2015年4月29日水曜日

ぶどう寺大善寺(甲州市)



真言宗智山派柏尾山大善寺(かしおさんだいぜんじ)は、山梨県甲州市勝沼町にある寺院である、

ぶどう寺大善寺とも呼ばれるのである。

参拝当日は境内整備の工事中で、神社仏閣の最大のご利益お楽しみである参道石段を軽やかに上がっている途中の仁王門の下あたりでショベルカーから降りた業者のおじさんに「あいすみません」とご挨拶されたのであるが、こちらはなにしろロケの真っ最中であるので、ご返事はご遠慮申し上げて、本堂である薬師堂までとんとんと石段を踏んで、本堂である薬師堂の前に立ったら、右の本堂入口から作務衣のおばさんがこちらを覗いていたのであるが、なにしろロケの真っ最中であるので、ご挨拶はご遠慮申し上げて、カメラを回して撮影を続行したのである。

本尊は薬師如来で、ぶどう薬師てなご愛嬌のある別名もあるのであるが、秘仏として祭壇の厨子の中に納められ、五年に一度扉が開かれご開帳となるのであるが、最近では、平成25年10月1日~8日に御開帳が行われたつーことである。

創建については詳細は定かでないが、寺院伝承によれば、奈良時代の養老2年(718年)に行基(天智天皇7年・668年)- 天平21年2月2日・749年2月23日)さんが甲斐の国を訪れたとき、勝沼の柏尾にさしかかり、日川の渓谷の大石の上で修行したところ、満願の日、夢の中に、手に葡萄を持った薬師如来が現れ、行基さんはその夢を喜び、早速夢の中に現れたお姿と同じ薬師如来像を刻んで安置したのが今日の柏尾山大善寺であると言いはっているので、まあ、夢であるから、いってみれば行基さんの幻覚妄想の類いなわけであるが、とにもかくにも、以来、行基さんは薬園をつくって法薬の葡萄の作り方を村人に教えたので、この地に葡萄が 栽培されるようになり、これが甲州葡萄の始まりだと 伝えられているつーことであるので、まあ、葡萄の薬効といえば糖質とビタミンCであろうから、体力回復免疫力向上てな薬効は充分にあるので、まあ、ものごとは幻覚妄想でも役に立つことがないではないという香ばしい例であるわけである。

それで、大善寺をご見学ご参拝するには、拝観料として駐車場の前にある受付でお一人様500円を払うと駐車場入場のカードがもらえて、それをカード挿入口に差し込むと、ゲートが開いて、駐車場に入れるのである。

なかなか、いい制度である。

駐車の前にお布施という名の寺院管理費を払ってしまうわけである。

ううむ、お布施を「払う」というのは仏事に対して穏やかな表現ではないが、古来より「地獄の沙汰もカネ次第」と言うがごとくであるので、お賽銭でも拝観料でも、とにかくカネを払っとけば間違いないのである。

住職はもとより仏様だってカネもらって悪い気はしないのはゆーまでもないことである。

もちろん現実的には、国宝や重要文化財などの美術品を含めた寺の維持費と、寺院関係者の生活費の一部のためであるのは、いい大人であるあたしはこよなく理解しているので、なんら文句はさらさらないのもゆーまでもないことである。


本堂(薬師堂)は国宝である。

しかし、本堂内は撮影禁止であるので、残念ながら、本堂内の木造の日光菩薩・月光菩薩の両立像を始めとした数々の国指定重要文化財の仏像の皆さんは掲載できないので、ご利益に預かりたい方ははるばる甲州市勝沼のインターチェンジを降りてすぐの大善寺までお越しいただきたいということでお願いするわけであるが、べつにあたしは大善寺からいくばくかのせんでんりょーをもらってるわけではないということは津津浦浦までご理解の程をううむあれだそのまあいいや。

