には、河津川の土手の河津桜並木のカワズザクラ満開の時期であるので、河津桜まつりに訪れた観光客がツアー添乗員の旗とともにどやどやとお参りしたりして、境内もそれなりに賑わっているのであるが、これが、河津桜まつりが終わったあとは、うちの近所の神社のようにだーれも来なくなるのかもしれないのである。

そんなこんなで神社本殿拝殿の前に立ち、二礼二拍一礼すれば、あなたもあたしも気道は満杯、活力満点で浮世の荒波を乗り越えて人生をこれでもかとお楽しみいただけること必定であるが、それには身体を開いてその波動を魂の芯で受け止めねばならないのである。

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