2012年6月11日月曜日

久能山東照宮・象師匠撮影



久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)は、静岡県静岡市駿河区に鎮座する東照大権現(徳川家康)を主祭神とする 神社である。

創建は元和3年(1617年)で、徳川家康が晩年を駿府で過ごし、元和2年(1616年)に死去した後、遺命によってこの地に埋葬されたのであるのである。

2010年(平成22年)12月に、本殿、石の間、拝殿が国宝に指定されたのであるのである。

なにしろ国宝であるのである。

これ、表参道石段から上がり始めると、17折だかなんだかで、1159段の石段がこれでもかとジグザグに続くのである。

いちいちごくろうさんだそうであるが大きなお世話であるのである。

この日はどこかの高校生がバスを降りて大はしゃぎで駆け上がっていたのであるが、お太り気味運動不足のおじさんおばさんは息も絶え絶えになる段数であるのである。

おおはしゃぎの高校生に「修学旅行?」と聞いたらば、「いいえ、社会見学です」だそうである。

それで、、その駆け上がる高校生の一番最後から男性でお太り気味の引率の先生が大汗を拭きながら息も絶え絶えに登ってきたのである。

それで、この段数じゃ参拝客が減っちまうとということなのかなんなのか、日本平の駐車場からロープウエイが通じていて、1159段を登る体力に自信のない人も大丈夫であるのである。

ロープウエイご利用料金は片道500円であるのであるが、まあ、駐車場の問題で、行ったらロープウエイで帰ってこなけりゃならないので、往復1000円であるのである。

観光案内かよ。

ううう、むやみなひとりツッコミで心が寒くなって風邪ひきそうじゃねーかつーことで、まあ、あたしみたいなご利益マニアの場合は、参道石段下の民間の駐車場に停めて、石段を延々上がって、息も絶え絶えになってお楽しみいただくことをご推奨するのである。

この動画は楼門を登るところから始まるのであるが、この楼門をくぐってからが東照宮詣での始まりつーことであるのである。

楼門の二階部分には後水尾天皇の宸筆(天皇自ら書かれた書)である「東照大権現」の扁額(へんがく)が掲げてあり、勅額御門とも言われているのであるのである。

まあ、それで、神社というと、どなたも人知を超えた神という存在に多少の畏怖、恐れという感情を抱くものであると思うが、この東照宮はなにしろ造りが絢爛豪華きらびやかの極みであるので、心が踊るというのか、極楽気分というのか、とにかく元気をもらえる神社であるのである。

人間の身体・脳の仕組みとして、明るく楽しければそのようなホルモンが放出されるし、暗く陰湿で恐ろしければそのようなホルモンが放出されるわけである。

その点で、この久能山東照宮はいわば一瞬の夢、極楽を味わえる神社であるのである。

極楽を味わえるのであるから、極楽ホルモンの放出はさもありなんつーことである。

楽しけりゃだいたいOKつーことである。

この動画の境内から本殿拝殿の前にあなたの霊体アストラル体エーテル体を誘い、その楽しけりゃOKの波動振動を細胞の素粒子クォークにくまなく同期させていただきたい。

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2012年6月5日火曜日

寸又峡・夢の吊り橋


寸又峡といえば夢の吊橋である。

夢の吊り橋は、静岡県川根本町にある大井川支流寸又峡の大間ダム湖にかかる延長約90m、高さ約8mの吊り橋である。

その名称については、夢に出そうな幻想的な橋という意味合いの他に、渡るのが怖く て夢に見そうな橋という意味合いもあるのであるそうである。

まあ、川面からの高さ自体は約8mであるので、飛び込めといえば飛び込めないでもない高さであるので、「夢に見そうな」ほど怖いかとゆーと、そうでもないのである。

ところがこれ、渡ってみるとわかるのであるが、意図したものなのかどうなのか、足元の板がとんでもく薄くて貧弱なのである。

そのとんでもなく薄い板が、いつ割れて脚がその割れ目に落ちるかしらんてな恐怖心がお楽しみであるのである。

さらに、ワイヤーがこれでもかと細いのである。

そのこれでもかと細いワイヤーがいつ切れて、8m下の川に転落するのかしらんつーよーな恐怖心がさらにお楽しみを増幅するわけである。

さらにこれが渡り始めると揺れる揺れる。

あたしは1人で渡ったのであるが、それでもそうとう揺れるので、これが数人だと、それこそグーラグラ揺れて、ワイヤーの細さも手伝って、今にも転落しそうな恐怖心がそこはかとなく襲ってくるわけである。

それで、この日は平日にもかかわらず、結構な人数の観光客やハイキングの皆さんが、夢の吊橋入り口の急な階段を降りてこられてこの橋を渡っているのであるが、見ていると、渡り始めてから途中で動けなくなって戻ってくる人もけっこうおられたり、最初からギブアップのおばさまもおられるのである。

新東名高速道路開通以来、寸又峡に観光客がどっと増えて、休日にはこの夢の吊橋に並ぶてなニュースをやってたので、制限の10人で渡った場合にはさらに揺れはすんごいだろうなーてなことは想像に難くないわけである。

ううむ、日本語がむちゃくちゃだが、まあいい。

さて、神社仏閣でもない寸又峡の観光スポットがどうしてパワースポットなのかつーことである。

パワースポットって、しかし、まあいいか。

もちろん川と森林である。

水のマイナスイオンなんて疑似科学ホラ吹き効果を吹聴する気はさらさらございませんが、川のせせらぎの波動と森林の樹木が発する気の波動は、それこそあたしのような極悪最低の人格霊格の者の心も洗い清め浄化昇華させ常世浮世現世と霊界黄泉の国をその魂が行き来する心地が味わえるわけである。

あたしは何いってんでしょうか。

まあ、さらに渡るときのそこはかとない恐怖心がよろしいのである。

渡っている間は常世浮世現世の悩み恨み辛み妬み嫉みてな煩悩から、一瞬の間であるが逃れ捨て去ることができるのである。

さらにこの川面に幻想の船を浮かべ、それに悩み恨み辛み妬み嫉みを乗せて流せば、これ、人生の極楽を味わえること請け合いであるのである。

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