本堂ではちょうど、副住職と思われる方丈様がご祈祷中で、その御札をいただくと思われるおじいさんが祭壇と両サイドの脇間の重要文化財の仏像のあれこれご見学中であるので、あたしもついでにご住職のお経を聞いて、日頃の悪行三昧の浄化をお願いしようと思ったら、大黒さんと思われる多少ご肥満気味のおばさまが「初めてですか?」とゆーので、「始めてです」と申し上げると、「大善寺は甲州一の古刹です」というくだりから始まって、大善寺の歴史から成り立ちをずーっとご説明遊ばすので、正座して聞いてたら、ジーンズがきつくて、「ううう、これは困った、目の前では方丈さんが真剣にお経をがなり立ててるし、おばちゃんも真剣に説明してるし、ジーンスの膝が出てわやだろうし、いったいどーしたらいいだ、これはいったいなんのタタリなんだ」と思ってたら、ようやく説明が終わって、「本堂内の仏様を御覧ください」とおっしゃられるので、まだ気合充分のお経読経の真っ最中で殺気走った太鼓の音も勇ましい中、方丈様の前を「はい、ごめんなさいよ」と横切って、祭壇の内陣・脇間の仏様をじっくりとご見学の上、さらに祭壇の裏の通路に安置された由緒のある石だの仏様だのを「ありがたいありがたい」と心にもないことを心に思いながらささっとご参拝なされたのである。



境内にあるお清めの水である。

お清めだけに、まあ、つまりは手水舎であるので、参拝の前に手を洗って口を漱いでお清めするわけであるが、ロケを先行して順序が逆になってしまったのである。

まあ、とにかくお清めしないとらちがあかないので、撮影終了後に作法に従いお清めしたのである。

しかし、仏様に参拝してからお清めでは、仏様に極めて失礼なわけであるが、まあ、他意はないので、仏様にはそこんところをひとつご了解いただいて、仏罰を当てることはお控えいただくようお願いして、帰りに、受付のある玄関から客殿に入って、池泉鑑賞式庭園を拝見なされたのである。



江戸時代(寛永末)につくられたこの庭園は、高野山の普門院、鳥取の興禅寺と共に江戸時代の日本三名園と云われる池泉鑑賞式庭園で、滝、築山石組みを行い、下側に池泉を掘った典型的な江戸初期の庭園で、庭の西側に巨岩を置き、東側には滝が流れ、鶴石、亀石を配した池があり、客殿からの眺めは、まさに蓬莱山に入った気持ちがするのであるてなことであるが、まあ、とにもかくにも、撮影を済ませて、縁側のソファーに座って心を澄ませて庭園を眺めていたら、隣の客室におばさんが掃除機を持ってこられて、ものすごい勢いでバタンバタンと大音響で障子を閉めたので「わあ、びっくり、蓬莱山に入った気持ちもへったくれもないではありませんか」と思ったのであるが、そこはそれ、天下の大人物大丹田で鳴る象師匠であるので悠然と構えて心の動揺は一寸の間も垣間見せることはないのは無論であるのである。

文章が読みにくいしでたらめだなんて苦情はこの際あちらの方に放り投げておいて、この程度の音で驚くのはあたしの修行ができていないとゆーことが歴然であるので、さらに心を澄ませてお庭を拝見なされていたのであるが、掃除機の音が喧しいのでそそくさとご退散申し上げようと思ったのであるが、ふとみると、客殿には厄除け弁財てな神様が祭ってあるので、カムヤライの御役目としてはつつがなくお参りしたのである。



ああ、ありがたいありがたい。

なんでも、ありがたがっとけば、この世もあの世も丸く収まるのである。

ありがたいありがたいの気持ちを何事にもいつ時にも持ち続けることができれば、人生は実に楽にスムーズに成り行くのであるが、これがね、わかっちゃいるけどやめられないのも人生であるのである。


ついでに、客殿の一隅には、稽古用の槍や刺股・弓などが飾ってあるのであるが、これは武具として置いてあるのではなく、本来は寺の格式を表すものであるつーことである。

あたしは弓もたしなむので、古い弓はどんなもんかねと持ってみようと思ったら、「手をふれないでください」と書いてあったので、弓取り式はしなかったのである。

相撲かよ。


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