2021年5月30日日曜日

軍刀利神社(ぐんだりじんじゃ)

 

軍刀利神社(ぐんだりじんじゃ)は山梨県上野原市棡原4133にある日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀った神社である。

だから何だといわれても困るが、ご利益は健康祈願・無病息災・商売繁盛・千客万来・家内安全と、軍刀利という字づらからは想像できないごく家庭的なご利益である。


「ぐんだり」の名称でお気づきの方はお気づきの通り、かつては「軍荼利夜叉明王社」と称し、軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)を祭神とする神社であったが、明治の神仏分離令でやむなく「軍刀利神社」に改称したわけである。

軍荼利明王は、密教の尊格である明王の一柱であり、宝生如来の教令輪身(きょうりょうりんじん)とされ、五大明王の一尊として南方に配されるのである。

これらのことからこの神社は古神道と真言密教に通じた修験者によってこの地に勧請されたと言い張るものもいるが、どーだかわからんのは言うまでもないことである。


また、密教では、軍荼利明王は疫病をもたらすといわれる毘那夜迦天(びなやかてん・インドのガネーシャ)を調伏するといわれており、チベットでは十忿怒尊(じゅうふんぬそん・チベット密教を含む後期密教の尊格で、いわゆる日本の明王)のヴィグナーンタカとなり、象頭神(ガネーシャ)を踏んづけるという、象気功の守り神ガネーシャが踏んだり蹴ったりのとんでもないヤカラである。

明王は密教における最高仏尊大日如来いわゆるお釈迦様の命を受け、仏教に未だ帰依しない民衆を帰依させようとする、あたしら神も仏もない地獄の底をズルズルと這いまわることを趣味とするものには大きなお世話の役割を担った仏尊を指す名称である。

人の趣味てなものは千差万別で面白くもなんともない蓮の花に乗って極楽ご満悦のものもいれば、あたしのように泥の中に潜って蓮根を食って地獄の底を這いまわることをこよなく愛する趣味のものもいるのであるから、ほっといてもらいたいもんである。

何言ってるの?

しらんがな。

なんのくだりやねん。

だからしらんがな。

だいたいがお釈迦さんはこの世の成り立ちを縁起という概念で解き明かしたのであって、あたし同様に神なんてチンケなもんは認めておられまへんで。

だから、軍荼利明王なんたらにあれこれ言われる筋合いは金輪際おまへん。

そー言っちゃおしまいやがな。

話を戻して、「天」と名の付く天部の神々(毘沙門天、帝釈天、弁才天等)と同様に、明王は古代インド神話に登場する神々であるが、特に夜叉や阿修羅と呼ばれた悪鬼神が仏教に包括されて善の神となった者が多いのが特徴である。

もちろん軍荼利明王も元は夜叉の仲間である。

これもお気づきの方はお気づきの通り「軍荼利」はサンスクリット Kuṇḍalī (クンダリー)の音写語である。

クンダリーはヒンドゥー教の女神で、一種の夜叉とも解されるが、夜叉は古代インド神話に登場する鬼神で薬叉(やくしゃ)とも称し、のちに仏教に取り入れられ心を入れ替えて護法善神の一尊となった神である。

またクンダリーはシャクティを表しているとされるが、シャクティ(サンスクリット語: शक्ति, Śakti)とは、ヒンドゥー教またはインド哲学における宇宙の根理のことである。

けっ、なーにが宇宙の根理だ、笑わせんじゃねーよなんてことは言いません。

言わねーのかよ。

言いません。

じゃあ、言うな。

なんのくだりやねん。

ちゃんちゃん。

師匠ったら、もう飽きちゃったのね。

気持ちを立て直して、「クンダリー」はヒンドゥー教の修行法のヨーガのひとつであるハタ・ヨーガにおいて、尾てい骨のムラダーラ・チャクラに住み着く3回半巻きついた蛇として表わされるのである。

