2021年1月8日金曜日

向嶽寺

象気功

向嶽寺(こうがくじ)は、山梨県甲州市にある禅寺で臨済宗向嶽寺派の大本山である。

山号は塩山で、本尊は釈迦如来である。

数多くの重要文化財等が所蔵安置されているが、非公開寺院のため建物内部や国指定の名勝である庭園は原則的に拝観不可である。

放生池と渡り橋であるが、いきなりの通行止めである。

池を渡るから渡り橋であるが、「そのまんやんけ」なんてつっこみはこの際控えるのである。

まあ、橋が老朽化して保存上ヤバイということであると解釈するのが妥当であるのは言うまでもないことである。

それで、無理やり橋を渡って橋が壊れて池に落ちたり、見つかって訴訟沙汰になるのも困るので、ぐるりと迂回して、テクテク歩いて本堂に向かうのである。

年末のロケであったので、本堂では大黒さんと若大黒さんらしき奥さんお二人が暮れの大掃除の真っ最中である。

あたしがカメラを回していたら気が付かれて丁寧にご挨拶されたのであるが、物見遊山のあたしごときが年末の大掃除の邪魔をしては大変恐縮であるので「お気遣いなく、お掃除を続けて下さい」と申し上げたのでお蔵入りとなり、動画の本堂前はテイク2の映像を編集してつなげたのである。

奥に見えるのが方丈前門である。

まあ、この裏手に国指定景勝である庭園があるわけであるが、拝観不可であるので、あっさりと諦めて境内を徘徊してみるのである。

徘徊かよ。

いつものおだやかなつっこみである。

もちろん死ぬほどつまらんつっこみである。

それでこれが方丈である。

方丈とは維摩 (ゆいま) 経の主人公である維摩の1丈四方の居室のことであるが、転じて禅寺における住職の居室、さらには寺の住職の呼称である。

だから禅宗の一般檀徒は住職を方丈様とお呼びすることが多いのである。

だからなんだと言われてもそーなんだからショーがないじゃんと言うこと以外言うことはないのである。

無駄な尺稼ぎはやめろ。

ハイ。

意外に素直ね。

運気向上には素直が一番。

ああ、だからあたしは運気が悪いのか。

うるせーよ。

向嶽寺の鐘楼である。

寺には鐘楼がつきものである。

つきものといっても地縛霊や憑依霊のたぐいではないのである。

だじゃれかよ。

やる気がぜんぜん見えないという声も聞こえるのは気のせいかね。

声が聞こえるのかよ、ちゃんと薬を飲め。

誰が脳がお花畑だ。

釈迦如来石像と灯籠である。

まあ、釈迦が開いた仏教であるから本尊がそのまんま「釈迦如来」であるのはごもっともである。

禅宗の臨済宗や曹洞宗や黄檗宗は一応のお題目として「南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ」と唱えるのもごもっともである。

禅宗の一応のお題目としてのこの「南無釈迦牟尼仏」は、何度も唱える「なんみょーほーれんげーきょー」や「なんまいだー」に比べて、「なむしゃかむにぶつ」が早口言葉のようで極めて言いにくくて舌を噛んでしまう恐れがあるためか三度だけ唱えるのがふつうである。

しかし唱えやすいお題目に改めるという話は聞いたことがないので、この先も極めて舌を噛みやすいこのお題目を唱えなければいけない禅宗の皆さんは気の毒であるが、滑舌は良くなるかもしれないのである。

もちろん、ものすごい大きなお世話である。

まあ、この世はすべてがいわばリンクし一体であるので、何をしてもしなくてもなるようにしかならんし、なるべくしてなるということである。

それが釈迦が悟った縁起である。

なむしゃかむにぶつ、なむしゃかむにぶつ、なむしゃかむにぶつ。

いててて、舌噛んだ。

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