・象気功
神奈川県相模原市緑区名倉に鎮座する石楯尾神社(いわたておじんじゃ)は、「名倉の権現さま」とも呼ばれ、2000年以上の歴史を持つとされる神社である。
明治に入って中央本線の鉄道工事により撤去されるまで当社の東方にあったとされる信仰対象のエボシ岩の西端(相模川)が、桂川に面して楯の様に切り立った岩が屹立していたことから石楯尾(いわたてお)とを呼ばれる由緒であるかもしれないのである。
かもしれないのかよ。
まあ、ええから早よ先に行け。
ハイハイ。
意外に素直ね。
また、このえぼし岩から見て当社は尻尾の方に位置することから、「石楯尾(いわたてお)」と呼ばれるようになったともいわれる由緒であるかもしれないのである。
どうしても、かもしれないのかよ。
この地に産土神として鎮座し、古来より崇敬を受け、天安元年には神階従五位下を授けられ、その後延長5年(927)に作成された延喜式神名帳にも記載されている延喜式内社である。
そこはかもしれないだろ。
三段落ちのセオリーを守れよ。
ちょっとなに言ってるのかわかんない。
一説には源頼朝も祈願所として御墨印七十五石余を寄進、奥三保18ヶ村・川入郷7ヶ村25ヶ村の総社でしたが、三増合戦により焼失し、江戸期には名倉村のみの鎮守社となったということであるが、しらんがな。
しらんのかよ。
明治維新後の神仏分離令により社格制定に際して郷社に列格、相模式内十三社の一社となったのであるが、しらんがな。
どうしてもしらんのかよ。
この神社の由緒看板をよーく読んで楽しみたいところであるが、ごらんのように、写真の光の加減ではなく老朽化のために上のほうはかすれて読めたもんじゃないので、あたしが書き出すのである。
こんなめんどくさいことを自堕落なあたしが行うのも神の御意志である。
なむなむ。
神社だったら。
総産土神 延喜式内 石楯尾神社(通称名倉の権現様)
※御祭神 総産土神 石楯尾大神(石楯尾神社に鎮まりになってる神様)
※由緒
天然の神籬磐境であるエボシ岩関係の神様の必要あって御くだりになった所の産土地に建てられた産土の神社であるので、総産土神と申しあげ、高位の神々様が数多くお鎮まり遊ばされて居り、創立は今より二千年以上前の、崇神天皇より前のようであり、応神天皇が御臨幸遊ばされたとの記録もある。
今から一千百二十年前の文徳実録に、天安元年五月丙辰、従五位下石楯尾神官社に預かるとあり、相模国只一社の官社である。
今から一千八十年前の醍醐天皇の御代編纂の延喜式の神名帳に相模十三社の一の延喜式内社と記録されている。
源頼朝が祈願所として御墨印七十五石余を寄進、七つの大鳥居を建てたと、今神社の近い所に鳥居原の地名が残っている。
後柏原天皇文亀三年(四七五年前)二条関白殿下十六世後胤監物大夫陽近が勅使として参向、本殿等七十五ヶ所の御造営をした。
奥三保十八ヶ村・川入郷七ヶ村都合二十五ヶ村総社として崇敬されたが、三増合戦の禍を受け、東山天皇永禄十二年(四一二年前)十月十八日、武田信玄の為、社殿悉く烏有に帰し、古記録まで焼失した事は惜しい事であった。
後に再建されたが、享保二年祝融の災いにあい、現在の社殿は、中御門天皇享保九年(二五三年前)に建築されたもので、光格天皇文化五年(一七二年前)文化六年には神祇官より幣帛が献上されて今に残り、明治六年社格制定に際しては、津久井郡内只一社の郷社に列した。
明治四十四年末社が合併され、大正十二年二月五日神奈川県告示第二十六号により、幣帛指定神社に指定され、昭和四十三年一月二十四日神奈川県神社庁献幣使参向神社に供進された。
石楯尾神社々務所
※由緒確定までの経過
私が神職になった大正十一年の頃は、神社明細帳の由緒は「元亀元年焼失につき不詳」となって居て、困った事だと思った。
津久井郡内只一社の郷社であるので、国では資料があると思い、神社昇格願・明細帳訂正願など文献を調査して七回出し、二十ヶ年の歳月を要して、昭和十七年一月二十六日、神社明細帳の訂正が許可され、延喜式内社である事を国家が承認した。
昭和二十年敗戦により、世が混乱し、自由の世となり異説が出て来た。
之を正すために、御祭神の御導きによる実態の御示し、正論の証明が過去の文書として発見され、之により、名倉の石楯尾神社が延喜式内社である事が実証された。
これまで六十五年の歳月を要した。
尊い石楯尾大神の御導きの賜であるので付記する。
宮司 濱野壽雄 記
てなことが書いてあるわけだが、ああ、死ぬほどめんどくさかった。
マニアの方はこれを何度も心行くまで堪能して「なるへそ、これはすごい、さっそく拝んでご利益を受けよう」と感動していただきたいのである。
なむなむ。
だから、神社だったら。
「権現」とは、「権」は仮の意を表す仏教用語で、仏や菩薩が衆生を救うために、日本の神に姿を変えてこの世に現われるてなことであり、また、その現われた神のことである。
あーそうかよ、そりゃよかったな。
なんか浮いてて、ああ、恥ずかしい。
さてさて、なにはともあれ、神社に参拝するときは手を洗い口を漱いで身を清めてから神に相対したいものであるが、時期が時期だけに新型コロナ感染防止の観点から手水舎には水がなく、身も心も穢れたままの参拝である。
心も穢れてるのかよ。
この神社に鎮座する2000年以上の歴史を持つ神も、つい最近作られた生物兵器とも言われる新型コロナウイルスには手も足も出ないという事態であるなんてことは言いません。
さらに、配祀(はいし・主祭神にそえてまつる神)として、事代主神(ことしろぬしのかみ) 、日本武尊(やまとたけるのみこと) 、護良親王(もりながしんのう) 、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、保食神(うけもちのかみ) 、天村雲命(あめのむらくものみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと) 、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、火産霊神(ひむすびのかみ) 埴山姫命(はにやまひめのみこと)、水波能売命(みずはのめのみこと) 、菊理姫命(くくりひめのみこと)の12柱の神々を祀るのである。
本当にこれ読んでる人いるとは思えんが、さらに続けるのである。
あんたも好きね。
はいな、この世はなにごとも神頼みの神マニアじゃけんね。
じゃけんて。
こらこら、字数が多すぎて読むのがめんどくせーなんて言ってるのは誰だ。
こんな誰も読むわけもねー文章を書く方だってそうとうめんどくせーぞ。
そんなことを言うやつにはひどい神罰が当たりますように。
ああ、あたしだ。
いちいちボケるのはやめろ。
まあ、とにもかくにもこのように多くの神々の神氣を受ければ運気はいやがうえにも高まり、日本の明日を背負う覚悟は必然的に備わってあれこれするのは必定である。
てきとーに書けばいいてもんじゃねーだろ。
だからいちいちうるせーったら。
誰に言ってるの?