これは2回では少なすぎて4回では多すぎるので3回半というところがちょーどいい巻き付き具合いということであるのかどーかは、なにしろ脳が小さくて思考力皆無のバカの蛇のことであるから、理由を聞いても無駄であるのはいうまでもないことである。

これ、まじめに読んでいる人いたらごめんねごめんねー。

ゆーじこーじかよ。

神仏をバカにしてると、しまいに仏罰と神罰で地獄を這いまわることになるぞ。

もう、とうに地獄の底を這いまわっとりますが、さっきから這いまわるのが趣味だゆーとるやろが、大きなお世話だまったく。

クンダリーには「クンダリー」ないし「クンダリニー」 (kuṇḍalinī) という生命エネルギーが集積されているとされ、クンダリニーはシヴァ神の力能(シャクティ・宇宙の根理)としての女神といわれているのである。

なーに言ってやんでえ、シャクティだの宇宙の根理だの、何回も笑わせんじゃねーよなんてことは言いませんが、そのクンダリニーを象徴化したものが密教の軍荼利明王である。

支離滅裂かよ。

生命エネルギーの集積であるクンダリニーをいわゆる「覚醒」させて中央脈管・スシュムナーを上昇させ、いるわけもないシヴァ神と頭頂部で結合させた時にあるわけもない「解脱」が得られるというアホの頂点を目指すのが、スピリチュアルバカが大好きなクンダリニー・ヨーガである。

クンダリニーは、耳環、腕環、螺旋、巻き毛などを意味するサンスクリット語クンダラ(kuṇḍala)の派生語クンダリン(kuṇḍalin、「螺旋を有するもの」の意)の女性形主格である。

ちょっと何言ってるかわかんない。

あたしにだってわかりませんよ。

インド研究家の伊藤武さんいわく、クンダリーはヨーガのクンダリニーの起源であり、元は非アーリヤ系の不可触民に起源をもつこの女神が仏教に取り入れられて、日本に伝わる途上の中国で性転換させられて女神から男尊の軍荼利明王になったというようないらん情報も尺稼ぎに一応書いとくのである。

つまり、クンダリーは種々のインド哲学の概念を意味する語としても用いられるが、元来は「性的能力」を意味する女性名詞であったものがいつの間にか男性名詞にすり替わったということである。

とは言うものの、昨今では、哲学的な意味合いは失せて、いわゆるクンダリニー・ヨーガはその性的能力を昇華させてナンセンスな「超能力」を得ようというおっちょこちょいどもに大人気であるが、何の役にも立たない上に、ともすると人生の貴重な時間を膨大に無駄にするメソッドである。

何度も懲りずにチャクラの暴走を招いて人生の大半を無駄にしたクンダリニー・ヨーガマニアのクリシュナ・ゴーピさんと同様に、全身のチャクラの暴走を招いて4年間もほぼ寝たきりという人生を送ってみごとにとんちきを証明したあたしが言うんだから間違いないのである。


それはともかく、神社の拝殿の右横に巨大な剣が立つのは日本武尊が東征の帰りに三国山の山頂で草薙(くさなぎ)の剣を祭ったことに由来し、現在の神社の名称にもつながっているそうである。


軍神である日本武尊が祀られていることにより戦国武将の信仰を集め、武田信玄の崇敬を得たということも知られているのである。


てなことで、かつての大戦中においてもこの神社は軍神として信仰され、各地から参拝者が来られたそうであるが、昨今は選挙のときの参拝も多いということである。

現在はコロナ禍の真っ最中であるので、参拝者は神社仏閣マニアらしいバイクと自転車のおにーさんを2人見かけた限りであるが、社務所の周囲に駐車場が十数台確保してあることから判断するに平常時の土日祭日はそれなりの人気であることがうかがえるのである。

てなことでお帰りはいわゆる女坂である。


1 件のコメント:

  1. Wikipediaにもそこまで書いてないです。
    楽しい解説でした。

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