お前は解離性なんとかかよ。
いやん、バレちゃった。
病院に行け。
拝殿の中はこんなである。
奥の引き戸を開けると本殿に廊下でつながっているはずである。
はずかよ。
外から見ると、拝殿から本殿にはこのようにつながっていて、本殿の建物は保存の観点からかショールームのようにガラスで囲まれているのである。
基本的に神社の構造としては普通といえば普通であるが、まあ、神社マニアとしてはじっくりとながめて「ああ、悠久の歴史を感じる」なんて寝言をほざくわけである。
稲荷神社(いなりさま)である。
商売繁盛五穀豊穣である。
稲荷社(いなりしゃ)は稲荷神を祀る神社で、京都市伏見区深草にある伏見稲荷大社が神道上の稲荷神社の総本宮となっており、神仏分離の際、稲荷神社は多数の神道系と少数の仏教系とに分かれたつーことである。
もちろんこの稲荷神社は神道系ということになるわけであるが、詳細はしらんがなである。
だったらえらそーに解説するなよ。
この石楯尾神社名倉権現には多数の境内社があるので、どちらの神様も公平にお写真に撮って供養するのである。
こらこら、供養は違うぞ。
御嶽神社(みたけさま)である。
御嶽神社(みたけじんじゃ)は、蔵王権現を祭った神社である。
金峰神社・金峯神社( きんぶ、きんぷ、きんぽう、みたけ)ともいい、総本社は吉野金峰山寺の蔵王権現堂である。
ほんまに飽きちゃったので、もうやめたい。
神に仕える象師匠としてのお役目を忘れてわがままばかり言うんじゃないっ。
へいへい、わっかりましたー。
宮野の子氏神、中村原から移す。
なるほどね。
え~ん、少しだけかよ。
住吉神社(すみよしさま)である。
住吉神社は、全国に約600あり、主に住吉三神を祀る神社である。
住吉三神とは、「日本書紀」では主に底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・表筒男命(うわつつのおのみこと)、「古事記」では主に底筒之男神(そこつつのおのかみ)・中筒之男神(なかつつのおのかみ)・上筒之男神(うわつつのおのかみ)と表記される3神の総称である。
ううむ、暴れたくなってきた。
浅間神社(せんげんさま)である。
浅間神社(あさまじんじゃ、せんげんじんじゃ)は、「浅間」を社名とする神社で、主に富士山に対する信仰(富士信仰・浅間信仰)の神社である。
ちなみにあたしが御幼少のみぎりに近所の浅間神社の宮司さんが「おお、この子は将来つかみきれない金を手にする」と言ったのであるが、「こっこの大ウソつきーっ」なんてことを言うと神罰が当たって地獄に落ちるので言いたくても言いません。
春名神社(はるなさま)である。
榛名神社(はるなじんじゃ)は赤城山・妙義山と共に上毛三山の一つとされる榛名山の神を祀る神社で、現在の主祭神は火の神・火産霊神と土の神・埴山姫神である。
春名神社と妙義山神社には過日参拝してるので、いわば神様と再会であるが、「おお、よく来たな」なんて神の声が聞こえたら病院に直行しなければならんのである。
福の神大国様(だいこくさま)大国主神である。
「昔富士神界の中心地のなごり(日待も行はれてた)」だそうである。
ちょっと何言ってるのかわかんない。
わかってやれよ。
大国主神(おおくにぬしのかみ)は、日本神話に登場する神であるが、 国津神の代表的な神で、国津神の主宰神とされ、出雲大社・大神神社の祭神である。
あーそうかよ、そらよかったな。
興味ないのがバレバレじゃんかよ。
じゃんかよってどこの生まれなんだよ。
もちろん大森生まれの川崎経由の湘南育ちよ。
意外に複雑だな。
八幡神社(ははちまんさま)である。
八幡宮(はちまんぐう)は、八幡神を祭神とする神社であり、八幡神社、八幡社、八幡さまとも表記・呼称され、 全国に約44000社あり、大分県宇佐市の宇佐神宮を総本社とするのである。
だからなに?
しらんがな。
そんな無責任な。
だってしらんものはしらんがな。
もうええ、あっちいけ。
なんでやねんっ。
それ好きでんなー。